落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(38)

2013-07-25 11:05:07 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(38)
「何があろうとも愛はまっすぐ、常に正面を見つめて」



  
 「ところで工業高校で機械科を卒業したはずのあなたが、
 なんで突然、畑違いの呑竜マーケットで居酒屋さんを営業している訳。
 偶然立ち寄ったら、あなたがいたので、腰が抜けそうなほどびっくりしました」


 「うん・・・・ひょんなことからそうなった。
 きっかけは、高校3年の秋の始まりの頃だった。
 夏休みが終わると部活は卒業しちまうし、いっぺんに暇が出来てそいつを持て余すようになった。
 そしたらお袋が、出来たての野菜を懇意にしている蕎麦屋へ毎日届けろと言い出した。
 それがさきほどまで居た俊彦さんの処で、『六連星(むつらぼし)』という名前の蕎麦屋だ。
 野菜を運ぶといったって、せいぜいコンテナひとつの量だ。
 バイクの後ろで充分だった。
 毎日のように野菜を届け、すっかり俊彦さんと顔見知りになった頃だ。
 たまには俺の蕎麦を食って行けという話になった。
 何げなく出された蕎麦と野菜の天ぷらだったが、あまりもの旨さに思わず衝撃を受けた。
 蕎麦のだし汁も、カツオと昆布の風味が効いていて、すっきりしていて最高だった。
 天ぷらの揚げ具合も的確で、衣にはシャキッとした歯ごたえがある割に、
 野菜の味と風味は、内部で新鮮なまましっかりと保たれていた。
 素直に旨いと大絶賛をしたら、『お前さんこそ、いい舌と感性を持っている』と逆に褒められた。
 それからだ。内定が決まっていた機械工場の就職を勝手に断って、
 トシさんの蕎麦屋へ毎日のように入り浸るようになった。
 お袋もさすがに呆れてはいたが、それでも何一つ言わず俺の自由にさせてくれた。
 だから、2年後に君が東京から戻ってきて、群馬県の西端にある安中市に居た頃には、
 俺は東の端で、和食の修行に明け暮れていた、ということになる。
 また、あらためて西と東での俺たちは離れ離れだ。
 やっぱり縁がなかったんだな。君と俺は」


 「そんなことないでしょう。
 ちゃんと真ん中の前橋市で、また再会を果たしたじゃありませんか。
 ただし、あなたは未だに独身のままですが、そう言うあたしは人妻の身ですけど、ね」



 「それっていまだに俺たちに、なにかしらの可能性が残っているという話かな。
 しかし、人妻の君と不倫関係に陥るのだけは、どう考えてもどうにもこうにも抵抗がある。
 俺、苦手なんだ。そういう関係が」


 「あら・・・・すこしは大人になったのね、康平も。
 私も嫌いよ、そういうのだけは。
 でもね。高校生のあの頃に想いを遂げられなかったあたしたちが、なぜかこうして
 再会を果たした上に、なんとはなしに、お酒まで一緒に飲んでいるなんて、
 やっぱり、どこかに何かが残っていると今さらのように感じているわ。
 今はどうにもならないけれど、そのうちの何かを期待して、いつまでも、
 長いお友達でいてくれてもいいでしょう。ねぇ康平?」


 「いい友達でいられたら、そのうちには一緒になれる可能性が有るんだろうか。
 なんとなくだが、ふと、そんなニュアンスにも聞こえた」



 「あなたって・・・・女に不便をしていて、実は欲求不満なの?
 なんで恋をしないのさ。
 そういえばいつも顔を出している貞ちゃんとだって、ずいぶんといい雰囲気なのに。
 あなたったら、肝心なところで押しの一手が足りないんだもの・・・・女が欲しければ、
 『おっぺす』くらいの気力で迫らなければ、みんな逃げられてしまいます。
 康平は、女性にたいして人がよすぎるの。考え方も詰めも甘すぎます」


 「おっぺす・・・・女を押し倒せってか。
 そこまでして女性が欲しいとは思わないけどね、君以外には・・・・」



 「ほら。そこでまたあんたは、訳の分からない愚図を言う。
 そういう男に、女は安心をしてついて行く気になんか、絶対になりません。
 あんたさぁ。外見はまぁまぁだし性格も合格点だけど、肝心な部分で優柔不断すぎるのよ。
 好きになさい。どうしてもあなたでなければ結婚しませんと、
 そう言い切ってくれる女性が現れるまで!」


 「現れるかなぁ、そんな女性が・・・・」



 「居ないとは言い切れませんが、10中8~9はありえないと思います。
 康平は、女性に優しすぎるところが難点なの。
 優しいだけじゃ難局は乗り切れないし、厳しい人生を生きていくことなんかできません。
 なんだかんだと言ったって、優柔不断の康平をそれでもいまだに信じているのは、
 たぶん、あたし一人くらいだと思うわね」


 「君こそ、またまた、訳のわからないことを言うねぇ。
 それこそ蛇の生殺しのままだ・・・・手も足も出さずにず~と待っていろと聞こえたぞ」



 「あなたの来ない映画館で、私はラストシーンまでひとりで泣いたの。
 でもね。ボロボロ泣いていた割には、映画のストーリは最後までしっかりと見続けました。
 思春期の女の子ってずいぶんと変な生き物だなぁって、あの時はつくずくと思ったわ。
 すっぽかしたあなたを恨んでいるくせに、『卒業』という素敵な映画を選んでくれたあなたに
 感謝をしている、もうひとりの自分がいるんだもの。
 またすぐ次の機会が来るだろうから、今回の事は許してあげようなんて甘く考えていたら、
 それっきり修復のチャンスが消えたまま、簡単に10年が経っちゃうんだもの。
 人生は思うようにはいきません・・・・」


 「それでも次の日の電車で、俺たちはまた、何気なく顔を合わせた。
 電車を一本ずらして別の電車に乗ってしまえば、もう嫌な顔を見なくても済むのに、
 また性懲りもなく、俺たちは一緒になった。
 同級生たちに囲まれて笑顔で話している君を、もう一度見られたことは
 この上もなく嬉しかった。でもいくら探しても、声をかけるチャンスはついに、
 二度とやってこなかったけれど、ね」



 「あたしもちゃんと見つめていました。あなたの姿を。
 同級生たちと毎朝の会話を交わしながらも、何度もあなたを見つめていました。
 なにか合図らしいものがあるかしらと、目をこらしていたのに。
 目線が会うたびに、あなたは目をそらしてしまうんだもの・・・・
 じゃあ、どうすればいいのさ。
 いまなら、どんなふうにでもフォローをしてあげられるけど、
 あの頃の何も知らない18歳では、自分から修復することなんか出来なかったもの。
 甘酸っぱいままの電車通学の3ヶ月間は、苦痛だったわねぇ」


 「あらら。いつのまにか親密さが増して、
 すっかりと恋人たちのような雰囲気が漂っています。
 私はお邪魔でしょうから、コーヒーを置いて早々に退散などをいたしましょう。
 それを飲み終わった頃に、また頃合を見計らって声をかけますので、
 それを合図にみんなで帰りましょう。
 あ~あ、あたしにも、どこかから白馬の王子様が現れてくれないかしら。
 仲のいいところをたっぷりと見せつけられて、もう、なんだか悶々としてきちゃった。
 熱い、熱い、ふぅ~だ。・・・・いいな。若いもんは。うふっ」


 いつのまにかふたりの背後へ忍び寄ってきた辻ママが、
コーヒーカップをテーブルへ慌てて置くとまた、足音をパタパタとさせながら
あわてて厨房へその姿を消してしまいます。
すべての客が去り、ようやく初夏の夜明けが近づいてきたスナック『辻』の
静かになりすぎた店内には、たった今挽かれたばかりで淹れたての鮮烈なコーヒーの香りが、
(あの日と同じように)また深く、静かに、漂よいはじめました。


(39)へ、つづく



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