「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第8話 叔母の決意
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久美浜駅からタクシーに乗り、湖沿いを15分ほど走ると叔母の温泉旅館に着く。
老舗風の趣が有るが、周囲にある民宿群に押されて、どことなく閑散とした空気が漂っている。
「ごめんやす」と声をかえると、奥から「は~い」と元気な返事が返ってきた。
「おこしやす」と50がらみの女将が、玄関に姿を現した。
佳つ乃(かつの)の背中に隠れている清乃の様子を見た瞬間、瞬時にすべてを察したようだ。
「元気な様子を見て、安心をしました」と、女将が安堵の胸をなでおろす。
「お初にお目にかかります。
祇園の屋形、福屋で芸妓をしている、佳つ乃(かつの)と申します。
今日はこの子のことで、足を運ばせていただきました」
「ご丁寧なごあいさつ。恐縮いたします。
本来ならばこちらからご挨拶に上がるところを、不義理いたしました。
どうぞお上がり下さい。
主人は漁で留守ですが、この子のことはすべて私に任されております」
それならば話が早いと、佳つ乃(かつの)が出されたスリッパに履き替える。
入り口で履き物を変えるのは、日本旅館ならではの慣習だ。
上がり端で履物を履き替えることで、他人の世界にお邪魔するという気持ちが芽生えてくる。
と、佳つ乃(かつの)はいつも感じている。
諸外国では、他人の家を訪問した際に、靴や履物を脱ぐという風習は無い。
建物内でこうして上履きに履き替えるのは、古くから伝えられてきた日本だけの風習だ。
まったく新しい世界へ踏み入れるという意識が、履き物を脱いだ瞬間から強くなる。
一段高い入り口の框に足をかけた瞬間からもう、他人の世界へ足を踏み入れたことになる。
手入れの行き届いた廊下を、中庭を横目で見ながら案内をされていく。
奥まった静かな和室のひとつに、「どうぞ」と丁寧に通された。
佳つ乃(かつの)が行くという連絡が、すでに女将の元に届いていたのだろうか。
静かな気配を保ったまま、女将はゆっくりと2人のためにお茶を入れてくれた。
「この子の夢は、幼いころから、祇園で綺麗な舞妓になることでした」
「来る途中の電車の中で、丹後地方には海女の居る浜が有ると伺いました。
海女になるのも夢どしたと、この子からは伺いましたが?」
「海女になりたいと言っていたのは、たぶん、小学生の頃のことです。
中学一年の修学旅行の時、京都で着物の似合う凄い美人を見ましたと有頂天になりました。
他のものは何も撮らず、この子はあなたの写真ばかりを撮って帰ってきました。
せめて高校くらい卒業してからと、何度も説得をしたのですが、
どうやらそれも、無駄な努力のようでした」
(一度決めたら絶対に譲らない、そんな芯の強い部分もあたしにそっくりだ・・・)
あたしも『何が何でも絶対に舞妓になる』と言い切って、父親を困らせたものだ、と、
佳つ乃(かつの)がふと自分の昔を思い出し、ふふふと頬を緩ませる。
「すでに朝方、屋形のお母さんから、お電話をいただきました」と女将が背筋を正す。
「容易な覚悟では舞妓になれないことは、わたしどもも存じております。
この子は6歳の時。交通事故で不幸にして両親を失いました。
子どもの居ない私たちの養女として、大切に育ててきたつもりなのですが、
どうやら、目が行き届かなかった部分もあるようです。
舞妓になるために、多額の費用がかかるということもすでに、
屋形のお母さんから仔細に伺いました
私どもとしてはこの子の将来を、お金のことで縛りたくは有りません。
郁子(静乃の本名)。
駄目なら駄目で、すっぱりと舞妓を諦めて丹後へ帰って来なさい。
弁済額がいくらになろうとも、旅館を売却すれば返済くらい出来るでしょう。
あなたは気にせず、いつでもこの丹後へ胸を張って帰って来なさい。
お願いですから一度くらいは私に、母親らしいことをさせてください」
「ありがとうございます」と深々と頭を下げる郁子の嬉しそうな様子を見て、
(この子は、ひよっとしたら祇園で、大化けをする女の子かもしれない・・・)と
佳つ乃(かつの)はそんな予感を、かすかにだが感じはじめていた。
第9話につづく
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