「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第19話 てんてん

佳つ乃(かつの)の心当たりは、つい一週間ほど前の日曜日のことだ。
1ヶ月間続いてた「都をどり」が終ると、祇園甲部はひとときだけ閑静になる。
芸妓たちに2日から3日くらいのまとまったお休みがご褒美として出されるからだ。
そんな中、もうひとつの恒例行事が開催される。
1ヶ月間無事に「都をどり」開催出来た事を八坂神社に報告するために、
「奉告祭」が、5月のはじめに行われる。
決まりでは、都をどりに参加した全員がもれなく顔をそろえることになっている。
報告も無事に済んだ後、先輩芸妓に誘われた佳つ乃(かつの)は、
数人の仲間とともに、鞍馬の山中までご飯を食べに行く。
ゆっくりとした時間を鞍馬の山中で過ごした後、タクシーを呼ぶ。
3条の通りまで戻ったところで、佳つ乃(かつの)が偶然、それを目にする。
通りかかった婦人科の病院の前で、洋服姿の見知った顔を見つけ出す。
大き目のサングラスで顔を隠している、清乃だ。
普段と異なる洋服姿のため、危うく見過ごすところだったが、間違いなく清乃だ。
そういえば「奉告祭」の境内から、足早に遠ざかっていく清乃の背中を見た。
少しばかり体調が悪いようだという話は、女将から聞いていたが、
婦人科の病院へ行くという話は聞いていない。
タクシーを停めようとしたが、あまりにも暗すぎる妹芸妓の表情に、思わず戸惑った。
以来、なにかと気にはかけていたものの、清乃からの音沙汰がない。
短い休日をそれぞれが過ごしたあと、祇園の町には、またいつもの活気が戻って来る。
その初日。お座敷を終えた清乃のほうから声をかけてきた。
こだわりのつまった魚介類の盛り合わせと冷酒を静かに置いて、
顏馴染みの店員は早々と階段を降りて行った。
2人の間のただならぬ雰囲気を、いち早く察したのだろうか。
祇園で客商売をしていくためのコツを、心得ているような対応ぶりだ。
清乃は酒が、強くない。
だが、今日ばかりは見るからに呑んでいる様子が、すでに顔に現れている。
虚ろな目をしている。だが本人はこれ以上は酔うまいと一生懸命、酒と格闘している。
「ビールのほうが良かったかしら?」と声をかけると、
「いいえ。姉さんの好きなお酒のほうで大丈夫」と清乃が、可愛い唇をすぼめる。
「ウチ・・・今年の祇園はんが済んだら、引退しょう考えてますねん」
「引退?・・・なに突然、引退って、」
思いがけない清乃の言葉に、冷酒の瓶を手にした佳つ乃(かつの)の動きが停まる。
この子には何かにつけて、驚かされている。
先日のこともあり、何か訳が有りそうだと考えた佳つ乃(かつの)が
手を停めたまま、うつむいている妹芸妓を見つめる。
当の清乃もそれ以上は語らず、黙り込んだまま短い溜息をつく。
「祇園はんの頃ということは、今度の無言詣りの満願で引退すると言うことかい?」
「はい」と答えた清乃が申し訳なさそうに、首を縦に振る。
「てんてんは自分で用意しますさかい、お姉はんに迷惑はかけません」
と蚊が鳴くような声で、せいいっぱいの心中を告げる。
「あんたが決めたことなら、いまさらうちが引き留めても無駄なようどす。
あんたが、うちより先に引退するとは、夢に思っておりませんどした。
わかりました。けど、引退の時に、てんてんは使いません。
引き祝い言うて、別のものが使われます。
心配あらへん。うちが全部、責任をもって準備をしましょ」
「いけません。姉はんには迷惑のかけっぱなしどす。
引退のときくらい、全部、自分で用意をします」
「あんたの最後の花道や。遠慮せんでええ。そんくらいのことはウチにさせて」
てんてん、と聞いても、読者には何のことだかかさっぱり分らないだろう。
てんてんというのは、手拭いのことだ。
元々は幼児の言葉だが、花街では今でも手拭いのことを、てんてんと云う。
「そこに置いたぁる石鹸とてんてん持って、早うちゃいちゃい行っといない」
と小さな子供が、母親から口うるさく命令をされる。
昼下がりの銭湯は、小学生くらいのガキにとっては風呂に入るというよりも
またとない、絶好の遊び場になる。
中には水中眼鏡を持って来るなどという、つわものも居る
しかし騒ぎすぎて町内のお年寄りから、きつく叱られるのが通例だ。
実用品としてのてんてんとは別に、花街では見世出しや襟替えなどの
行事の際、贔屓筋へ配る挨拶のてんてんが有る。
噺家が贔屓筋に配るしきたりに、よく似ている。
白地に赤の帯が真ん中に入った表書きに、まず、日付けが入る。
見世出しの時には「舞子」と書き、襟替えのときは「ゑりかへ」と上段の右に書く。
下段には、左から見世出しした妓の屋形名と妓名。
その右には、引いた姉芸妓の本姓と妓名。
さらにその芸妓のお姉さんが在籍中なら、その方の本姓と妓名が並ぶ。
上段の左側には、宛名が書かれる。
男性ならば、「○×御旦那様」と書き、相手が女性なら「○×御姉上様」と書き入れる。
年配の女性なら「○×御母上様」と書かれる。
だが、祇園でこのてんてんが廻って来たら、ただでは済まない。
お返しとしてご祝儀を、たんまりと包まなければならないのだから・・・・
第20話につづく
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