「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第20話 引き祝い
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引き祝いというのは、芸妓や舞妓が妓籍を抜けるときの挨拶だ。
引退をするときに、今までに世話になったおっ師匠さんや屋形やお茶屋はん、
同僚・先輩・後輩たちにおこなうものだ。
挨拶をきちんしないで辞めてしまったら、花街に不義理を残して辞めた事になる。
例えば、ある日突然、挨拶もなしで逃げ帰ったする。
そうした場合、それ以後は何があっても、2度と相手をしてくれなくなる。
引き祝いもしないで辞めた妓が、後になってから、もういっぺん祇園でカムバックを
したいと思っても、絶対に不可能と言うことになる。
「引き祝」には、祇園での芸名と本名の書かれた三角の紙に、
白い物を付けて配るという習わしがある。
食生活が変化したことで、いまでは実用的な商品券などが配られることが多い。
昔はよく「白蒸し」が、三角の紙とともに配られた。
白蒸しは、小豆の入った白いおこわのことだ。
これには面白い逸話が有る。
箱の中に入っているのが、この白蒸しだけだと、
「うちはもう二度とこの街へは戻って来ぃしまへん」という意味になる。
しかし、「もしかしてまた帰って来るやも知れへん」というときには白蒸しの中に、
少しだけ紅いおこわを混ぜておく。
こうしてきちんと挨拶を通しておいたら、いちど辞めて新しい人生を目指した時、
途中で駄目であっても、もう一度、花街に支障なく復帰することが出来る。
実際。そのようにしてふたたび帰って来た祇園の芸妓たちは、実はたくさんいる。
だが多くが芸妓の未来を諦めて、まったく新しい次の目標に向かって
邁進する場合が多いという。
彼女たちは、決して弱者として祇園を去ったわけではない。
つらい修行の時代をちゃんと乗り越えて、舞妓としての使命を果たし、
屋形へのお礼奉公を綺麗に終えてから、新しい人生に向かって再出発をする。
ひとつの目的をやり遂げたスポーツアスリートの再出発に、よく似ている。
「清乃ちゃん、あんた辞めはんにゃてなぁ。
せっかく舞も上手になって来たとこやのに勿体ないなぁ」
「すんまへん、おかぁさん。けど、うちどうしてもやってみたい仕事が他にあんのどす。
今のうちやないと出来しまへんさかいに」
「ふぅ~ん、そうか、まぁいっぺん自分の気ぃが済むようにやってみたらよろし。
けど、もしそれがあんじょういかへんかったらいつでも帰っといないや。
何も遠慮せんでもえええ」
「おおきに、おかぁさん。きずいなことばっかし云うてかんにんどす。
またそんときには宜しゅうお頼申しますぅ」
辞める人には、それぞれの事情が有る。
一時は自分が心底憧れて入った花街の世界。何の未練も無いといえば嘘になる。
中には後ろ髪引かれながら、花街を去っていく子もいる。
余談だが、花街に旦那という制度というものが有った頃、こんな逸話が残っている。
世間のしがらみで、仕方なく旦那はんを取ることになったひとりの芸妓が居た。
しかし、どんな風にしてもこの旦那のことが気に入らない。
そこで旦那には内緒で、引き祝いの白蒸しの中に、紅いのをちょこっとだけ入れておく。
これは芸妓の、ささやかな抵抗だ。
これには、「今回、訳あって旦那に落籍されて祇園を出てきますけど、
じきに戻って参りますさかいに、そんときはまた宜しゅうにお頼申します」
という意味合いが込められている。
「引き祝」には、祇園での芸名と引退後の本名がまず書かれる。
おこわを配る例はほとんどない。
砂糖や白いハンカチ、白生地などを配るのがいまの風習だ。
その横に白だけではおこがましいからと、赤い南天の実などを、そっと少しだけ
控えめに添えておく。
前出した旦那への抵抗とは異なる、今風の配慮だ。(念のため)
引き祝いの際は、やめる妓は洋髪姿で挨拶に回る。
いつもの白ぬりで回らないのは、「素人になります」という意味があるからだ。
「おめでとう」「おきばりや」「惜しいなぁ」とかけられる言葉の一つ一つに、
送る側の人生も、なぜか浮き彫りにされる。
祇園は去っていく人間にも、たくさんのご祝儀を惜しまない。
苦楽を共にした戦友の門出を、心から祝う気持ちが、この「引き祝い」という風習だ。
清乃はこうして、祇園祭が終った22歳の夏。
本名の郁子に戻り、多くの人々に惜しまれながら、明るいくったくのない
笑顔を祇園の町に残し、花街をさっそうと後にした。
第21話につづく
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