「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第13話 見世出しの日
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清乃についに念願の、見世出しの日がやってきた。
丹後の久美浜に住む叔母夫妻も、お祝いのために朝早くから駆けつけて来た。
清乃は今日、周りから祝福をされて、夢にまで見た舞妓になる。
自分の鏡台の前に座り、震える指先で仕度を始める。
鬢付け油を手のひらにひろげ、顔に薄く伸ばしながら丹念に塗っていくのだが、
慣れないうちは、これがうまく塗れない。
大切な今日ばかりは、プロの化粧師とお姉さん芸妓たちに手伝ってもらう。
総がかりで清乃の、晴れの日の顔を創り上げていく。
襟足(えりあし)は、晴れの日の三本衿になる
襟足というのは、うなじの部分に白く塗り残した化粧のことだ。
通常の襟足は、Wの形の『二本足』。
黒紋付を着る正装の時にだけ、塗り残したときの形が通常の「二本足」から
「三本足」にかわる。
昔から「うなじの綺麗な女性は美人」といわれてきた。
江戸時代。うなじを綺麗にみせるために流行りだしたお化粧の、
なごりやとも言われている。
舞妓と芸妓はゆったりと抜き襟にして、うなじと背中側を大きく露出する。
露出したうなじを美しく見せるため、襟足に、二本足の化粧をほどこす。
「見世出しの割れしのぶ」に髪を結い上げ、下唇にだけに紅をさす。
デビューから1年未満の舞妓は、上唇に紅をさすことが許されない。
今日の為に新調された黒紋付に袖を通し、だらりの帯を締めれば新人舞妓が完成をする。
屋形の一室で姉さん芸妓たちと杯を交わし、姉妹の契りを交わしたら
いよいよお見世出しの儀式が始まる。
「健康に気いつけて、いままで以上に精進をするんやでぇ」と姉さん芸妓の
佳つ乃(かつの)から、ドンと背中を押される。
清乃は昔テレビで観たことのある、舞妓誕生のワンシーンを思い出す。
(ウチもやっとのことでここまで来れた。憧れた舞妓になる夢がようやくのことで叶った・・・)
屋形の玄関を開けると、待ち構えていた人達から大きな歓声があがる。
「おめでとうさん、これからもおきばりやす」
舞妓になる事だけを夢見て、ひたすら頑張ってきた清乃はここでやっと自分が、
念願のゴールを果たした訳では無く、単に芸妓としてのスタート地点に立っただけだ
ということに、はじめて気がつく。
どんなに強い意思があとうと、自分の気持ちだけでは舞妓になれない。
舞妓の適性についてはいろいろ言われているが、大前提とされる条件のひとつが
「常に健康である事」だ。
舞妓の仕事は、想像を絶する重労働だ。
公休日は月に2日だけ。その休日も、頼まれれば仕事に出る。
お座敷の仕事は、ほとんどが深夜に及ぶ。
そんな生活を毎日頑張れる体力が、舞妓には必要とされる。
たとえば、華やかな都をどりの時期になれば、早朝からをどりのための準備がはじまる。
日中は都をどりを舞い、日が暮れれば夜中まで贔屓筋のお座敷を駆けまわる。
出たての舞妓に、休む暇などはまったく無い。
舞妓と言う仕事は健康で丈夫な身体を持っていなければ、とても務まらない仕事だ。
中にはせっかく頑張りぬいて、舞妓になったというのに健康上の理由から、
志半ばで、花街を去っていく妓も出てくる。
残念な事だがこれもまた、どうにもならない花街という世界の厳しい現実だ。
清乃は男衆に先導されながら、祇園の花見小路をさっそうと歩く。
背中からの逆光が後光のように見えるのは、笑顔がまぶし過ぎるからだ。
緊張よりも笑顔が先に出るところに、この子の持っているスター性が漂っている。
祇園甲部と言えば、「一力」が有名だ。
まずはここから清乃の「新人どす。よろしゅうお願いします」という挨拶がはじめる。
さらにたくさんのお茶屋さんのもとへ、せっせと足を運んでいく。
稽古で世話になった芸事のお師匠さんのところへも、わすれずに顔を出す。
敷居を超える瞬間、黒紋付の重い裾をさばきながら、左足から
「おこぼ」をちょんと通りへ踏み出す。
だが、舞妓に油断は禁物だ。
舞妓の履くかかとの高い「おこぼ」は、ちょっとした段差が命取りになる。
黒塀を背中に、段差を降りようとしたその瞬間、高いおこぼがバランスを崩す。
ぐらりと傾いた清乃の身体を、慌てて男衆が支えようと身構える。
だが、かろうじておこぼを踏み停めた清乃が、「セーフどす~」と可愛い指で
V字のサインを作る。
「気ぃつけぇやぁ~。先は長いでぇ」とやじ馬たちから、どっと声がかかる。
「はぁ~い。心配おまへん。おおきにぃ~」と、愛嬌たっぷりの笑顔を見せてから、
清乃がお茶屋の黒塀の前で、くるりと一回、華麗に回って見せる。
第14話につづく
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