「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第14話 花街の贔屓

祇園のお座敷は、お茶屋によって取り仕切られる。
お茶屋はお客からの依頼に従い、意向に沿って料理や芸妓たちを手配する。
要望を形にしてお客に提供することが、お茶屋の仕事だ。
置屋へ連絡をいれ、芸妓や舞妓をお座敷に呼び寄せる。
客に気に入ってもらえればまた次の仕事につながるが、アピールが不充分ならば
次の指名はもらえない。
芸妓も舞妓もお座敷に立つたびに、真剣勝負を要求される。
誰でもいいから、とりあえず舞妓を2~3人呼んでくれという要望であれば、
誰を呼ぶかはお茶屋が判断する。
当然、お客が満足してくれる舞妓を呼びたいとお茶屋は考える。
挨拶。気立て。礼儀作法。容姿の良さ。舞の出来などが選考の基準になる。
たいていは、お茶屋と付き合いの深い置屋から、条件に合う舞妓が選ばれる。
置屋を兼ねているお茶屋もあるので、そうした場合は当然のこととして、
お茶屋所属の舞妓たちが優先して選ばれる。
いずれにせよ、舞妓たちはお茶屋に日頃からまめに挨拶をして、好印象を
持ってもらう必要がある。
仕込みの間は置屋だけでなく、祇園の街全体が成長具合をつぶさに見ている。
この子はモノになると見込まれれば、より厳しく躾けられることになる。
そうした贔屓が何かにつけて、いたるところで顔を出す。
同期の仕込みなのに、置屋の娘というだけで待遇が異なってくるという例もある。
いろんな場面であの人だけヒイキやわ、不公平だと、腹が立つことも出てくる。
「自分がなんぼ正しくても、周りが認めてくれへんこともあんのどす。
陥れられて、要注意人物という評判を立てられてしまうこともあります。
目上の人の面子を潰してしまうと、そういうことが起こります。
相手の面子を立てる言葉に上手に翻訳して、自分の気持ちを伝えらなければなりまへん。
出しゃばり過ぎると、おぶ屋はんから贔屓にしてはもらえません」
なにかにつけて正義感を爆発させている清乃に対し、佳つ乃(かつの)が
やんわりと意見をしている。
「学校ならばあんたみたいに、正しい言動が求められます。
また、自分の意見をはっきり言うことも大事なことどす。
平等と公平が当たり前のことで、感性の違いは個性として扱われるでしょう。
学校で先生が生徒をヒイキすることはご法度どすが、この花街はまるっきし別の世界どす。
お客はんが贔屓にしてくれなければ、舞妓としての生活が成り立ちません」
どうや、と言う顔つきで佳つ乃(かつの)が清乃の顔を覗き込む。
「でも悔しいんです、あたしは。
容姿のいい子ばかりが、チヤホヤされて可愛がられています。
でもあの人たちは、ホントは、要領が良くて意地悪なのです。
あたしの方が芸もできるし舞も上手だし、真面目で一生懸命に頑張っているのに、
それを誰も認めてくれないんだもの、ホントに、嫌になってしまいます」
清乃が仕込みの同期でも、自分よりも良い着物を貸与されている子に腹を立てている。
いつも自分ばかり、しんどい仕事を言いつけられるていると、勘違いをしている。
お姐さんがこれ見よがしに、他の子にばかり親しく優しくしているように見えてしまう。
しかし、贔屓することが当たり前というのが、祇園と言う世界だ。
「あんたは辛抱が足らへんなぁ」と、佳つ乃(かつの)が目で笑う。
「辛抱する木に花が咲くんやでぇ。毎日腹を立てて、そないな顔ばかりしててみぃ。
誰も相手にせんし、声もかけてくれなくなるわぁ。
誰が一番かは、そのうちに自然にはっきりとして来ます。
あんたは自分の将来のために、涼しい顔で辛抱することを覚えなければいけん。
誰にも愛されてこそ、いつか自分の未来が開ける。
うちだって、贔屓にはずいぶんと泣かされてきたもんや。
けど、その程度のことでこけたらいけん。
泣きたくなったらこっそりと、深夜の鴨川で涙を流すんや。
鴨川の水は、昔から舞妓の涙で毎晩、水量が増えると言われています。
そうしてみんな一人前になるんや。たんと泣いたらええ。
そしたら次の日、みんながびっくりするような可愛い笑顔が生まれてくるわ。
そうや。お母はんからお風呂の話をおせてもろうたらええわ。
目からウロコや。ウチもお母はんから、ずいぶんと元気をもろたもの」
第15話につづく
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