「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第9話 仕込みさん

舞妓になるまでの教育期間中の少女のことを、祇園では昔から、
「仕込みさん」と呼んでいる。
一部ではいまだに、「おちょぼ」と呼んでいる屋形もある
舞妓になるためには、誰しもが必ず「仕込みさん」の道を通る。
屋形に住み込み、厳しい躾(しつけ)を体験することから修業がはじまる。
早い子で半年。ほとんど場合、10ヶ月から1年間を少女は「仕込みさん」として過ごす。
お茶屋で舞妓見習いを勤めてから、新人舞妓として見世出しの日を迎える。
しかし舞妓になることは、ただの出発点に過ぎない。
さらに芸事の修行を深く積んでいくことで、ようやく一人前の芸妓になる。
だが、芸事の修業に終わりの日はない。
花街を離れるその日まで、修練の日々は延々として続いていく。
舞妓になるためには、条件が有る。
身長が165センチよりも低いこと。顔立ちが良い人。
中学卒業と同時に置屋に来れる人などなどなど・・・
ネットを検索していくと、いろんな情報が溢れている。
だが内容をよく絞っていくと、「辛抱強さ。頭の良さ。健康であること」の3つが、
求めらていることが良く判る。
いつでも笑顔で、辛抱できることがなによりも大切だ。
自分の感情をストレートに出さず、相手が受け入れられる言葉に上手に変換して、
自分の意思を伝える、そういう瞬時の頭の回転の良さが求められる。
厳しい稽古を続けるためには、粘り強い我慢力とともに、健康な身体も必要になる。
気分や雰囲気に流されない、芯の通った華やかさとしたたかさを身に着けるためには
なによりも、頭の良さが必要になる。
プロのお笑い芸人は、面白くて当たり前だ。
プロ歌手は、上手くて当たり前と言われるのと同様、舞妓として見世出しすれば
古典芸能が上手に出来て当たり前のことになる。
舞妓と芸妓は、花街の接客のプロだ。
気働き、気配り、心配りが常にできる察知能力の鋭さが、酒席でモノを言う。
無理難題を言われても、さらりとそつなく上手にかわすこと。
自分の気分や体調が悪くても、決して表に出さない。
常に客の面子やプライドに配慮をして、ぞんぶんなまでにお座敷を盛り上げる。
きわめてタフな、精神的強さが常に求められる。
それらのものを身に付けるためには、不断の努力が必要になる。
15歳や16歳になったばかりの小娘が、簡単にこなせるほど花街は甘くはない。
屋形住まいを許された清乃はその日から、売れっ子芸妓・佳つ乃(かつの)の
妹芸妓として、せっせと働き始める。
しかし、屋形での生活は、清乃の忍耐力をはるかに超えるものになる。
屋形に同居しているお姉さん舞妓の世話からはじまり、掃除、洗濯といった
日常の家事をまず片づける。
近所のおつかいに出されるのは当たり前で、お茶屋への届け物など、
雑用をこなす忙しい日々がはじまる。
雑巾の使い方がまずいと、何度も手直しされる。
ハタキをかければ、埃の落とし方がまずいと、繰り返し何度も叱られる。
畳のふちを踏めば行儀作法が出来ていないと、またまた厳しく怒られてしまう。
そんな日ばかりが続いていくと、次第次第に精神が辛くなっていく。
舞妓としての適性が無いと判断されてしまえば、その場で家へ帰されてしまう。
しかし清乃は持ち前の負けん気で、黙って歯を食いしばる。
最後まで、なんとか必死で粘り抜く。
右も左も知らない少女が、舞妓としてデビューするまでには莫大な時間と経費がかかる。
(屋形はそれらすべての費用を負担する代わりに、年季(ねんき)と呼ばれる
奉公期間を設定して、投資した金額を回収する)
舞妓になる為の、本格的な舞の稽古も始まる。
祇園甲部の舞は、井上流と決まっている。
そのため毎日、井上流の師匠のもとへ舞の稽古に通うことになる。
弟子の中には一般の人たちもいるがその人達と、舞妓になる仕込みの稽古の
質は、おのずと別次元になる。
仕込みには一般人の何倍もの完成度が要求されるから、稽古は最初から厳しくなる。
午前中は舞のお稽古。お稽古から帰ったら屋形で雑用。
夕方からはお姉さん舞妓の仕度を手伝い、深夜になればお座敷から帰ったお姉さん舞妓の
着替えの世話と、仕込みの一日は超目まぐるしいスピードで過ぎていく・・・
第10話につづく
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