忠治が愛した4人の女 (30)
第二章 忠治、旅へ出る ⑮
秋から始まった忠治の修業が、3ヶ月をこえた。
季節が変った。武蔵野に冬が来て、藤久保村にあたらしい年がやって来た。
重五郎の屋敷に旦那衆や親分たちが、新年の挨拶のために集まって来る。
その中に、背の高い高萩村の万次郎という男がいた。
万次郎は博奕が大好きで、重五郎の賭場によく出入りしていた男だ。
勝負の潔(いさぎよ)さと、度胸の良さを買われて、重五郎の弟分になった。
23歳という若さだが、おおぜいの子分を引き連れて、悠然と挨拶にやって来た。
(世間はひろいな。23歳でいっぱしの親分とは、たいしたもんだ・・・)
忠治の目の前を、大勢の子分を引き連れて万次郎が横切っていく。
三下は、親分衆と目を合わせてはいけない。
伏し目をしたまま、遠ざかるまでじっと見送らなければならない。
少しでも動こうものなら不忠の疑いありと、問答無用で袋叩きの目に遭う。
その晩。お園が忠治を呼びに来た。
顔色が良くない。なにか心配ごとがあるようだ。
「忠治。おまえ、何か粗相をしでかしたかい?。
高萩村の万太郎親分がすぐ連れて来いと、おまえさんを呼んでるよ」
「えっ、怒っているんですか。万太郎親分が、おいらの事を・・・」
「そんな風には見えなかったけどね。
でもさ。あんな見えて怒らせると怖いお方だからね。
充分に気を付けるんだよ、忠治」
「へぇぇ・・・」合点がいかぬまま、忠治が万太郎の部屋へ飛んでいく。
「すいません。およびでしょうか、忠治です」障子に向かって声をかけると、
「おう。待ってたぜ。遠慮しないで中へ入ってくれ」と、
万太郎の声が返って来る。
「おめえの噂は聞いたぜ。
いつまでも、三下なんかやっている柄じゃねぇだろう」
何と答えていいかわからず、忠治が部屋の隅で固まっている。
長いキセルをくわえた万次郎が、「そんなとこへ座るな。話が見えねぇ。
いいから、こっちへ来い」と目で、目の前の座布団をさす。
「俺が見た限り、おめえは人様の子分で我慢できるような玉じゃねぇ」
万次郎は、忠治の本心をずばり見抜いた。その通りだ。
重五郎の下で三下修行をしているのは、英五郎の弟分である重五郎の盃をもらい、
故郷へ戻った時、箔(はく)をつけるためだ。
あわよくば兄貴分の英五郎の盃まで、もらう考えでいた。
「どうでぇ。こんなところでくすぶっていないで俺んところへ来い。
客分として優遇するぜ」
忠治が自分の耳を疑う。
三下修行中の人間を、客分として優遇するなどまったく聞いたことがない。
からかっているのかと思った。
しかし、来いと言っている万次郎の顔は、どうみても真顔だ。
「有りがたい話ですが、いってぇ、どういう風の吹きまわしですか?」
「実はな。お前さんの腕を見込んで頼みが有る。
誰かを殺してくれ、という話じゃねぇ。
俺んところの若い者に、剣術を教えてやってほしいんだ」
「へっ、剣術を教える?。こんな俺でいいんですか?」
「おう。おめえの腕はたいしたもんだ。
実はな。高萩にゃ剣術の道場がねえ。
川越まで出てくればあるんだが、いかんせん遠すぎる。
浪人者を雇ってもいいが、高い銭をほしがるわりに腕が悪すぎる。
若いもんを育てあげたいが、なかなかうまくいかねぇ。
ところがよ。
年始の挨拶にやってきたら無宿者を殺したという、元気のいい若い者がいた。
そいつは、おまえさんのことだろう、忠治。
お前さんの噂は、俺の高萩村まで轟いている。
そういうワケだ。
人を殺したことのあるお前さんに、俺は白羽の矢をたてた。
いまはまだ小さな一家だが、10年たったら俺は武州一の大親分になってやる。
どうでぇ。ひと肌ぬいでくれるかい、この俺のために?」
(31)へつづく
新田さらだ館は、こちら
第二章 忠治、旅へ出る ⑮
秋から始まった忠治の修業が、3ヶ月をこえた。
季節が変った。武蔵野に冬が来て、藤久保村にあたらしい年がやって来た。
重五郎の屋敷に旦那衆や親分たちが、新年の挨拶のために集まって来る。
その中に、背の高い高萩村の万次郎という男がいた。
万次郎は博奕が大好きで、重五郎の賭場によく出入りしていた男だ。
勝負の潔(いさぎよ)さと、度胸の良さを買われて、重五郎の弟分になった。
23歳という若さだが、おおぜいの子分を引き連れて、悠然と挨拶にやって来た。
(世間はひろいな。23歳でいっぱしの親分とは、たいしたもんだ・・・)
忠治の目の前を、大勢の子分を引き連れて万次郎が横切っていく。
三下は、親分衆と目を合わせてはいけない。
伏し目をしたまま、遠ざかるまでじっと見送らなければならない。
少しでも動こうものなら不忠の疑いありと、問答無用で袋叩きの目に遭う。
その晩。お園が忠治を呼びに来た。
顔色が良くない。なにか心配ごとがあるようだ。
「忠治。おまえ、何か粗相をしでかしたかい?。
高萩村の万太郎親分がすぐ連れて来いと、おまえさんを呼んでるよ」
「えっ、怒っているんですか。万太郎親分が、おいらの事を・・・」
「そんな風には見えなかったけどね。
でもさ。あんな見えて怒らせると怖いお方だからね。
充分に気を付けるんだよ、忠治」
「へぇぇ・・・」合点がいかぬまま、忠治が万太郎の部屋へ飛んでいく。
「すいません。およびでしょうか、忠治です」障子に向かって声をかけると、
「おう。待ってたぜ。遠慮しないで中へ入ってくれ」と、
万太郎の声が返って来る。
「おめえの噂は聞いたぜ。
いつまでも、三下なんかやっている柄じゃねぇだろう」
何と答えていいかわからず、忠治が部屋の隅で固まっている。
長いキセルをくわえた万次郎が、「そんなとこへ座るな。話が見えねぇ。
いいから、こっちへ来い」と目で、目の前の座布団をさす。
「俺が見た限り、おめえは人様の子分で我慢できるような玉じゃねぇ」
万次郎は、忠治の本心をずばり見抜いた。その通りだ。
重五郎の下で三下修行をしているのは、英五郎の弟分である重五郎の盃をもらい、
故郷へ戻った時、箔(はく)をつけるためだ。
あわよくば兄貴分の英五郎の盃まで、もらう考えでいた。
「どうでぇ。こんなところでくすぶっていないで俺んところへ来い。
客分として優遇するぜ」
忠治が自分の耳を疑う。
三下修行中の人間を、客分として優遇するなどまったく聞いたことがない。
からかっているのかと思った。
しかし、来いと言っている万次郎の顔は、どうみても真顔だ。
「有りがたい話ですが、いってぇ、どういう風の吹きまわしですか?」
「実はな。お前さんの腕を見込んで頼みが有る。
誰かを殺してくれ、という話じゃねぇ。
俺んところの若い者に、剣術を教えてやってほしいんだ」
「へっ、剣術を教える?。こんな俺でいいんですか?」
「おう。おめえの腕はたいしたもんだ。
実はな。高萩にゃ剣術の道場がねえ。
川越まで出てくればあるんだが、いかんせん遠すぎる。
浪人者を雇ってもいいが、高い銭をほしがるわりに腕が悪すぎる。
若いもんを育てあげたいが、なかなかうまくいかねぇ。
ところがよ。
年始の挨拶にやってきたら無宿者を殺したという、元気のいい若い者がいた。
そいつは、おまえさんのことだろう、忠治。
お前さんの噂は、俺の高萩村まで轟いている。
そういうワケだ。
人を殺したことのあるお前さんに、俺は白羽の矢をたてた。
いまはまだ小さな一家だが、10年たったら俺は武州一の大親分になってやる。
どうでぇ。ひと肌ぬいでくれるかい、この俺のために?」
(31)へつづく
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