忠治が愛した4人の女 (35)
第三章 ふたたびの旅 ③
忠治が、清五郎の顔を見上げる。
「おまえが親分になり、あたらしい一家をたちあげろ」とはっきり清五郎は言い切った。
異議はない。忠治も博徒になりたいと、内心は思っている。
その気持ちは高萩村で、万次郎の弟分になったときから強く芽生えている。
そうした気分に浮かれたまま、忠治は国定村へ帰って来た。
しかし。そんな忠治の想いがぐらついた。
昨日。国定村へ辿り着き、やつれ果てた母とお鶴の姿を見た瞬間。
博徒になりたいと考えていた忠治の心が、ものの見事に、木っ端みじんに砕けて散った。
しかも。夕べの床の中。
忠治はお鶴に向かい、「堅気に戻り、道場主になる」と誓いをたてている。
しかし。「おめえが一家を構えて、久宮一家の奴らを追っ払ってくれ」
と、さらに清五郎がたたみかけてくる。
「俺たちだけじゃねぇ。千代松や又八も、子分になると言っている。
それだけじゃねぇ。本間道場の同期生たちも力になる。
どうだ。悪い話じゃないだろう。
おめえが立ち上がれば、国定村はもちろん田部井の若いもんも
こぞって集まって来る」
「悪いが、ちょっと待ってくれ。そんなに事を急かさないでくれ。
もうすこし俺に考える時間をくれ。
実はな。ゆうべ、女房のお鶴に約束しちまったんだ。
かならず堅気に戻ると、床の中でお鶴に約束をしちまった」
「そうか・・・そりゃあ、そうだ。
身体どころか心が痩せるほど、おふくろさんとお鶴さんに苦労をかけたんだ。
おめえの気持ちが揺らぐのも、よく分かる。
だがよ。優著なことは言っていられねぇ。
聞いた話だが、おめえが殺した無宿野郎の兄弟分ていうのが、ついこの間、
久宮一家へワラジを脱いだそうだ」
「なに?、俺が殺した無法者の兄弟分が、久宮一家にワラジを脱いだって?。
本当かよ。そいつが事実なら厄介なことになる。
俺を探して仇を討つつもりなのかな、その野郎は・・・」
「たぶん。そのつもりで来ているんだろう。
絶対に兄弟分の仇を取るって、息巻いているらしいぜ。
気を付けたほうがいい、忠治。
親分たちの間で話はついているが、兄弟分がかたき討ちに来たとなると、
こいつはまた、別の話になるからな」
「殺した男の兄弟分の出現か。
やれやれ。まいったなぁ。
こいつは少しばかり、厄介なことになりそうだ・・・」
忠治が右手を顎に当てて、考え込む。
困り果てた時の忠治がよく見せる、仕草のひとつだ。
(まいったぜ。
思ってもいないところから、厄介な野郎があらわれたもんだ。
こいつは、ちょいとばかり面倒だ。
殺しの件は落着しているが、兄弟分のかたき討ちとなるとまた話は別になる。
やっぱり。堅気に戻れないようになっているのかな・・・
おいらの人生は・・・)
殺人事件の下手人は、原則として幕府か藩が処罰する。
しかし。下手人が姿をくらましたり、幕府や藩が処罰できないでいる場合は、
身内に限り、仇討ちをすることが認められている。
これが武家社会における、「仇討ち」や「かたき討ち」の制度だ。
かたき討ちの制度は江戸末期、庶民の中にもひろがりを見せる。
こうした習慣が町民や商人、農民のあいだまでひろがっていく。
男気と義理をひときわ重んじるのが、博徒の世界だ。
親分や兄弟分の「仇討ち」や「かたき討ち」は、美徳としてとくに美化される。
落ち着きかけた忠治の腰が、またまた不安定になってきた・・・
(ということは・・・、
このまま国定へ居座れば、またおふくろやお鶴に迷惑をかけることになる。
英五郎の親分は、このことを見抜いていたようだな。
だからこそ俺に、百々(どうど)村の紋次親分を紹介してくれんだ。
なるほどなぁ・・・
一度人を殺すと、堅気になれないようになってんだな。
やっぱり。博奕打ちになるしかないのかな、おいらの人生は・・・)
(36)へつづく
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