落合順平 作品集

現代小説の部屋。

忠治が愛した4人の女 (37)       第三章 ふたたびの旅 ⑤

2016-08-27 11:10:33 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (37)
      第三章 ふたたびの旅 ⑤




 忠治の付き人になった保泉(ほずみ)村の久次郎は、紋次の子分になって、
まだわずか半年あまり。
しかし。三下修業を2年余りしてきたため、縄張り内のことは熟知している。



 「ウチのしまは日光例幣使街道の、柴宿から境宿までです。
 街道筋の神社や寺院の祭りや縁日があるとき、そこで賭場をひらきます。
 その中でもっとも稼ぎがあるのは、境宿の絹糸市。
 毎月、二の日と七の日に立つ六斉市には、各地から大勢の人が集まってきます。
 大金を手にした連中は帰りにたいてい、博奕に手を出しやす」
 

 「ほう。どのくらい稼ぎがあがるんだ?」


 「俺たち下っ端にはよくわかりませんが、たぶん、
 5両から6両は有るんじゃねぇですか」


 「1日に5両から6両のあがりか。そいつは大した稼ぎぶりだ」



 10両盗めば、首が飛ぶ時代。
この時代。将軍吉宗の命により、江戸時代の刑法が確立している。
それによれば現金で十両以上、物品は金額で見積もって十両以上の場合、 
死罪と決められている。
しかし。死罪にもいろいろある。


 もっとも重いのが、主殺しなどの極刑に適用される鋸曳(のこひき)。
市中引き回しのうえ、首だけ箱の上に出して埋められる。
二日間生きたまま晒し者にされ、千住の小塚原か、品川の鈴ヶ森刑場で磔にされる。
見物人に自由に鋸挽きの真似事をさせたが、本当に実行した者がいる。
それ以降。横に血の付いた鋸を添えた。
鋸は見せるだけであって、実際に鋸挽きで処刑するわけではない。


 次に重いのが、磔(はりつけ)。
刑場で刑木に磔にされ、突き手が槍や鉾で二、三十回突き刺す。
死後三日間は、そのまま晒される。


 次が獄門。牢内で処刑された後、刑場で罪名を書いた木札とともに首を
三日、台木の上に晒す。
木札は首が捨てられた後も、三十日間その場で晒される。
以下、火罪、死罪、過失致死の順に死罪が適用されていく。
最後が下手人ということになる。
下手人は死刑の中で最も軽い刑にあたり、牢内で処刑される。


 武士のみに、体面を重んじ、自分の罪を認め自らが裁くという意味で
切腹が許されている。
武士の尊厳を保ったものである。
公事方御定書に未記載のため、厳密に言えば刑罰にあたらない。
斬首もまた、武士のみに適用される刑罰だ。
刑場で行われ、徒目付か小人目付が検視することになっている。
(以上・公事方御定書より)




 「紋次親分の下にゃ、木島の助次郎、境の新五郎、柴の啓蔵という
 3人の代貸がいやす。
 百々一家を支えている三人衆です。
 その下に武士(たけし)の惣次郎、馬見塚(まみづか)の左太郎、
 矢島の周吉という、3人の中盆(なかぼん)がいます。
 賭場で、親分(貸元)の代理を務めるのが、代貸です。
 中盆というのは賭け金を仕切ったり、壷を振る連中のことを言いやす」


 「豪勢な顔ぶれだな。
 それだけ、どの賭場も繁盛しているということなのか。
 子分は、どうなっているんだ?」


 「紋次一家には、出方(でかた)と呼ばれる若い衆が、あっしを入れて
 15~6人ほどいます。
 その下で三下修行中の者が、いま10人ほどいやす」


 「ずいぶん人が揃ってんだな、紋次一家は。
 で、周りの様子はどうなんでぇ。
 紋次一家の周りには、どんな親分衆が揃っているんだ?」



 「へぇ。
 東に木崎一家。西に玉村一家。南に島村一家。
 北に伊勢崎一家ってとこですかねぇ」


 目と鼻の先に、名の知れた親分衆たちが勢ぞろいしている。
それほどま日光例幣使街道の各宿場と、関東を流れる最大の川・利根川の河岸には、
おおくの利権が転がっている。


(38)へつづく


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