忠治が愛した4人の女 (36)
第三章 ふたたびの旅 ④
忠治がその日のうちに家を出る。
国定から百々(どうど)村まで、二刻(ふたとき)あまり。
一刻は、2時間。旅支度を整えなくても、楽に歩いていける距離だ。
百々(どうど)は境の宿場のすぐ東にある村。
宿場の南は関東を代表する大河・利根川に接している。
木島村までやってきた忠治が、ふと立ち止まる。
伊与久村に嫁に行った幼なじみのお町の事を、思い出したからだ。
百々とお町が嫁に行った伊与久村は、一里と離れていない。
(もしかしたらそのあたりで、ばたりと行きあうかもしれねぇな。
どうしているんだろうな、お町のやつ・・・)
なつかしさが、忠治の胸をよぎっていく。
お町の人懐っこい笑顔が、忠治の脳裏によみがえって来た。
街道の砂ほこりの中で立ち止まっていた忠治が、「馬鹿やろう」と首を振る。
(嫁に行った女に、いまさら未練なぞ無いはずだ。
つまらねぇことを思いだして感傷的になっているようじゃ、赤城の山に笑われちまう。
だいいち今日は、百々の紋次親分に仁義をきる日だ。
昔の女なんかを思いだして、女々しくなっているようじゃ俺も未熟者すぎるぜ。
駄目だなぁ、いまいちだぜ俺って男も・・・へっへっへ・・・)
未練を振り払うように忠治が、伊与久村と反対方向へ足を踏み出す。
ここまで来れば百々までは、あと四半刻(30分)。
急ぎ足の忠治が日の高いうち、「御免やす」と紋次一家の敷居をまたぐ。
渡世人らしく忠治が、万次郎から習った仁義を切る。
応対に出た子分は若い忠次を見て、どこかの三下奴がやって来たと勘違いしたようだ。
しかし。「国定村の忠次郎です」と名乗ると、とたんに顔色が変った。
大前田英五郎の添え状を差し出すと、さらに子分の動揺が頂点に達していく。
「ち、ちょっとお待ちを・・・いま、おっ、親分を呼んでめえりやす」
子分があわてて、奥の部屋に向かって駆け出していく。
渡世の世界は人脈がモノを言う。
大前田英五郎の名前が出ただけで、上州人なら、だれもが黙って頭を下げる。
「ほう・・・おめえが噂の国定村の忠治か。
よく来た。英五郎兄貴の添え状を持っているんだってな。
子分をとりたがらねぇ兄貴から認められるとは、てえしたもんだ。
いいからあがってくんな。野暮な挨拶はあとまわしだ。
おい。客人を、奥の客間へ案内してやれ」
頬に刀傷のある紋次が、子分に向かって言い付ける。
歳は英五郎と同じ。対等の兄弟として盃を交わしている間柄だ。
子分に案内された忠治が、長火鉢が有り、鉄瓶から湯気のあがっている
奥の部屋へ通される。
ほどなくして、代貸らしい男があらわれた。
三十半ばに見える、苦み走ったいい男だ。
「あいにく親分は、よんどころねぇ用事で外へ出やした。
失礼がないよう、親分が戻るまで接待するようにとあっしがことずかりやした。
代貸をつとめている木島村の助次郎と申しやす」
「ご丁寧にありがとうございます。国定村の忠次郎です」
「その若さで武州の無宿者を、一刀のもとに斬り捨てるとは、大したもんだ。
おまえさんはこのあたりじゃ有名人だ。
遠慮はいらねぇ。客人として、ゆっくりくつろいでくれ」
「いえ。おいらは紋次親分の子分になるために、こうしてやって来やした。
客人扱いなんておいらには身分、不相応です」
「そうはいかねぇ。英五郎親分の添え状を持ってきたんだ。
いまさら子分として預かるわけにはいかねぇと、ウチの親分も言っていた。
遠慮しないでくつろいでくだせぇ。
身の回りの世話役として、保泉(ほずみ)村から来た久次郎を付けやす。
遠慮しねぇで、なんでもこいつに言い付けてくだせぇ。
おい久次郎。そんなところへ隠れていないで、さっさと出てきて
客人に挨拶しねぇか!」
廊下に控えていた若者が、あわてて顔を見せる。
敷居の上に両手を突いて、「保泉村の久次郎です」とペコリと頭をさげる。
(37)へつづく
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第三章 ふたたびの旅 ④
忠治がその日のうちに家を出る。
国定から百々(どうど)村まで、二刻(ふたとき)あまり。
一刻は、2時間。旅支度を整えなくても、楽に歩いていける距離だ。
百々(どうど)は境の宿場のすぐ東にある村。
宿場の南は関東を代表する大河・利根川に接している。
木島村までやってきた忠治が、ふと立ち止まる。
伊与久村に嫁に行った幼なじみのお町の事を、思い出したからだ。
百々とお町が嫁に行った伊与久村は、一里と離れていない。
(もしかしたらそのあたりで、ばたりと行きあうかもしれねぇな。
どうしているんだろうな、お町のやつ・・・)
なつかしさが、忠治の胸をよぎっていく。
お町の人懐っこい笑顔が、忠治の脳裏によみがえって来た。
街道の砂ほこりの中で立ち止まっていた忠治が、「馬鹿やろう」と首を振る。
(嫁に行った女に、いまさら未練なぞ無いはずだ。
つまらねぇことを思いだして感傷的になっているようじゃ、赤城の山に笑われちまう。
だいいち今日は、百々の紋次親分に仁義をきる日だ。
昔の女なんかを思いだして、女々しくなっているようじゃ俺も未熟者すぎるぜ。
駄目だなぁ、いまいちだぜ俺って男も・・・へっへっへ・・・)
未練を振り払うように忠治が、伊与久村と反対方向へ足を踏み出す。
ここまで来れば百々までは、あと四半刻(30分)。
急ぎ足の忠治が日の高いうち、「御免やす」と紋次一家の敷居をまたぐ。
渡世人らしく忠治が、万次郎から習った仁義を切る。
応対に出た子分は若い忠次を見て、どこかの三下奴がやって来たと勘違いしたようだ。
しかし。「国定村の忠次郎です」と名乗ると、とたんに顔色が変った。
大前田英五郎の添え状を差し出すと、さらに子分の動揺が頂点に達していく。
「ち、ちょっとお待ちを・・・いま、おっ、親分を呼んでめえりやす」
子分があわてて、奥の部屋に向かって駆け出していく。
渡世の世界は人脈がモノを言う。
大前田英五郎の名前が出ただけで、上州人なら、だれもが黙って頭を下げる。
「ほう・・・おめえが噂の国定村の忠治か。
よく来た。英五郎兄貴の添え状を持っているんだってな。
子分をとりたがらねぇ兄貴から認められるとは、てえしたもんだ。
いいからあがってくんな。野暮な挨拶はあとまわしだ。
おい。客人を、奥の客間へ案内してやれ」
頬に刀傷のある紋次が、子分に向かって言い付ける。
歳は英五郎と同じ。対等の兄弟として盃を交わしている間柄だ。
子分に案内された忠治が、長火鉢が有り、鉄瓶から湯気のあがっている
奥の部屋へ通される。
ほどなくして、代貸らしい男があらわれた。
三十半ばに見える、苦み走ったいい男だ。
「あいにく親分は、よんどころねぇ用事で外へ出やした。
失礼がないよう、親分が戻るまで接待するようにとあっしがことずかりやした。
代貸をつとめている木島村の助次郎と申しやす」
「ご丁寧にありがとうございます。国定村の忠次郎です」
「その若さで武州の無宿者を、一刀のもとに斬り捨てるとは、大したもんだ。
おまえさんはこのあたりじゃ有名人だ。
遠慮はいらねぇ。客人として、ゆっくりくつろいでくれ」
「いえ。おいらは紋次親分の子分になるために、こうしてやって来やした。
客人扱いなんておいらには身分、不相応です」
「そうはいかねぇ。英五郎親分の添え状を持ってきたんだ。
いまさら子分として預かるわけにはいかねぇと、ウチの親分も言っていた。
遠慮しないでくつろいでくだせぇ。
身の回りの世話役として、保泉(ほずみ)村から来た久次郎を付けやす。
遠慮しねぇで、なんでもこいつに言い付けてくだせぇ。
おい久次郎。そんなところへ隠れていないで、さっさと出てきて
客人に挨拶しねぇか!」
廊下に控えていた若者が、あわてて顔を見せる。
敷居の上に両手を突いて、「保泉村の久次郎です」とペコリと頭をさげる。
(37)へつづく
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