忠治が愛した4人の女 (32)
第二章 忠治、旅へ出る ⑰
万次郎の弟分になったことで、忠治はすっかり渡世人の気分に浸っていた。
腕を磨き、道場主になる夢などとうの昔に忘れていた。
毎日がとにかく楽しかった。
万次郎のやる事なす事。
すべて手本にするため、四六時中万次郎について回った。
それほど若い万次郎の振る舞いは、忠治の目にさっそうと映った。
自分のことを親分と呼ばせず、旦那と子分たちに言わせていることも気に入った。
一家を張ったら俺も真似してやると、密かに心に決めていた。
桜の花が散り、暑い夏がやって来た。
まわりの山々の木々が色づき始めた頃、旅支度の英五郎が高萩村へやって来た。
挨拶が済んだ頃、忠治が英五郎の座敷へ呼ばれた。
「なんでぇおめえ、その恰好は。
それじゃ、どこからどうみても遊び人だ。
忠治おめぇ。本気で、博奕打ちになるつもりかい?」
ひと目見た英五郎が、眉をひそめる。
それほど久しぶりに見る忠治は、様変わりをしている。
遊び人風の格好が板についている。
英五郎の強い視線から目を離さず、忠治が「へぇ」と中途半端にうなづく。
「呆れたなやつだなぁ、おまえってやつも。
堅気になれとあれほど言っておいたのに、なんてぇザマだ。
そういう俺も、人様のことをとやかく言える立場じゃねぇがな。
人殺しの兇状持ちだからな。俺も」
「親分。あらためてお願いします。俺を子分にしてください」
「駄目だ。俺は旅の途中だ。子分を持つつもりもねぇ。
大前田の盃が欲しければ、俺の兄貴のところへ行くんだな。
だがな。三下からやりなおしをするようだ。
万次郎と兄弟分になったお前が、いまさら三下からはじめるわけにはいかないだろう。
とりあえず国定村へ帰り、よく考えることだな」
「えっ・・・、国定へ帰れるんですか!」
「玉村の親分から知らせが来た。すべてうまく片付いたそうだ。
いつ戻ってきても大丈夫だと書き送って来た」
「ホントですか・・・ホントなら、こんな有りがたいことはねぇ」
「おめえが国を出てまもなく1年になる。
しかし。こんなに早く帰れるようになるとは、驚きだ。
おめえのオヤジは、徳の有った人らしい。
世話になった大勢の人たちが、おめえのために必死で動いてくれたんだ。
亡くなったオヤジさんや、まわりの人たちに感謝して、
国定村へ帰ることだな」
「へぇ・・・」忠治の顔色が良くない。
帰れることは嬉しいが、胸にまだ、わだかまっているものが有りそうだ。
「もう堅気の生活には戻れねぇって顏しているな、忠治。
仕方がねぇなぁ。境宿のとなりに、百々(どうど)村ってのがある。
知ってるか?」
「へぇ。国定から6里ほど南です」
「そこに俺の兄弟分で、紋次ってのが一家を張っている。
なかなかいいやつだ。
三下修行なしで子分になれるよう、俺が紹介状を書いてやろう。
どうだ。それなら不満はないだろう」
このときのやりとりが、その後の忠治のすべてを決めた。
忠治が国定村を出て1年。侠客としての未来が忠治の前にひらけてきた。
ゴーサインを出したのはもちろん、目の前に居る大前田村の英五郎だ。
堅気に戻れと言ったものの、凶状持ちに堅気の未来はない。
そのことは凶状持ちである英五郎自身が、身に沁みてよくわかっている。
しかし。17歳の若者が侠客の道に落ちていくのはしのびない。
説得をこころみたものの、忠治のこころは変らないようだ。
このとき以降。忠治は上州が産んだ侠客・大前田英五郎を終生、心の師として
あおぐようになる。
第二章 完
(33)へつづく
おとなの「上毛かるた」更新中です
第二章 忠治、旅へ出る ⑰
万次郎の弟分になったことで、忠治はすっかり渡世人の気分に浸っていた。
腕を磨き、道場主になる夢などとうの昔に忘れていた。
毎日がとにかく楽しかった。
万次郎のやる事なす事。
すべて手本にするため、四六時中万次郎について回った。
それほど若い万次郎の振る舞いは、忠治の目にさっそうと映った。
自分のことを親分と呼ばせず、旦那と子分たちに言わせていることも気に入った。
一家を張ったら俺も真似してやると、密かに心に決めていた。
桜の花が散り、暑い夏がやって来た。
まわりの山々の木々が色づき始めた頃、旅支度の英五郎が高萩村へやって来た。
挨拶が済んだ頃、忠治が英五郎の座敷へ呼ばれた。
「なんでぇおめえ、その恰好は。
それじゃ、どこからどうみても遊び人だ。
忠治おめぇ。本気で、博奕打ちになるつもりかい?」
ひと目見た英五郎が、眉をひそめる。
それほど久しぶりに見る忠治は、様変わりをしている。
遊び人風の格好が板についている。
英五郎の強い視線から目を離さず、忠治が「へぇ」と中途半端にうなづく。
「呆れたなやつだなぁ、おまえってやつも。
堅気になれとあれほど言っておいたのに、なんてぇザマだ。
そういう俺も、人様のことをとやかく言える立場じゃねぇがな。
人殺しの兇状持ちだからな。俺も」
「親分。あらためてお願いします。俺を子分にしてください」
「駄目だ。俺は旅の途中だ。子分を持つつもりもねぇ。
大前田の盃が欲しければ、俺の兄貴のところへ行くんだな。
だがな。三下からやりなおしをするようだ。
万次郎と兄弟分になったお前が、いまさら三下からはじめるわけにはいかないだろう。
とりあえず国定村へ帰り、よく考えることだな」
「えっ・・・、国定へ帰れるんですか!」
「玉村の親分から知らせが来た。すべてうまく片付いたそうだ。
いつ戻ってきても大丈夫だと書き送って来た」
「ホントですか・・・ホントなら、こんな有りがたいことはねぇ」
「おめえが国を出てまもなく1年になる。
しかし。こんなに早く帰れるようになるとは、驚きだ。
おめえのオヤジは、徳の有った人らしい。
世話になった大勢の人たちが、おめえのために必死で動いてくれたんだ。
亡くなったオヤジさんや、まわりの人たちに感謝して、
国定村へ帰ることだな」
「へぇ・・・」忠治の顔色が良くない。
帰れることは嬉しいが、胸にまだ、わだかまっているものが有りそうだ。
「もう堅気の生活には戻れねぇって顏しているな、忠治。
仕方がねぇなぁ。境宿のとなりに、百々(どうど)村ってのがある。
知ってるか?」
「へぇ。国定から6里ほど南です」
「そこに俺の兄弟分で、紋次ってのが一家を張っている。
なかなかいいやつだ。
三下修行なしで子分になれるよう、俺が紹介状を書いてやろう。
どうだ。それなら不満はないだろう」
このときのやりとりが、その後の忠治のすべてを決めた。
忠治が国定村を出て1年。侠客としての未来が忠治の前にひらけてきた。
ゴーサインを出したのはもちろん、目の前に居る大前田村の英五郎だ。
堅気に戻れと言ったものの、凶状持ちに堅気の未来はない。
そのことは凶状持ちである英五郎自身が、身に沁みてよくわかっている。
しかし。17歳の若者が侠客の道に落ちていくのはしのびない。
説得をこころみたものの、忠治のこころは変らないようだ。
このとき以降。忠治は上州が産んだ侠客・大前田英五郎を終生、心の師として
あおぐようになる。
第二章 完
(33)へつづく
おとなの「上毛かるた」更新中です