忠治が愛した4人の女 (31)
第二章 忠治、旅へ出る ⑯
剣術の指南役として忠治を誘った男、高萩万次郎は江戸時代後期から
明治初期にかけて活躍した武州の博徒。
武蔵国高萩(現在の埼玉県日高市高萩)の出身で姓は清水、名を喜右衛門と名乗った。
旅館を経営しており、屋号は「鶴屋」。
父の弥五郎は名主を務めており、万次郎は名家の長男として生まれた。
侠客の高萩伊之松の勢力を継承したといわれており、居住地である高萩上宿を中心に
早い時期から「高萩一家」を構えた。
武州きっての侠客として勢力を伸ばし、やがてその名が全国へ知られていく。
縄張りである飯能には、関東一といわれる高市が立つ。
万次郎は遠方に出張所を設けて、勢力を伸ばした。
東海道には、原と三島の2ヵ所。
中山道の天神橋と上尾にも縄張りがあり、それぞれに子分を派遣して
管理をさせた。
凶状手配を受けていた清水次郎長を、高萩上宿の「鶴屋」で匿ったことがある。
そのため次郎長は、晩年まで万次郎を「親分」と呼び続けた。
万次郎も「次郎長」と呼びすてて終生、可愛がったというエピソードが残っている。
万次郎の屋敷は、広い敷地に囲まれている。
母屋の裏に、蔵がいくつも建っている。
敷地の片隅にあたらしい家を建て、万次郎はそこで新進の一家をはっていた。
賭場も、このあたらしい家の中で開いている。
忠次は万次郎と四分六の盃を交わし、晴れて弟分となった。
「これで俺たちは兄弟分だ。
遠慮はいらねぇ。好きなだけここへ居るがいいぜ」
「すまねぇ、兄貴」
「どうってことはねぇ。おめえの度胸のよさに惚れただけだ。
叔父御が目をかえているくれえだ。
おめえはそのうち、叔父御を追い越すような立派な親分になるだろう。
そんときゃ俺もおまえを訪ねて、上州へ遊びへ行くぜ」
「あのう・・・叔父御というのは、いったい誰のことですか?」
「叔父御というのは英五郎親分のことだ。重五郎親分は俺の兄貴分だ。
その兄貴の兄貴分が、英五郎親分だ。
雲の上の人だ。
とてもじゃねぇが、気安く兄貴や兄貴分とは呼べねぇ。
だから俺は英五郎さんのことを、叔父御と呼んでいるのさ」
「なるほど、叔父御ですか。
で、その英五郎親分は俺のことを、何とか言っていましたか?」
「おめえのことか?。褒めているのに決まってんだろう。
叔父御が藤久保村にいるという噂を聞いて、盃をもらいに来る奴はおおい。
だが叔父御はみんな追い返している。
いくら頼んでも、三下奴にもしねぇからな」
「俺も断られました」
「そうだろう。だが、そう案ずることもねぇだろう。
断られたとはいえ、おまえさんは3ヶ月近くも叔父御のそばに居たんだ。
周りの目は子分になったと見るだろう。
それよりも、頑張って俺の子分どもをビシビシと鍛えてくれ。
お前さんには、おおいに期待をしているぜ」
「へぇ。そいつは、任せてください」忠治が胸を、ドンと叩く。
忠治が、万次郎のひろびろとした屋敷をぐるりと見回す。
高萩村は、すこぶる居心地が良い。
いままで世話になった重五郎のところから比べれば、天と地の差が有る。
若くて有能な親分が頂点に立っているからなのだろう。
子分たちもどことなく活気が有るし、いつもはつらつとしている。
(今日からここが、俺の新天地になるのか・・・)
(32)へつづく
新田さらだ館は、こちら
第二章 忠治、旅へ出る ⑯
剣術の指南役として忠治を誘った男、高萩万次郎は江戸時代後期から
明治初期にかけて活躍した武州の博徒。
武蔵国高萩(現在の埼玉県日高市高萩)の出身で姓は清水、名を喜右衛門と名乗った。
旅館を経営しており、屋号は「鶴屋」。
父の弥五郎は名主を務めており、万次郎は名家の長男として生まれた。
侠客の高萩伊之松の勢力を継承したといわれており、居住地である高萩上宿を中心に
早い時期から「高萩一家」を構えた。
武州きっての侠客として勢力を伸ばし、やがてその名が全国へ知られていく。
縄張りである飯能には、関東一といわれる高市が立つ。
万次郎は遠方に出張所を設けて、勢力を伸ばした。
東海道には、原と三島の2ヵ所。
中山道の天神橋と上尾にも縄張りがあり、それぞれに子分を派遣して
管理をさせた。
凶状手配を受けていた清水次郎長を、高萩上宿の「鶴屋」で匿ったことがある。
そのため次郎長は、晩年まで万次郎を「親分」と呼び続けた。
万次郎も「次郎長」と呼びすてて終生、可愛がったというエピソードが残っている。
万次郎の屋敷は、広い敷地に囲まれている。
母屋の裏に、蔵がいくつも建っている。
敷地の片隅にあたらしい家を建て、万次郎はそこで新進の一家をはっていた。
賭場も、このあたらしい家の中で開いている。
忠次は万次郎と四分六の盃を交わし、晴れて弟分となった。
「これで俺たちは兄弟分だ。
遠慮はいらねぇ。好きなだけここへ居るがいいぜ」
「すまねぇ、兄貴」
「どうってことはねぇ。おめえの度胸のよさに惚れただけだ。
叔父御が目をかえているくれえだ。
おめえはそのうち、叔父御を追い越すような立派な親分になるだろう。
そんときゃ俺もおまえを訪ねて、上州へ遊びへ行くぜ」
「あのう・・・叔父御というのは、いったい誰のことですか?」
「叔父御というのは英五郎親分のことだ。重五郎親分は俺の兄貴分だ。
その兄貴の兄貴分が、英五郎親分だ。
雲の上の人だ。
とてもじゃねぇが、気安く兄貴や兄貴分とは呼べねぇ。
だから俺は英五郎さんのことを、叔父御と呼んでいるのさ」
「なるほど、叔父御ですか。
で、その英五郎親分は俺のことを、何とか言っていましたか?」
「おめえのことか?。褒めているのに決まってんだろう。
叔父御が藤久保村にいるという噂を聞いて、盃をもらいに来る奴はおおい。
だが叔父御はみんな追い返している。
いくら頼んでも、三下奴にもしねぇからな」
「俺も断られました」
「そうだろう。だが、そう案ずることもねぇだろう。
断られたとはいえ、おまえさんは3ヶ月近くも叔父御のそばに居たんだ。
周りの目は子分になったと見るだろう。
それよりも、頑張って俺の子分どもをビシビシと鍛えてくれ。
お前さんには、おおいに期待をしているぜ」
「へぇ。そいつは、任せてください」忠治が胸を、ドンと叩く。
忠治が、万次郎のひろびろとした屋敷をぐるりと見回す。
高萩村は、すこぶる居心地が良い。
いままで世話になった重五郎のところから比べれば、天と地の差が有る。
若くて有能な親分が頂点に立っているからなのだろう。
子分たちもどことなく活気が有るし、いつもはつらつとしている。
(今日からここが、俺の新天地になるのか・・・)
(32)へつづく
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