忠治が愛した4人の女 (82)
第五章 誕生・国定一家 ⑯
足尾へつづくあかがね街道を、2人が北へのぼっていく。
4里ほど街道を歩いたところで、温泉宿へ行く分かれ道に出る。
温泉宿は藪塚の山裾と、桐生へ続く峠道の、上り口に点在している。
おさきという仲居の所在を聞くと、いちばん奥の室田館だと教えてくれた。
「ありがとうよ」すれ違った女房に礼を言い、2人が室田館へつづく坂道を登っていく。
坂道に沿って温泉宿が3軒。
手前に伏島館。中ほどに開祖の今井館、一番奥に室田館が並んでいる。
さらにその先は、桐生へ続く細い山道。
小丘陵の籾山峠を越えたあと、だらだら下りながら桐生の宿へ出る。
「たたっ斬ったら、そのまま峠を越えて桐生へ出る。
ふもとにある桐生陣屋の一帯は、昔から徳川家の領地だ。いまは幕府の天領。
そこへ潜伏しちまえば、追い手のやつらもあきらめる」
逃走路を確認した2人が室田館が良く見える、辻の地蔵堂の前に座り込む。
地蔵堂の前は、一面の田んぼがひろがっている。
すでに刈り入れの終わった田に、1尺ほどに育った麦が青々とそよいでいる。
まもなく正月だというのに、風もなく、みょうに暖かい日だ。
信十郎が、ごろりとあぜに横になる。
あとは清兵衛と助三郎が出てくるのを、ただひたすら待つだけだ。
地蔵堂に腰をおろした清五郎が、暮れていく空を見上げる。
カラスが数羽、ねぐらへ向かって飛んでいく。
待つこと1刻あまり(およそ2時間)。今夜は月も星も出ていない。
墨を流したような闇が、あたりを支配している。
室田館からひとつ、提灯が出てきた。
人影が2つ。だらだらとした下りを、こちらに向かって歩いて来る。
「おい・・・」清五郎と信十郎が、低く声をかけあう。すばやく地蔵堂の裏へ姿を隠す。
そのまま息をひそめて、2人の男をやり過ごす。
風体からして、近所で働く百姓には見えない。宿の使用人でもないようだ。
(この2人に、間違いないだろう)地蔵堂の陰で、2人が目配せする。
「おいっ」信十郎が、2人の男を呼び止める。
「ひょっとして、三日月村の清兵衛さんと上江田村の助三郎さんじゃ、ござんせんか?」
なぁに、怪しい者じゃありません。
うちらは助八の親分から、伝言を頼まれた者でさぁ。
そちらさんは、助八一家の清兵衛兄さんと助三郎の兄貴に、間違いござんせんか?」
うしろから呼び止められた瞬間。
2人がはっと緊張の色を走らせる。だが、親分の名前を聞いて安心したようだ。
提灯を持って歩いていた男がまず、身構えを解いて立ち止まる。
「おう。たしかに俺が、三日月村の清兵衛だ。
親分からの伝言と言ったな。そいつは御苦労なこった。
で。いったいどんな伝言でぇ。そいつをいますぐここで、聞こうじゃねぇか」
「それが清兵衛の兄貴。
人目をはばかるような伝言で、大きな声ではちょっと・・・」
懐に手を入れたまま信十郎が、声をひそめて男の鼻先まで近づく。
「実は・・・」と話かけた瞬間。懐から短刀を取り出す。
そのまま清兵衛の心臓めがけて、ぶすりと、鋭く突き立てる。
「てっ、てめぇ・・・」反撃しようとする清兵衛の胸を、さらに鋭く
信十郎の刃(やいば)が、2度3度と突き立てる。
もうひとりの男があわてて駆け出す。その瞬間、「待て!」と清五郎が躍り出る。
男が脇差に手をかけるよりもはるかに早く、すらりと抜かれた清五郎の太刀が、
大上段から男を袈裟掛けに斬り落とす。
「うっ」とうめいた男がそのまま、田んぼにむかって転げ落ちていく。
あっという間の、出来事だ。
2人を仕留めた清五郎と信十郎が、そのまま何事もなかったように山道をのぼっていく。
桐生の天領まで、半里あまりの山道。
2人はそのまま、その日から、行方知れずの人になる。
(83)へつづく
おとなの「上毛かるた」更新中
第五章 誕生・国定一家 ⑯
足尾へつづくあかがね街道を、2人が北へのぼっていく。
4里ほど街道を歩いたところで、温泉宿へ行く分かれ道に出る。
温泉宿は藪塚の山裾と、桐生へ続く峠道の、上り口に点在している。
おさきという仲居の所在を聞くと、いちばん奥の室田館だと教えてくれた。
「ありがとうよ」すれ違った女房に礼を言い、2人が室田館へつづく坂道を登っていく。
坂道に沿って温泉宿が3軒。
手前に伏島館。中ほどに開祖の今井館、一番奥に室田館が並んでいる。
さらにその先は、桐生へ続く細い山道。
小丘陵の籾山峠を越えたあと、だらだら下りながら桐生の宿へ出る。
「たたっ斬ったら、そのまま峠を越えて桐生へ出る。
ふもとにある桐生陣屋の一帯は、昔から徳川家の領地だ。いまは幕府の天領。
そこへ潜伏しちまえば、追い手のやつらもあきらめる」
逃走路を確認した2人が室田館が良く見える、辻の地蔵堂の前に座り込む。
地蔵堂の前は、一面の田んぼがひろがっている。
すでに刈り入れの終わった田に、1尺ほどに育った麦が青々とそよいでいる。
まもなく正月だというのに、風もなく、みょうに暖かい日だ。
信十郎が、ごろりとあぜに横になる。
あとは清兵衛と助三郎が出てくるのを、ただひたすら待つだけだ。
地蔵堂に腰をおろした清五郎が、暮れていく空を見上げる。
カラスが数羽、ねぐらへ向かって飛んでいく。
待つこと1刻あまり(およそ2時間)。今夜は月も星も出ていない。
墨を流したような闇が、あたりを支配している。
室田館からひとつ、提灯が出てきた。
人影が2つ。だらだらとした下りを、こちらに向かって歩いて来る。
「おい・・・」清五郎と信十郎が、低く声をかけあう。すばやく地蔵堂の裏へ姿を隠す。
そのまま息をひそめて、2人の男をやり過ごす。
風体からして、近所で働く百姓には見えない。宿の使用人でもないようだ。
(この2人に、間違いないだろう)地蔵堂の陰で、2人が目配せする。
「おいっ」信十郎が、2人の男を呼び止める。
「ひょっとして、三日月村の清兵衛さんと上江田村の助三郎さんじゃ、ござんせんか?」
なぁに、怪しい者じゃありません。
うちらは助八の親分から、伝言を頼まれた者でさぁ。
そちらさんは、助八一家の清兵衛兄さんと助三郎の兄貴に、間違いござんせんか?」
うしろから呼び止められた瞬間。
2人がはっと緊張の色を走らせる。だが、親分の名前を聞いて安心したようだ。
提灯を持って歩いていた男がまず、身構えを解いて立ち止まる。
「おう。たしかに俺が、三日月村の清兵衛だ。
親分からの伝言と言ったな。そいつは御苦労なこった。
で。いったいどんな伝言でぇ。そいつをいますぐここで、聞こうじゃねぇか」
「それが清兵衛の兄貴。
人目をはばかるような伝言で、大きな声ではちょっと・・・」
懐に手を入れたまま信十郎が、声をひそめて男の鼻先まで近づく。
「実は・・・」と話かけた瞬間。懐から短刀を取り出す。
そのまま清兵衛の心臓めがけて、ぶすりと、鋭く突き立てる。
「てっ、てめぇ・・・」反撃しようとする清兵衛の胸を、さらに鋭く
信十郎の刃(やいば)が、2度3度と突き立てる。
もうひとりの男があわてて駆け出す。その瞬間、「待て!」と清五郎が躍り出る。
男が脇差に手をかけるよりもはるかに早く、すらりと抜かれた清五郎の太刀が、
大上段から男を袈裟掛けに斬り落とす。
「うっ」とうめいた男がそのまま、田んぼにむかって転げ落ちていく。
あっという間の、出来事だ。
2人を仕留めた清五郎と信十郎が、そのまま何事もなかったように山道をのぼっていく。
桐生の天領まで、半里あまりの山道。
2人はそのまま、その日から、行方知れずの人になる。
(83)へつづく
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