落合順平 作品集

現代小説の部屋。

赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (75)

2017-04-11 18:17:09 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (75)
 レディファースト




 ひげの管理人が、グビリと缶ビールを呑み干す。
2人の無事の生還を見届けた山小屋は、普段の静かさを取り戻す。
宴といっても、車座に集まって酒を飲むわけではない。
思い思いの場所へ陣取り、静かに酒を飲むだけだ。


 山小屋だからといって特別なルールはない。
しいてあげれば譲り合いの精神と、必要以上に騒がないことがあげられる。
登山に疲労はつきもの。
疲れる過ぎると心の余裕もなくなり、つい自己中心的になりがちだ。
しかし山小屋はおおくのひとが利用する場所なので、周囲に気を配ることも大切になる。



 人の休養をさまたげないよう、たとえ食堂であっても大声はつつしみ、
寝床でのおしゃべりは禁物となる。
限られたスペースを大勢で利用するため、食堂に長居しないなど
席を譲りあうこころがけも大切だ。
三々五々と散ったため、食堂に残ったのはひげの管理人とたまだけになった。


 「騎士は12世紀頃のヨーロッパに、独立した階級として定着する。
 これがやがて世襲化する。
 しかし次男や三男が、家督を継げる可能性はゼロだ」


 『なんだよ。それじゃ封建時代の武士階級と、まったく同じじゃねぇか。
 苦労したんだな、騎士の家に生まれた次男や、三男は・・・』



 「所領をもたない騎士たちが、やがて主君に仕えるようになる。
 戦功をあげて、自分の城を手に入れようと考えたからだ。
 裕福な未亡人がいれば近づき、後釜に座ることもあった。
 若い騎士が主君の妻に、恋愛感情をいだくこともあった。
 主君もまた有能な騎士を引き止めるため、それをうまく利用したという」


 『女の髪の毛は、象もつなぎとめると言うからな』


 「子猫のくせにつまらんことを知っておるな、おまえさんは。
 騎士階級のこうした実利的な動機によって、レディファーストの文化が生まれた。
 貴婦人に奉仕する騎士道の理念、それがヨーロッパで誕生したレディファーストだ。
 ヴィクトリア朝末期の油絵『騎士の叙任式』では、女性を崇敬する
 騎士の姿が描かれておる。
 お前さんの今日の活躍も、どこか、ヨーロッパの騎士道に似たものがあった。
 格好良かったぞ、今日のお前さんは。
 俺が女なら一発で、お前に惚れちまうところだ」



 ヒゲの管理人がニンマリと笑ったとき。
風呂場から『出たよ~、たま』と呼ぶ清子の声が聞こえてきた。
『おっ、清子がナイトを呼んでいる!』ピクリとヒゲを立てたたまが、
嬉しそうに管理人の膝から駆け出していく。


 『やれやれ・・・やっぱりおなごの色香には、勝てないものがあるようだ。
 あのガスの中。命をかけて守ったんだ。
 あいつが俺の処へ駆けてこなけりゃ、発見できなかったかもしれんからなぁ。
 声を聴いて喜んですっ飛んでいくのも、無理のない話だ」



 雷雲が過ぎ去ったあと、発達した低気圧がやってきた。
その日の夕方から荒れ模様になり、強烈な雨と風が三国山荘を包み込んだ。
最初の低気圧が通過した直後。
日本海で発生した次の低気圧が、天候回復させる隙をあたえず、再び
まったく同じコースをたどり飯豊連山を襲った。


 嵐は2日間、吹き荒れた。
ようやくおさまった3日目の朝。ようやく飯豊山に、快晴の朝が訪れる。
雲ひとつなく晴れ上がった青空に、ひさしぶりの太陽が現れる。
濡れた大地がじわじわ温められていく。
大地から、霧と化した水蒸気が一面に立ち登る。

 時刻が朝の7時を過ぎた頃。痩せた稜線の道に、2つの人影が現れた。


(76)へつづく


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