落合順平 作品集

現代小説の部屋。

オヤジ達の白球(36)投球がはじまる

2017-11-23 16:48:15 | 現代小説
オヤジ達の白球(36)投球がはじまる




 「うふふ。にわかつくりの投手さんが、いったいどんな球を投げてくれるのか、
 ちょっぴり楽しみです」

 スコアブックを膝へひろげた陽子が、マウンド上の坂上へ視線を向ける。
捕手に向かって坂上が、さらに前傾を深くする。
サインを見極めようと、さらに坂上の前傾が深くなる。

 (なんだぁ・・・大丈夫かよ、あいつ。あんな前のめりになって・・・)

 サインがようやく決まる。
安心したのか坂上が、ふうっと長い息を吐く。投球動作へはいるため、上体を起こす。
胸の前にボールをセットする。
軸足(右足)が投球プレート上に置かれる。
踏み出すための自由足(左足)がプレートから離れていく。
おおきく後方へ引かれる。
投げだすための体重を下半身へ溜めこんでいく。

 (いよいよだ。新米投手の、記念すべき第1球目だ)

 ベンチで祐介が身体を乗り出す。
ボールを握った坂上の右腕が、ゆっくり、頭上へ上がっていく。
次の瞬間。風車のようにぐるりと旋回した坂上の右腕から、勢いよく
白いボールが放たれる。

 ストライクゾーンのど真ん中へ、ボールがうなりを立てて飛んでいく。

 (一番自信のあるボールを投げろとサインしたが、よりによってど真ん中だ!。
 まいったなぁ・・・)

 ミットを構えていた寅吉の背中をひやりと、冷たい汗が流れて落ちていく。

 (いかん。まずいぞ・・・よりによってど真ん中の、腰の高さへ来やがった。
 フルスイングされたらそれこそ、ホームランになっちまう・・・)

 ズドンと鈍い音を立て、寅吉のミットへ最初のボールが収まった。
「ストライ~ク・ワン!」球場内に千佳の黄色い声が響き渡る。

 (やれやれ。振らなかったか。おかげで助かったぜ・・・まずは命拾いだな)

 ふわりとした球を、坂上へ投げ返す。
つづいて、2球目のサインの交換がはじまる。

 前もって決めたサインは3種類。
指一本のときは、いちばん早い球。2本の時は2番目に早い球。
3本の時は、3番目に早い球。
練習を始めたばかりの投手に、変化球を投げろと言うのは無理がある。
内外角ぎりぎりのストライクゾーンを狙えというのは、もっと無理がある。

 ど真ん中でもかまわない。球速を変えて、打者の目をくらましていこう。
それが試合開始の直前、坂上と寅吉が考え出した作戦だ。
しかし。練習をはじめてまだ2ヶ月足らずの投手に、そんな芸当が出来るはずがない。
ボールを握りしめひたすらに捕手のミットをめがけ、投げるだけで精一杯だ。

 (テレビで見たことがあるんだ。
 捕手が、股の間でサインを出すだろう。そいつに投手が首を振る。
 もういちど捕手がサインを出す。それにも投手が首を振る。
 3回目のサインが出る。それでようやく投手も合意する。
 そういうのにあこがれているんだ。
 たのむ。だからサインは、必ず3回出してくれ)

 (こだわっている部分が、あまりにもトンチンカン過ぎるな・・・)

 そう思った。しかし無下に却下するわけにもいかない。
「わかった。サインはかならず3回出す。
だから俺のミットをめがけて、思い切り投げこんでこい」
そう答えて寅吉は、坂上をマウンドへ送り出した。

 スピードの乗った、手ごたえのある1球目がやって来た。
(おっ、何とかなるかもしれねぇな。約束通り、あいつと決めたサインを3回出すか)
2球目のサイン交換が終わる。
ふたたび真ん中に構えた寅吉のミットをめがけて、坂上の早い球がやって来た。
ズドンと音を立て、ふたたび寅吉のミットへボールが収まる。

 「ストライク~、ツウ!」

 打者のバットは、2球とも、ピクリとも動かない。
「おい。どうした?。打っていいんだぜ。別に俺に遠慮なんかしないで」
寅吉がマスク越しに、1番バッターを見上げる。

 「あっ・・・球速はそこそこですが、なんだかちょっと気になることがあって・・・」

 と1番バッタが、口を濁す。

 (気になることがある?。なんだいったい・・・何が有るんだ、あいつの投球に?)
寅吉が小首をかしげる。そのとき主審の千佳も、小さな声でつぶやく。

 「そうよね。1番バッター君のいう通り、放っておけませんねぇ。
 このままじゃあとで大変なことになります」

 

 (37)へつづく

 落合順平 作品館はこちら