落合順平 作品集

現代小説の部屋。

赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (57)

2017-03-18 19:05:50 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (57)
 稜線の花園



 2日目。快晴の朝がやってきた。
いよいよ飯豊本山から大日岳への稜線歩きがはじまる。
この行程が今回の最大イベント。
雷雨の去った爽やかな朝の景色の中を、2人が歩きはじめる。


 飯豊連峰は日本海からわずか50kmしか離れていない。
そのため。世界でも有数の豪雪地帯になっている。
想像を絶するほど降り積もる雪が、飯豊連峰の特色ある地形を形つくる。
その証拠として真夏になっても、たくさんの雪渓が山肌に残る。


 飯豊山を過ぎるあたりから、尾根の稜線歩きがはじまる。
どこまでもなだらかに続いていく登山道と、稜線に沿ってひろがるお花畑が、
このあたりの醍醐味。
斜面のあちこちに、たくさんの高山植物が可憐な花を揺らしている。



 ゆるい稜線を一つ越えたとき。
真っ白の絨毯のひろがりが、2人の目に飛び込んできた。
ハクサンイチゲの大群落だ。
白山一華は、高山の湿り気のある草原に生えるキンポウゲ科の多年草。


 日本を代表する高山植物のひとつ。
高山に登れば、必ず見ることのできる花だ。
草丈15cmの花茎の先端に、花径3cm程の白い花を、3~5個つける。
花期は7~8月。花言葉は「幸せを招く花」。
アルプスで雪解けを待って咲きはじめるのが、このハクサンイチゲ。


 「上品で、清楚なお花です。
 でも、思っていた以上に大きなお花です。図鑑と本物とでは大違いです。
 たま。真っ白のハクサンイチゲは、見るからに美人さんですねぇ」


 「このお花畑が見たくって、麓からたっぷりの時間をかけて、みんな
 飯豊連峰に足を運んでくるのさ。
 縦走や日帰りの登山ではなく、2泊、3泊と連泊しながらあちこちへ足を伸ばすんだ。
 そうしてこの山のお花畑を満喫していく。
 そんな風に山歩きが楽しめるのは、たぶん、ここだけだ。
 のんびり雲の上の散策を楽しむ、それがこの山、飯豊山の醍醐味なのさ」



 『さすがだねぇ。恭子の言うことには、いちいち説得力がある。
 それに比べると白い花を、ただ上品で清楚ですねぇなどと褒める清子は、
 どうもイマイチだ。
 おまえ。ボキャブラリーが不足し過ぎているぞ』


 『へぇぇ。じゃあ、たまなら、白い花を、いったいどんな風に褒めるのさ。
 言ってごらん。あたしが評価してあげるから』


 『楚々としたたたずまい。凛とした風情、なんてのもいいな。
 なんだか女性の白いうなじを連想させる。
 白いもち肌なんてのもいいな。男心をそそるものがあるぜ。
 そういえばお前。なぜ大根が真っ白なのか知っているか?』


 『とつぜん何を言うのさ。大根が白いのはあたりまえでしょ』

 『だから素人は困る。
 むかしのことだ。人参とごぼうと大根は、まったく同じ色をしていたんだ。
 ある日。人参とごぼうと大根がお風呂に入ることになった。
 「いちば~ん」。あわてん坊の人参が確かめもせず、一番先に風呂へ飛び込んだ。
 そしたら、お風呂が熱いこと、熱いこと。
 それでも人参は、真っ赤な顔で我慢しながら、熱い風呂にはいった。
 だから人参の色は、いまのような真っ赤になったんだ。
 次に入ったのがゴボウだ。「熱いお湯だなぁ~」。
 ごぼうは熱いのが嫌いなので、体も洗わず風呂から出てきた。
 それでゴボウは、黒い色をしているのさ。
 で、最後に入ったのが、大根だ』

 『ちょうどいい、湯加減だ。
 大根は最後に入ったので、熱いお風呂もちょうどいい温度になっていた。
 気持ちの良いお風呂だったので、きれいに体をあらい、おかげで真っ白になった。
 それで大根の体は今でも真っ白だと言いたいんだろう、お前は』

 『何だよ。知ってんじゃねぇか。
 清子っ。お前なぁ・・・・人の楽しみを途中で奪い取るんじゃねぇ。
 接客のプロになるというのに、人の話の腰を折るのは最低だ。
 それよりよ。ハクサンイチゲの周りで点々と咲いている、あの紫の花はなんだ?。
 なかなか風情があって、いい花じゃないか』

 「イイデリンドウ(飯豊リンドウ)と言うんだ。たま」恭子が近づいてくる。
近くで見せてあげるからおいでと、清子の懐からたまを抱き上げる。

 飯豊山にしか咲かないという飯豊リンドウは、ミヤマリンドウからの変種。
茎の部分が長く、地面をひくく這う。
途中から5cmから12cmほど、茎先が立ち上がる。
茎の上部に直径が20mm~30mmの薄紫色の花を、1個から4個ほど咲かせる。


 原種のミヤマリンドウは、沢筋などの少し湿り気のある場所に自生している。
イイデリンドウは、やや乾いた岩礫地や、小低木の群落の中に自生する。
飯豊山神社から、飯豊本山を経て、御西岳へ至る稜線上でよく見ることができる。
特に烏帽子岳から北股岳、門内岳、地神北峰にかけた稜線の新潟県側斜面の
乾いた場所で、一面の群生を見ることができる。


(58)へつづく

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (56)

2017-03-10 18:23:52 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (56)
 銀河のど真ん中



 「用意がいいねぇ。本かつお節に削り器まで持参してくるとは本格的だ。
 恐れ入ったねぇ。
 やっぱり三毛猫のオスは、待遇が違う」


 かつお節を削るいい香りが、山小屋の中に充満していく。
匂いに誘われて、ヒゲの管理人が顔を出した。
「大事にされているんだな、おまえ。たいしたもんだ」たまの顔を覗き込む。
『折角ですから、管理人さんにも、おすそ分けです』
清子がさらに大量のかつお節を削る。


 「これは嬉しい限りだ。天から恵みのようなおすそ分けだ。
 じゃあみんなの分の、味噌汁を作ろう。
 ありがとうよ、お嬢ちゃん。また、後で遊びに来るからな!」


 トントンと階段を下りかけた管理人が途中で、立ち止まる。


 「そうだ。表の雲行きが怪しくなってきた。
 よかったねぇ、お嬢さんたち。
 この先の一ノ王子でテントを張らなくてさぁ。
 ここは雷の通り道だ。
 雷なんかちっとも珍しいことじゃないがお2人さんも、ヘソを取られないよう、
 せいぜい気をつけてくれよ。じゃあな、またあとで」


 「一の王子って?」


 
 「ここから150mほど上にある、稜線上のテント場さ。
 登ってくる途中で発達した積乱雲を見たけど、やっぱり、雷さんの襲来か。
 初夜からいきなり雷の洗礼を受けるとは、清子もついているねぇ。
 さては山の神に好かれたのかな?。もしかして。うっふふ」


 「雷さまですか!。
 恭子お姉さんは、怖くないのですか?」


 「山の雷は怖いさ、誰だって。
 頭の上だけじゃないんだよ。足元や、四方八方でガラガラ鳴るんだもの。
 テントの中にいたんじゃ、生きた心地なんかしないわ。
 もっとも山小屋の中に居ても、それは同じことだけどねぇ」


 恭子の説明が終わらないうち、山小屋の窓をいきなり閃光が走る。
『あっ、』清子が窓の外へ目をやった瞬間。
バリバリという激しい音が、空気を切り裂く。
続けてドッカ~ンという落雷の大音響が、2人の耳を直撃する。
『きゃ~ぁ』悲鳴を上げた清子が、恭子の胸へ飛び込む。
夏用の寝袋を広げた恭子が、清子を抱きとめながら、素早く頭から被る。


 やがて大粒の雨が、屋根を激しく叩きはじめる。
恭子の懐で清子が、ウッ~声を上げてとうめいたとき、すでに山小屋は
全方位を雷雲に取り囲まれている。
上から下から、右から左から、ゴロゴロゴロ~ピカッ!ドッカ~ン!!
ピカッ!ドッカン!ドッカン!。またゴロゴロ~ピカッ~・・・
鼓膜の保護のため、耳に両手を当てて恭子の胸の中で背中を丸めていた清子が、
少し離れたところできょとんとしているたまに、ようやく気がつく。


 『何してんの、たま。おへそを取られてしまいますよ!』



 手を伸ばした清子が、かき寄せるようにたまを手元へ抱き寄せる。
雷はいっこうにとまらない。
激しい雨と猛烈な稲妻はこの後、1時間あまりにわたりドカン、ドカンと
2人の周りで山の洗礼を轟かせる。


 山の雷は突然終わりを告げる。
ある瞬間から急に静かになり、雷雨が遠ざかっていく気配がやって来る。
それが2人に、手に取るように伝わってくる。
ふいの静寂がやってきた。
雨があがった瞬間。雷はまるで駆け足でもするかのように山小屋から、
あっという間に遠ざかっていく。
あれほど騒がしかった窓の外が、満天の星空に変わっていく。


 「お~い。無事かい、お2人さん。
 無事でいるなら、山小屋の外へ出ておいで。
 雷さんの置き土産は、降るように輝く、満天の天体ショーの始まりだ。
 凄いぜぇ。銀河の星が一斉に、おれたちの頭の上で勢揃いしている。
 こんなすごい星空を見るのは久しぶりだ。
 早く出てこい、今夜の星空は最高だ!」


 「たま。表で、星空が最高ですって。見に行こうよ!」



 たまを抱えた清子が、元気いっぱい立ち上がる。
『うふふ。さっきまでわたしの懐で泣いていたカラスが、もう笑っている。
現金だねぇ。清子は』
寝袋を被ったせいですっかり汗をかいている恭子が、指先で濡れた前髪をかきあげる。
『おまえだけだ。騒がずに、ぼんやりしていたのは、ねぇ、たまや』
うふふと恭子がたまに、笑いかける。



(57)へつづく


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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (55)

2017-03-09 05:02:38 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (55)
 三国の山小屋



 「おっ、珍しいねぇ。美人が2人も登場するとは、今日はいい日だ。
 三国の山は初めてかい。2人のお譲ちゃんたち」


 山荘の前でひげの管理人が早くから2人の到着を待ち構えていた。
薪割の手はさっきから、ずっと止まったままだ。
そのためせっかくかいた汗も乾きはじめ、寒ささえ感じている。
久しぶりに聞く山での人の声に、たまも清子の胸ポケットから眠たそうな顔を出す。


 「こいつは驚いたねぇ。
 美人2人だけかと思いきゃ、なんと子猫のおまけまでついているとは。
 へぇぇ、なんとよく、見れば三毛猫じゃないか。こいつはさらに珍しい。
 で、どうするんだ、あんたたち。
 テントを設営するのなら、もう一つ先の山小屋まで足を伸ばすようだ。
 だが泊まるだけなら、ここも上も同じことだ。
 今日の宿泊予定は、あんたたちを入れても7人。
 ここには40~50人が泊まれるから、今日だけはのんびり眠れるぞ。
 んん・・・・どうした、姉ちゃん。
 そんな顔して。何か気になるものでも見つけたか?」



 不思議そうな顏で建物を見上げている清子に、管理人が気づく。
東北では無人の山小舎が多い。
登山客が多くなる夏場に限り、管理人が雇われる。
ほとんどが役所からの委託を受けたものだ。
だから山小舎のオーナはいない。ほとんどが役所からの委託を受けた管理人たちだ。


 これらの山小舎は、冬場になっても閉鎖されることはない。
避難小屋としていつでも利用することができる。しかし管理人は不在になる。
屈指の豪雪地帯に変わるこのあたりでは、積雪が3mから5mに達する。
2階建ての三国小屋ですら屋根まですっぽり、雪に覆われることがあるという。


 清子が見つめているのは、入口のドア付近に取り付けられている
太い角材でつくられた、屋根まで届く巨大な梯子。
2階と思われる部分に、1階と同じ大きさのドアがある。
『ということは、はしごを上がれば、2階から山荘へ入ることができるのかしら・・・』
清子がポツリとつぶやく。



 「その通りだよ。お姉ちゃん。
 このあたりは、東北でも指折りの豪雪地帯だ。
 山が好きな連中は真冬であろうがおかまいなしに、このあたりまで登って来る。
 もちろん。素人じゃない。
 アルプスやエベレストの、遠征前のトレーニングにやってくるんだ。
 夏は高山植物や、天空の花園を楽しみに来る一般人たちの憩いの空間になる。
 しかし冬になるとここは、一転して気象の荒い地に変わる。
 ときには吹雪が吹き荒れる。
 そういうときための設備が、あの頑丈な梯子だ。
 2mも積もれば、1階のドアは雪にふさがれてしまう。
 そういう場合。梯子を登り2階のあのドアから山荘の内部へはいるのさ。
 それだけじゃないぜ。
 普段は使わないが、万一の時にそなえて、2階の屋根からの入口もある。
 だが、コイツの使い道はそれだけじゃない。
 理由が知りたかったらまずはこの梯子を、自分の足で登ってみることだな」



 促された清子が、梯子を天空に向かって登りはじめる。
黙って見つめていた恭子も、リュックサックを地面に放り出す。
風雪にささくれた木材の感触をしっかり確かめながら、2人がゆっくり
2階の屋根までたどり着く。
最初に頂点へ着いた清子が、ひらりと2階の屋根に降り立つ。


 「ほう・・・見かけによらず、身の軽い子たちだ。
 どれ。わしも、久々に登ってみるかな」


 後から屋根まで登ってきたヒゲの管理人が、ヒョイと清子の細い腰を捕まえる。
『え?』驚ろいた顔を見せる清子を、そのまま肩まで担ぎ上げる。
管理人がスタスタと屋根の斜面を歩き、一番の高みまで登っていく。


 「どうだ、お譲ちゃん。
 あんたたちが、6~7時間かけて歩いてきた下界が、一望に見えるだろう。
 俺より高い位置にいるお前さんは、オレも見たことのない絶景が見えるはずだ。
 そこからの気分はどうだ。お嬢ちゃん」


 「すごく素敵。もう最高です!。生まれて初めて見るすごい景色です。
 清子はもう山登りが、病みつきになってしまいそうです!」


 清子の声が、山小舎の空へ響いていく。
ガスが晴れてきた。山容をあらわにしてきた三国山の雪渓が残る山肌へ、
こだまを呼びながら、清子の歓声が響き渡っていく。


(56)へつづく

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