散髪屋に行ってきました。
店員から、
「眉毛切りますか?」
「細くなるようになら」
「形は揃えられないんですよ。長さを切るだけで」
「昔、眉毛を『麿』にされたことがあってね」
「え、それはひどいですね」
「床屋の奥さんが剃ってくれたんだけど、旦那の眉が丸かったんだ。左右方向に細くされちゃってね。それ以降注意してる」
「女性ですよね?教科書でも眉を短くするのってだめだと教えられますよ?」
「人の常識はみんな違うからね。平安時代はその眉はかっこよかったんだから、平安時代的な美的センスを持っていたのかもしれない。まぁその床屋には行かなくはなるけれどね」
「最近の女性のファッションも変わりましたよねぇ」
「あー、確かにボンタンみたいな太いズボン履いてるねぇ」
「眉も太いですし」
常識なんて人が変われば変わるし、場所も時も変われば変わる。
どんなに教科書に書いてあっても、プロなら教科書通りに実行するとは限らない。
自動車運転免許を持っていれば、確実に道路交通法を守れるわけではないので。
常識は変わるけれど、人の常識はなかなか変えられない。
とはいえヒントだけ与えて放置しておくと、意外と変わったりする。
人のことを変えようと働きかけると、相手してもらえるとか、面倒見てくれるとか、依存心が働いて案外変えない。
ヒントは与えてあとの面倒は見ないというスタンスで放置したほうが、自分はどうしたらいいのか自分で考えるので、真面目に頑張るんですよ。
それでも変わらない人は変わらないので、期待しすぎないが吉です。
私は幼少期から苦労し続けて、高校の頃には行政手続きなどは自分でやっていました。
当時は生きるのに必死だったので、幸せとも不幸とも思っていませんでしたが、そういう苦労をしないまま大人になることができる幸不幸もあるのだろうなとも思う。
本日早めに仕事を引き上げて行政手続きに行ったのですが、マイナンバーカードの手続きで大声出している人もいました。
私にとってマイナンバーカードは確定申告の電子申告に必要だったので、その時にパスワードの変更やらで手間取った経験もあり今更な感じなのですが。
何が幸せで何が不幸なのかは未だにわからないし、何が常識で何が非常識なのかも判然とはしませんね。