日本人はことごとく「和」(harmony)が好き。
どんなに所得を増やしても、しっかりと累進課税で所得が引かれて平準化。
所得が低くても、手厚い社会保障制度がある。
憲法の「基本的人権の尊重」により、健康と生命は保障される。
とはいえ、最低限の生活の維持のために働いてもらわないと、社会経済の維持ができないということもある。
感染症の蔓延で、数カ月の活動停止により、中小企業に限らず、経営の維持ができないことは実証される。
個人でも大企業でも程度の差こそあれ、活動停止による経済的打撃は大きい。
一生涯、死ぬまで働き続けなくてはならないと思っているけれど、それは自発的思考なのか、他者から与えられた思想なのかはわからない。
少なくとも、経済的運営手法や先見性は必要だけれど、個人的に金を儲けるために生きるというのはくだらないと結論している。
どんなに自分の生活が苦しかったとしても、集団的活動や巨大資本を動かして、自分のやりたいことを実行するのは別次元なので。
むしろ個人的資本がないほうが、和を重視する日本においては、巨大資本は動かしやすいのではとも思う。
信用経済の概念でもある。
個人的欲求とモラルの問題で。
短絡的欲求で判断する人は先見性も期待できないので、計画的な思考による遂行能力という信用は得られにくい。
「大企業だから」という価値観があり、先見性のある計画的遂行能力を信頼されていると思われるけれど、すべての大企業が理性的な判断をしているわけでもない。
それは公務員や行政や政治判断にも言えるわけです。
政治家すべてが高度な先見性と思考発言行動ができるわけでもない。
とんでもないへっぽこ人間を政治に送り込んでいる場合もあるし、その政治家が起こす不祥事を見て、「他人の振り見て我が振り直せとはこのことだよなぁ」と思う。
あなた達、報道されている政治家の不祥事よりひどいことしてますから。
個人的にそのような価値観で一つの生活手法を得てしまっているので、諸外国でも通用するかどうかは未知数。
短絡的思考の地方的ローカルなルールによる「和」は、人の多様性を容認できないで、非常に低い人間レベルに平準化されるし、それは大嫌いな文化だけど。
「日本の国という価値観がローカルではなくグローバルだ」とも思わないため、検証したいところです。
逮捕や罰金などといった政治司法的強制力なく、感染症パンデミックを抑えられる国民性というのも、世界的には特異な文化だよなぁ。
それだけ批判や報道などの、情報による「和」のチカラで集団行動抑制できるのは、すごいと思うとともに、脅威でもある。