いつも Katagai さんは、12月の総会時に、来る1年分4つの作品原稿を下さっている。いま預かっているのは変則的に戴いたものも含めて8作品。ちょうど2年分である。
この7日、七福神参りでお会いした時に、ちょっと心に刻むひとことを戴いた。また後ほど改めてここに書き記したいと思っている。
総会の時に「会報いちよう」についての話題が持ち上がった。
「この年会費では、あのように立派な会報を出すのは大変じゃないか」とか、「散歩参加者の会費を上げたらどうか」とか、「会員とゲストではやはり参加費に差があっても自然ではないか」など、「ここまで作り上げるには誰かが被っているに違いない」など編集者に対する思いやりからの発言が投げかけられた。
しかし、このように成長したのは当然のことだが編集者だけの努力ではない。会員の皆さんが会報を盛り上げて下さっているし、努力され協力を惜しみないからである。それは決して見逃すことはできない。寄せられた原稿を開くと皆さんのお顔が見えて、懸命に後押しされていることを感じるので、それにお応えする喜びも大きいからである。
この会報には、働き盛りの過去に原稿料を戴いて書いていた方もいらっしゃるのにボランティア。
編集面にしても応分の給料を戴いていた経験もあったのにボランティア。
そんなことを引き合いに出しても仕方がないし、関係ないこと。
それこそ大変な部数を出すような営利目的の出版物ならいざ知らず、これはほんの一握りの会員またはそのゲストに渡すだけの、“和”と“輪”が目的の出版なのである。はじめからボランティアのつもりで、会報編集の“舟をこぎ出した”のである。
会報を介しての会員間の交流を夢みて編集したのが最大の目的。そのうちに会員の皆さまに素晴らしい才能を見せて頂ける場にもなって、メンバー揃いが判ってきて頼もしくも思った。
編集しての楽しみ喜び…引いては遣り甲斐さえも感じさせて戴いているし、「だからこそ…」と自負も持たせて戴いている。
はじめの頃は「会報に原稿を寄せて下さい」と、皆さんのお顔を見るたびにお願いしていて、「彼女には近寄らないようにしよう」とか冗談を言われながら、怖がられ、嫌がられていたと思う。そして年数、回数を重ねた今は、素晴らしい原稿が自然に集まってきている状況で嬉しい限りとなっている。
なんと誇らしい飛躍ではなかろうか! 編集者としては、ただひたすらに嬉しいことと喜んでいるのである。
ただ今、「いちよう 38号」のために寄せて下さっている原稿は、Katagai さん(読書・読後感の作品)、Kadoyama さん(心に留め置くテーマ作品)、 kiuchi さん(七福神の感想)、Tabuchi さん(シリーズのNO4作品)です。
発行は3月1日付ですので、どうぞ今からのご準備で遅くありません。
ご遠慮なく作品をお寄せ下さいませ。
とくにお若かったころのことを、書き記してみませんか? 読み手は頑張っていたからこの現在があるのだと心から思います。
奥ゆかしい皆さんは、「自慢話」に取られるかも?と心配されたり、お考えになる方も、居られるかも知れない。寄稿される皆さんは、マナーをもって書いて居られるので、決してそういう風には受け取れはしないのだ。
どうぞ安心なさって、お書き下さるよう…ハッスルして挑戦してみて下さい。
個人の思い出だけに埋もれないで、会報へ引っ張り上げて登場されることを、お願いしたい。