本棚7個じゃ足りません!

引っ越しのたびに蔵書の山に悩む主婦…
最近は二匹の猫の話題ばかりです

ご存知『ナイルに死す』と『ナイル殺人事件』

2006年06月09日 | 

かの有名な『ナイルに死す』、先日読み返しました。
最初は図書館で借りて読んだ本です。
結婚してから、夫所蔵(しかし買ったまま未読)の文庫本を貰いました。
再読後、なんとなく連想で、
昔の映画『ナイル殺人事件』も観る。
原作との違いが面白いです。

 <ちょこっとネタバレ注意ですよー!>

旅行に出るたび、殺人事件にぶつかるポアロさん。
(名探偵はいつもそうだ
そんな都合よく、容疑者たちが一箇所に集まるかいな、と思うけど。

怪しい人がいっぱい。
一見ちゃんとしたアリバイばかり。
でも外部の者の仕業ではない。
目撃者は全てを探偵に打ち明ける前に殺される。
全部推理ものの“お約束”なんである。

原作は登場人物が多く、様々な事情がからんで複雑です。
その点、映画は分かりやすく整理されている、かな?
ポアロが仮説を立てるたび、その映像が現れて、
鑑賞者が状況を理解しやすいように工夫している感じ。
トリックの再現も躍動感があるしね。
(鑑定法が進んだ現代では、時代設定を特に強調しないと、
ひたすら無理!な印象を受けてしまいますが)

この『ナイル殺人事件』は、他のクリスティー原作の映画よりも、
すぐれた出来のものだと個人的に思います。
勿論、ピーター・ユスティノフが原作のポアロのイメージとは違うとか、
探偵の手法が全く“らしく”ない、とか、
ポアロと共に捜査を委ねられるレイス大佐が、
本当は何をしているひとか、うまくごまかしたな、とか。
(クリスティーの作品世界で時々現れるレイス大佐。
『茶色の服の男』では渋い存在でした)
登場人物削減で、犯人がすぐ分かっちゃうだろ、とか。
やはりツッコミどころはたくさんあります。

でも単独に一つの映画として観れば、結構面白いです。
キャストもすごい。
ミア・ファローもジェーン・バーキンも出てるしね!
ハリポタ“マクゴナガル先生”のマギー・スミスも、
ミス・マープル&ジェシカおばさんの事件簿のアンジェラ・ランズベリーも、
『十二人の怒れる男』のジャック・ウォーデンも出てる。
『ロミオとジュリエット』のオリビア・ハッセーも出ていました。
「この人どっかで見たことあるよ!」といった素朴な喜び。

原作と映画の推理劇を楽しんだ後で、
ふと感じたのは、被害者の哀れなまでの傲慢さ、です。
惨劇の場には動機を持つ敵ばかりが揃っていた、
という設定は、フィクションではよくあることだけど。
敵意の気配を察して不安そうな様子なのに、
自分がなぜ憎悪を招いているのかまったく気づいていないのも、
哀しいことだと思う。

(そこで、某氏の『私がみなさんに嫌われたのは、
お金をたくさん稼いだからでしょう』的発言に思いをはせたり…。
わたしはそれ、ちょっとピントがずれてる、という気がするの

己の正当性を確信して行動しても、
別のルールで生きている人間にとっては、理不尽に見えるわけで。
善意でものを言っても、時には好意的に解釈されない時がある。
おそらく被害者は、それが理解できなかったんでしょうね。
(特に物質が)充たされているひとは、
他者の心の動きを想像するのが難しいのかもしれません…。

そうすると何か足りない思いをしたり、
失ってつらい気持ちになったりすることも、
ネガティブな感情であまり味わいたくはないけれど、
人間として、大切なことなんだろうなぁ。

などと、しみじみ考えちゃったりしました。
クリスティー作品には時々、
「見るからに幸福の絶頂、のようでいて、
実は痛ましいくらい鈍感」な人物が登場しますが、
この事件の被害者はその典型でした。

長編ではラストでカップルが誕生することが多いので、
それが救いというか、新たな希望ですね。



『ナイルに死す』アガサ・クリスティー 早川書房 1984
『ナイル殺人事件』1978 監督ジョン・ギラーミン 出演ピーター・ユスティノフ




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