いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

松薪(まき)を焚(た)く行事・・・いわき平町の盆行事のハイライトだった。

2013-06-21 09:01:11 | いわき学

毎年
「あじさい」を楽しませてくれるお宅です。
道路沿いにありますので撮影してみました。
松薪(まき)を焚(た)く・・・いわき平町の盆行事のハイライトだった。
昭和9年の夏からできなくなった。


平町の西入口の「長橋町」から
東口(鎌田町)まで、
14から16日の間に4回(のちに3回)
夕方(14日の1回目は暁)に長橋町から順次火がつけられた。
「火の海」だったのでしょう。
画面左から右へ。

先日のいわき学。
「磐城史料歳時民俗記」
大須賀筠軒著
を読む
26回目は7月10日から。
今回は参加者は少なかった。

今回は
☆松薪(まき)を焚(た)く
☆十十王(トジウワウ)・・・十王

を学びました。

P86
街上家々ノ店前ニ、松木ヲ井桁形に積ミ層ヌル。
一、二所、或ハ三、四ケ所、間口ノ廣狭ニ隋フ。
十四日ノ暁、同日ノ暮、十五日、十六日ノ暮ト都合四度、
之ヲ焚ク。
平城ノ西入口長橋町ヨリ焚始メ、町順ヲ遂ヒ、
東口鎌田町ニ焚終ル。(近時ニ及ビ、十四日暁ノ迎火ダケハ廃止セリ。)
火勢天ニ映ジ、白晝ニ異ナラズ。
見物人多ク出ル。
四度トモ火番ノ吏、騎馬ニテ警護アリ。
此火ハ暗二諸害虫ノ蝶ニ化シテ種ヲ遺サントスルモノヲ撲殺ス。
古人之ヲ迎火、送火ニ遇シ、人々ヲシテ行ハザルを得ザラシム。
用意微妙ト謂フベシ。

と書かれています。
これが書かれて40年以上たった
昭和9年(1934年)夏からできなくなったと。

この間の事情は
小宅幸一先生
いわき民報6月14日(金)
平七夕まつり考
に書かれています。

「・・・江戸時代から続く伝統行事で、旧暦のお盆の時期、
各商家では松薪を三角形に高く積み、火事にならないように
町火消し役が見守る中、夕方になると一斉に火がつけられた。
高台の松ヶ岡公園から見る夕暮れから夜にかけての街は、
まるで”火の海”の彩だった。
「平小唄にも「一度来てみな いわきの平へ まちは火の海 じゃんがら踊り」と歌われ、
松焚きからじゃんがら盆踊りへと流れていくのが好例だった」

と書かれています。

それが、
昭和9年夏前に
本町通りにアスファルト舗装が進められて、
だんだんすたれる原因になったと書かれています。

時代とともに
行事も変わらざるを得ないようです。

十王は次回。

 

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