この講座開催時の生涯学習プラザに
飾られていました生花。
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斬新に感じました。
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今回の小野先生が紹介された方々の
著作の一部をレジメとしていただきました。
興味のある人々の著作は総合図書館にあるようですので、
読んでみたいです。
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大原幽学など不遇のうちに亡くなられた著作は
読みたいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/2f/9b5433840a576df88c8961be3103fd66.jpg)
雷電・新島襄も面白そうです。
レジメにはない
長谷川伯成の
旧延岡藩士で岩手県の盛岡監獄から放免されて、
足が悪いので、政府が人力車を用意して、
磐城藩主を務めた内藤家ゆかりの
磐城を回った著作はぜひ読みたいです。
今日のいわきは秋晴の好天です。
朝晩は寒くなり長袖が必要になりました。
ちょっと動きますと汗ばみますが・・・・
今日で今年も4分の3が終了。
月日は早い!!
早朝からは
家庭菜園の
「きゅうり」「かぼちゃ」を解体したところへ
「春菊」「第2弾辛み大根3種」を植える作業に汗を流しました。
畑は常にフル回転?
先日
いわきヒューマンカレッジでの講座
昨年から続いての小野先生によるテーマで
2回目となり
地味な内容のテーマですが、
いのししにとり
興味深いテーマの講座でした。
講座レジメを抜粋しました。
磐城を訪れた旅人たちの記録
~宝暦(1751年)~明治まで~
講師は小野一雄先生(いわき市文化財保護審議会会長)でした。
☆宝暦十年(1760年)長久保赤水・・・東奥(とうおう)紀行(きこう)
地理学者・水戸藩士・・・総勢七人の騎馬日記
☆安永七年(1778年)伊能 忠敬・・・奥州(おうしゅう)紀行(きこう)
妻と松島見物のため、六月に磐城を通る。
☆天明八年(1788年)古川古松軒・・・東遊(とうゆう)雑記(ざっき)
岡山県の人。幕府の巡検使に随行して東北から北海道まで視察した紀行文
☆享和元年(1801年)伊能 忠敬・・・沿海(えんかい)日記(にっき)
伊豆より奥州までの海洋地図作成を幕府より命ぜられ四月壱日に江戸を出立。
八月五日に平潟より小名浜に向かう。
☆文化三年(1806年)雷電為右衛門・・・諸国(しょこく)相撲(すもう)控帳(ひかえちょう)
四月に奥州巡業のため江戸を出立。
五月六日に小名浜に到着。十八日まで逗留し十九日から五日間興行する。
その後、湯本・神谷で興行し、平潟に移動。
☆文政六年(1823年)成田 鶴斎・・・南僑記游(なんきょうきゆう)
二本松藩士。三月五日~二十三日までの旅日記。
三月十七日に勿来から磐城入りし湯本から平へ到着。
専称寺などを回り合戸・市萱を経て三坂へ。
☆文政十年(1827年)小宮山楓軒・・・浴(よく)陸奥(むつ)温泉記(おんせんき)
水戸藩士。鳴子温泉へ出かけた旅日記。
勿来を経て、植田、新田、湯本、平、四倉、久之浜を廻る。
☆天保七年(1836年)大原 幽学
・・・「諸君子(しょくんし)句集(くしゅう)」「陸奥(みちのく)つれづれ草(ぐさ)」
江戸時代後期の農政学者・農民指導者。千葉県。
二月八日日立より磐城に入り平に泊まり仙台・松島へむかった。
☆嘉永七年(1854年)牟田文之助・・・諸国廻暦(しょこくかいれき)日記(にっき)
佐賀藩士。剣術修行のため、諸国を廻歴した記録。
五月十四日に石住村から入り湯本を経て、平藩と笠間藩神谷陣屋出て合わせ。
十九日に富岡泊まり。
☆安政二年(1855年)小笠原貞道・・・磐(いわ)城(き)温泉(おんせん)日記(にっき)
水戸藩士。長年の疾病を治すため、湯本温泉に湯治に向かった際の日記。
湯本滞在の様子や、平城下、赤井嶽を訪れた記述も。
☆元治元年(1864年)新島 譲・・・函館(はこだて)紀行(きこう)
三月、江戸を出航し函館に向かう途中、中之作港に寄港する。
船頭の所用にて数日間逗留する。
その間、平城下に行、民情を視察する。
☆慶応四年(1868年)輪王寺宮公現法親王
・・・能(よし)久(ひさ)親王(しんのう)御遺蹟(ごいせき)建碑志(けんぴし)
五月二十八日平潟港に上陸。
鈴木主水宅で休憩し駕籠で関田・中田・植田を経て、
甘露寺村慈眼院に一宿した。
翌日、泉田村、湯長屋を通り、湯本の井桁屋に入り休息。
平藩士の出迎えを受けて出立、尼子橋を渡って長橋門をくぐり
平城下へ入った。
藩士に先導され高月の飯野家屋敷に到着。
八幡宮神主飯野磯之進の出迎えを受けた。
☆明治十三年(1880年)長谷川伯成・・・奥州(おうしゅう)日記(にっき)
西南戦争(明治十年)で薩摩軍に同調し(延岡藩士)
岩手県盛岡監獄(三年)に収監された旧延岡藩士。
明治十三年に放免となり、延岡帰着までの旅日記を記す。
途中、郡山から磐城に立ち寄り、、祖先の故地を訪ねる。
いかがでしょうか。
様々な方々が磐城を訪れて記録が残されていることに驚きます。
深く知るには
その方々の本を読むことで理解ができます。
特に興味をひかれたのは
長久保赤水
伊能忠敬
雷電為衛門
大原幽学
新島襄
長谷川伯成で
長谷川伯成などは足が悪かったので、
人力車で、廻ったそうです。
奥州日記を読んでみたいですね。
小野先生
昨年に続いて、
磐城を訪れた方々の著作の紹介
ありがとうございました。