Save the children
昨年たいへん好評であったことや、私自身の希望もあって、もう一度昨年の記事をお伝えします。
(昨年の記事より)
先日、一人の外来患者が紹介されてきた。日本の医学研究の分野でもトップクラスの医学部附属病院からだった。1年ほど前に心筋梗塞を発症し、心臓の血管3本ともに薬剤溶出性ステントを入れたので、正月休みの帰省期間に急変があってはいけないと、これまでの経過が詳細に記されていた。
その患者は言った。「最初の入院で500万円かかった。その3割である150万円を当分の間立て替えることにも苦労した」と、
「ご、五百万円ですか!」思わず私は声をあげた。
経過を見ると手術の選択の方が賢明のように思えた。治療効果のみならず、手術を選択していたなら再閉塞の可能性に帰省期間もおびえる必要などなかっただろう。日本の医学界を担っていける優秀な主治医も、不本意だったに違いない。
しかし現在のシステムでは、ステントを使う治療は内科の売り上げになり、手術の費用は外科の売り上げになる。以前、国立大学附属病院は独立行政法人になり国からの補助も削減された。そのため医学部附属病院は病院経営という競争にさらされることになった。
国立大学附属病院の独立行政法人化により、日本でトップクラスの医学部附属病院でさえも前述したような患者が増え、日本の優秀な医学研究者は経営という課題のなかで、研究のレベルを落とさざるを得なくなっている。それは世界における日本の研究のレベルの低下を意味する。最先端の治療も医学研究も、採算を度外視しなければ成り立たないものであり、それは先日ノーベル賞を受賞された4人の日本人科学者を見ていても明らかなことである。
そもそも、資本主義における利益追求とはいかなるものなのか?
先日、ワールドビジネスサテライトでキャスターが、アメリカで発生したリーマンショックを回避できたであろう方法について延々と語っていたが、それは間違っていると私は思った。現行の金融システムでは、今年の金融破綻は避けられなかった。生産性の全世界の総計は常に一定かあるいは一定の割合でしか変化しないからだ。
ここで一つの寓話で考えたい。
ある所に自給自足で物々交換して暮らしている100人の村人がいた。そこにどこからともなく一人の男が現れて(これがアメリカ式金融システム:銀行である)「物々交換では不便だろう、私がお金というものを貸してあげるので、試してみなさい」と言って、一人に10万円を貸した。
村人たちは、お金のおかげで生活が便利になりお金を手放せなくなった。そこに前回の男が現れ、「どうですか、便利になったでしょう。でも今回からはただでお金を貸すわけにはいきません。私は皆さんを信用していますから1年間10万円を貸しましょう。でも1年後には11万円返して下さい」と言って去っていった。
村人たちは1万円の利益が必要になったため、商売に工夫をするようになるが、結局、前述したように村全体の生産性は変わらないので、誰かが10万円を12万円にできれば、誰かが10万円を8万円にしてしまうシステムに他ならない。この村全体に流通しているお金は10万円X100人分だけであり、1年後に1,100万円を返却するのは理論的に不可能である。男は最初から無理なことを知っているのだ。
そこに例の男が現れた。「どうも商売が下手な人がいるようですね。もう一年待ってあげるけれど、今度はリスクが高いので12万円返してもらいます。そのかわり12万円返してもらえなければ店の権利をいただきます」と言い去っていった。
こうして村人たちの仕事の目的は、これまでのように人々が必要とする物を提供することから、お金を稼ぐことに変わっていった。
このような目的の変化は、手術を選択しないでステントを使う治療に500万円を費やしてしまった主治医の行為に似てはいないだろうか?
この話には続きがある。利益を追求することを迫られた村人は、ワインに目をつける。「このワインは今は1万円だけれど、1年間ねかせると芳醇度が増し2万円になる。私はワインの専門家だから信用してほしい」とワインを売った。そのワインを買った客は「さらにねかせると4万円で売れる」と言い、他の客に2万円で売り1万円の利益を得た。
しかし、お分かりのように芳醇度が増すというのは村人の期待だけで形成された幻にすぎない。誰かがいつかその事に気がつき、16万円にまで値上がりしたワインは2万円でも売れなくなる。
この話の中で誰が諸悪の根源か?そう、銀行である。村人は利用されているだけである。「あなたを信用するからお金を貸す」、「ワインの値段が上がるのを信用してくれ」といった信用創造は銀行の詐欺行為であることがわかる。現実では紙幣を印刷して増やすという行為があるのでこれほど単純ではないが、この「村」で起こったことを「全世界」に例えてみるとわかりやすい。
現実問題として、全世界という視野からみれば銀行の行っていることは同様の行為である。この瞬間にも世界のどこかで、ある銀行家が「気がつくのが遅いよ」と全世界の人々のことをあざ笑っているかもしれないのである。
皆さんは今、銀行の奴隷となって働いていないでしょうか?
誰かが得をしたから誰かが損をした。しかし全世界からみれば日本はまだましなのかもしれない。
そんなわけで(どんなわけかよくわからないが)、私はこの1年間を深く反省し、おせち料理の購入に充てていた1万円をSave the childrenに寄付をして、私の子どもたちにも1,000円ずつ寄付をさせた。3,000円で40人の子どもの食事がまかなえるそうだ。
(昨年の記事より)
今年は、この写真の子の眼差しに涙し、おせち料理の購入を完全に止め、3万円をSave the childrenに寄付しました。私の愛する子供たちへのお守りにもなると思って・・・
そして、子どもたちも千円ずつ寄付をしました。
(このブログの意図に反して、完全に不合理な考え方ですね。申し訳ありません)。
それでは皆様、よいお年を!
Save the children
みなさ~ん、最近ここ↓をぽちっとすること忘れていませんか~?
なるほどためになったという皆さん!ここをぽちっとよろしくお願いいたします!
昨年たいへん好評であったことや、私自身の希望もあって、もう一度昨年の記事をお伝えします。
(昨年の記事より)
先日、一人の外来患者が紹介されてきた。日本の医学研究の分野でもトップクラスの医学部附属病院からだった。1年ほど前に心筋梗塞を発症し、心臓の血管3本ともに薬剤溶出性ステントを入れたので、正月休みの帰省期間に急変があってはいけないと、これまでの経過が詳細に記されていた。
その患者は言った。「最初の入院で500万円かかった。その3割である150万円を当分の間立て替えることにも苦労した」と、
「ご、五百万円ですか!」思わず私は声をあげた。
経過を見ると手術の選択の方が賢明のように思えた。治療効果のみならず、手術を選択していたなら再閉塞の可能性に帰省期間もおびえる必要などなかっただろう。日本の医学界を担っていける優秀な主治医も、不本意だったに違いない。
しかし現在のシステムでは、ステントを使う治療は内科の売り上げになり、手術の費用は外科の売り上げになる。以前、国立大学附属病院は独立行政法人になり国からの補助も削減された。そのため医学部附属病院は病院経営という競争にさらされることになった。
国立大学附属病院の独立行政法人化により、日本でトップクラスの医学部附属病院でさえも前述したような患者が増え、日本の優秀な医学研究者は経営という課題のなかで、研究のレベルを落とさざるを得なくなっている。それは世界における日本の研究のレベルの低下を意味する。最先端の治療も医学研究も、採算を度外視しなければ成り立たないものであり、それは先日ノーベル賞を受賞された4人の日本人科学者を見ていても明らかなことである。
そもそも、資本主義における利益追求とはいかなるものなのか?
先日、ワールドビジネスサテライトでキャスターが、アメリカで発生したリーマンショックを回避できたであろう方法について延々と語っていたが、それは間違っていると私は思った。現行の金融システムでは、今年の金融破綻は避けられなかった。生産性の全世界の総計は常に一定かあるいは一定の割合でしか変化しないからだ。
ここで一つの寓話で考えたい。
ある所に自給自足で物々交換して暮らしている100人の村人がいた。そこにどこからともなく一人の男が現れて(これがアメリカ式金融システム:銀行である)「物々交換では不便だろう、私がお金というものを貸してあげるので、試してみなさい」と言って、一人に10万円を貸した。
村人たちは、お金のおかげで生活が便利になりお金を手放せなくなった。そこに前回の男が現れ、「どうですか、便利になったでしょう。でも今回からはただでお金を貸すわけにはいきません。私は皆さんを信用していますから1年間10万円を貸しましょう。でも1年後には11万円返して下さい」と言って去っていった。
村人たちは1万円の利益が必要になったため、商売に工夫をするようになるが、結局、前述したように村全体の生産性は変わらないので、誰かが10万円を12万円にできれば、誰かが10万円を8万円にしてしまうシステムに他ならない。この村全体に流通しているお金は10万円X100人分だけであり、1年後に1,100万円を返却するのは理論的に不可能である。男は最初から無理なことを知っているのだ。
そこに例の男が現れた。「どうも商売が下手な人がいるようですね。もう一年待ってあげるけれど、今度はリスクが高いので12万円返してもらいます。そのかわり12万円返してもらえなければ店の権利をいただきます」と言い去っていった。
こうして村人たちの仕事の目的は、これまでのように人々が必要とする物を提供することから、お金を稼ぐことに変わっていった。
このような目的の変化は、手術を選択しないでステントを使う治療に500万円を費やしてしまった主治医の行為に似てはいないだろうか?
この話には続きがある。利益を追求することを迫られた村人は、ワインに目をつける。「このワインは今は1万円だけれど、1年間ねかせると芳醇度が増し2万円になる。私はワインの専門家だから信用してほしい」とワインを売った。そのワインを買った客は「さらにねかせると4万円で売れる」と言い、他の客に2万円で売り1万円の利益を得た。
しかし、お分かりのように芳醇度が増すというのは村人の期待だけで形成された幻にすぎない。誰かがいつかその事に気がつき、16万円にまで値上がりしたワインは2万円でも売れなくなる。
この話の中で誰が諸悪の根源か?そう、銀行である。村人は利用されているだけである。「あなたを信用するからお金を貸す」、「ワインの値段が上がるのを信用してくれ」といった信用創造は銀行の詐欺行為であることがわかる。現実では紙幣を印刷して増やすという行為があるのでこれほど単純ではないが、この「村」で起こったことを「全世界」に例えてみるとわかりやすい。
現実問題として、全世界という視野からみれば銀行の行っていることは同様の行為である。この瞬間にも世界のどこかで、ある銀行家が「気がつくのが遅いよ」と全世界の人々のことをあざ笑っているかもしれないのである。
皆さんは今、銀行の奴隷となって働いていないでしょうか?
誰かが得をしたから誰かが損をした。しかし全世界からみれば日本はまだましなのかもしれない。
そんなわけで(どんなわけかよくわからないが)、私はこの1年間を深く反省し、おせち料理の購入に充てていた1万円をSave the childrenに寄付をして、私の子どもたちにも1,000円ずつ寄付をさせた。3,000円で40人の子どもの食事がまかなえるそうだ。
(昨年の記事より)
今年は、この写真の子の眼差しに涙し、おせち料理の購入を完全に止め、3万円をSave the childrenに寄付しました。私の愛する子供たちへのお守りにもなると思って・・・
そして、子どもたちも千円ずつ寄付をしました。
(このブログの意図に反して、完全に不合理な考え方ですね。申し訳ありません)。
それでは皆様、よいお年を!
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