こないだテレビで「女性のお一人様について」というテーマで番組をやっていた。
がっちりアカデミーね。
女性が一人で暮らしていくいろんなケースを紹介していました。
ダンナに先立たれて事業を始めたり、老後をどう過ごすか・・
そんな内容でした。
その中で、現在離婚計画進行中というある主婦の話を取り上げていて
「あーあー」と感じたので少し書いてみましょう。
その主婦はダンナが子育てに協力的でなかったり、匂いが嫌だとか
なんかいろんなことを言ってましたが、子供が手を離れたら離婚をするという
決意で今から貯金をしたり、いろいろ準備してるそうです。
離婚したらカフェをやりたいので今から食器をこっそり集めたりとかね。
まぁ、この奥さん、幸せにはなれない気がします。
奥さんにとってみたら、ダンナが協力的でないのが原因で自分は
不幸である。
そんなダンナと離婚をすれば今よりも素敵な毎日が未来にはある。
そんなダンナと離婚をする準備をしている今は夢の実現過程であり
充実している。
と、まぁそんな風に思っているのでは?
一見、家事、子育てに協力的でないダンナに非があるように思えます。
が、根本の問題は奥さんがダンナは自分の思い通りに動くべき
と勘違いしていることです。
一度結婚したからにはダンナは家事、育児に協力的であるべきだとは思います。
「でも、わざわざそんなこと言わなくてもダンナは協力して当然でしょ!?」と
奥さんが思い込んでいるのが実は危ないのですね~
ダンナに家事、育児に協力的であって欲しいのはあくまでも奥さんの希望でしょう?
だから、育児にも非協力的で、毎晩飲んで遅く帰宅するのが気に食わないんでしょ?
この部分を自覚しないと。
で、ここから巧妙にすり替わるのですが、気に食わないのは自分に対して
非協力的だからではなく、「普通は、世間的には、常識として」ダンナの姿勢が
オカシイから私は不愉快である!と思ってしまうのですよ。
自分はこうして欲しいのにダンナはそうしてくれないから不愉快、悲しい、腹が立つ。
自分の思い通りに他人が動いてくれないので腹が立つのだけど、それだとなんか
わがままっぽいから、世間の常識では・・と後ろ盾をとって、堂々と怒る。
他人同士が暮らしていくわけだから、お互いの「我」がぶつかるし、
相手が自分の思い通りに動かないのは当然。
ここすらわからないと、どこにいっても人間関係ではストレスを抱えることになる。
「他人(自分以外の全ての人)は自分の希望通りには動きません」
字面で読んでみて分かった気になってもダメ。
実際、相手が思い通りに動かなくってイラついてるんだから、それは
わかっていないってことです。
それで、自分の思い通りに相手が動かないことでイラついてるのでは
幼稚っぽいから、巧妙にすり替えをし世間様の常識に後ろ盾いただいて、
堂々とイラつく。
それの何が問題かというと、不満を相手に直接訴えなくなるんです。
自分の不満を相手に訴えるのは多くの人にとって結構な負担なのです。
出来れば相手に察して欲しい、いちいち口に出さなくても気づいて欲しい。
そう思うのは自分の負担が嫌だからなんです。
でもお互いが関係を維持していくには、解決できる問題は解決する努力をすべきです。
きちんと自分の不満を相手に伝えないといけないんだけど、それが本当は負担だから
「っていうか、言わなくても常識なんだから分かって欲しいよね」と飲み込む。
飲み込むと相手にはもちろん届かずに、イライラのエネルギーだけきっちり残ります。
きっちり残って自分の心の中で反響し続ける。
問題はまーーーったく解決せずにむしろイライラのエネルギーだけが蓄積する。
奥さんは自分がすべきだった対話への努力を避けてきた、ということはもう
自覚していないはずです。
「もう諦めてますよ」と開き直った態度を演じ、努力を避けていることを
見ようとしない。
実は問題の根本は、そうやって問題の解決に取り組んでこなかったことなのね。
何かの魔法でダンナが家事、育児に協力的に変わったらこの夫婦の問題は
解決するか?って言ったら、まぁ、しないですよ。
他人なんだから、すれ違いは永遠に出てくる。
それを解決する能力が無いのだから、不満がなくなることは無いでしょう。
そのたびに「まったく、普通はさ~」とか不満を飲み込み続ける。
飲み込まないにしても「普通はさ~」とか「常識でしょ!?」という切り口で攻めると、
たいていは上手くいきません。
裏にある、あざとさみたいなのを無意識に感じ取ってしまうのですね。
「私はあなたが育児にも協力的でなく、毎晩飲んで遅く帰宅しているのが
どうしても耐えられない。あなたの考えを聞かせて欲しい」
というように、あざとく自分の意見の後ろ盾を取ろうとせずに
本音で対話できれば、相手も少しは耳を傾けるんじゃないでしょうかね?
対話しきって、やるだけぜんぶやったけど、すりあわせが出来なかったので
離婚します。ってんなら別にいいけどさ、ダンナに内緒でコソコソと離婚準備
するような嫁が、「対話は、やるだけやった!」と言えるとは思えません。
自分以外のもの、人が思うようにならなくて苦しんでいるのに、
それを解決しようと動くこともしない人が幸せになれる道理がありませんよねぇ。
がっちりアカデミーね。
女性が一人で暮らしていくいろんなケースを紹介していました。
ダンナに先立たれて事業を始めたり、老後をどう過ごすか・・
そんな内容でした。
その中で、現在離婚計画進行中というある主婦の話を取り上げていて
「あーあー」と感じたので少し書いてみましょう。
その主婦はダンナが子育てに協力的でなかったり、匂いが嫌だとか
なんかいろんなことを言ってましたが、子供が手を離れたら離婚をするという
決意で今から貯金をしたり、いろいろ準備してるそうです。
離婚したらカフェをやりたいので今から食器をこっそり集めたりとかね。
まぁ、この奥さん、幸せにはなれない気がします。
奥さんにとってみたら、ダンナが協力的でないのが原因で自分は
不幸である。
そんなダンナと離婚をすれば今よりも素敵な毎日が未来にはある。
そんなダンナと離婚をする準備をしている今は夢の実現過程であり
充実している。
と、まぁそんな風に思っているのでは?
一見、家事、子育てに協力的でないダンナに非があるように思えます。
が、根本の問題は奥さんがダンナは自分の思い通りに動くべき
と勘違いしていることです。
一度結婚したからにはダンナは家事、育児に協力的であるべきだとは思います。
「でも、わざわざそんなこと言わなくてもダンナは協力して当然でしょ!?」と
奥さんが思い込んでいるのが実は危ないのですね~
ダンナに家事、育児に協力的であって欲しいのはあくまでも奥さんの希望でしょう?
だから、育児にも非協力的で、毎晩飲んで遅く帰宅するのが気に食わないんでしょ?
この部分を自覚しないと。
で、ここから巧妙にすり替わるのですが、気に食わないのは自分に対して
非協力的だからではなく、「普通は、世間的には、常識として」ダンナの姿勢が
オカシイから私は不愉快である!と思ってしまうのですよ。
自分はこうして欲しいのにダンナはそうしてくれないから不愉快、悲しい、腹が立つ。
自分の思い通りに他人が動いてくれないので腹が立つのだけど、それだとなんか
わがままっぽいから、世間の常識では・・と後ろ盾をとって、堂々と怒る。
他人同士が暮らしていくわけだから、お互いの「我」がぶつかるし、
相手が自分の思い通りに動かないのは当然。
ここすらわからないと、どこにいっても人間関係ではストレスを抱えることになる。
「他人(自分以外の全ての人)は自分の希望通りには動きません」
字面で読んでみて分かった気になってもダメ。
実際、相手が思い通りに動かなくってイラついてるんだから、それは
わかっていないってことです。
それで、自分の思い通りに相手が動かないことでイラついてるのでは
幼稚っぽいから、巧妙にすり替えをし世間様の常識に後ろ盾いただいて、
堂々とイラつく。
それの何が問題かというと、不満を相手に直接訴えなくなるんです。
自分の不満を相手に訴えるのは多くの人にとって結構な負担なのです。
出来れば相手に察して欲しい、いちいち口に出さなくても気づいて欲しい。
そう思うのは自分の負担が嫌だからなんです。
でもお互いが関係を維持していくには、解決できる問題は解決する努力をすべきです。
きちんと自分の不満を相手に伝えないといけないんだけど、それが本当は負担だから
「っていうか、言わなくても常識なんだから分かって欲しいよね」と飲み込む。
飲み込むと相手にはもちろん届かずに、イライラのエネルギーだけきっちり残ります。
きっちり残って自分の心の中で反響し続ける。
問題はまーーーったく解決せずにむしろイライラのエネルギーだけが蓄積する。
奥さんは自分がすべきだった対話への努力を避けてきた、ということはもう
自覚していないはずです。
「もう諦めてますよ」と開き直った態度を演じ、努力を避けていることを
見ようとしない。
実は問題の根本は、そうやって問題の解決に取り組んでこなかったことなのね。
何かの魔法でダンナが家事、育児に協力的に変わったらこの夫婦の問題は
解決するか?って言ったら、まぁ、しないですよ。
他人なんだから、すれ違いは永遠に出てくる。
それを解決する能力が無いのだから、不満がなくなることは無いでしょう。
そのたびに「まったく、普通はさ~」とか不満を飲み込み続ける。
飲み込まないにしても「普通はさ~」とか「常識でしょ!?」という切り口で攻めると、
たいていは上手くいきません。
裏にある、あざとさみたいなのを無意識に感じ取ってしまうのですね。
「私はあなたが育児にも協力的でなく、毎晩飲んで遅く帰宅しているのが
どうしても耐えられない。あなたの考えを聞かせて欲しい」
というように、あざとく自分の意見の後ろ盾を取ろうとせずに
本音で対話できれば、相手も少しは耳を傾けるんじゃないでしょうかね?
対話しきって、やるだけぜんぶやったけど、すりあわせが出来なかったので
離婚します。ってんなら別にいいけどさ、ダンナに内緒でコソコソと離婚準備
するような嫁が、「対話は、やるだけやった!」と言えるとは思えません。
自分以外のもの、人が思うようにならなくて苦しんでいるのに、
それを解決しようと動くこともしない人が幸せになれる道理がありませんよねぇ。
それにしても、「あざとい」っていう言葉はスゴイ。
他のどんな言葉にも置き換えられない。
久しぶりにのぞいてみましたが、
相変わらず院長の文章、オモシロイですな。
相手を攻める際に後ろ盾を固めるのは、やはり「自分はこういう人間だと見られたい」という思いがあるからですね。
「あなたに対しての要望は決して私のエゴからくる要望でなく、世間一般の常識として求められているものですよ。私をわがままなんて思うのはお門違いですよ」くらいの感じでしょうか。
「私はいいと思うんだけどさ、あなたの仕事っぷり、裏で悪く言ってる人結構多いみたいよ。私はまぁいいと思うんだけどね」
なんて言い草を実際に耳にすることは多いですね。
自分の口をついて出たそんな言葉には
「私はそんな嫌な人間とは違いますよ。親切に忠告をしてあげるような人間だと思って欲しいんですよ」という裏の思惑があります。
残念ながら、絶対にある。
へんな後ろ盾をあざとく使わずに、自分が相手のどういうことを不快に思って苦しんでいるか、怒りを込めずに伝えるのが一番ストレートに届くのですがね。
下手な策を弄すると上手くいきません。
だから、離婚した経験のある女性って何度も平気な顔して相手に原因を擦り付けて離婚できるんだと思います。
それを女性に話しすると反感かって、思いっきりイメージ下がりますが、そうなんだもん。
プライドの高い女性って自分の非というか負の部分は表に出ないように理由つけて相手を強引に反省させる事ってあるように思います。
あざとくて卑怯で男がその場になったら引くしかない状況に持っていくこれでは反省のしようがありません。
世の女性にこのブログを見せてなんか反論あったら教えて欲しいです。
その位素晴らしいブログです♪
曲解されやすい内容だったかも知れませんが、補足いたしますと「女ってだいたいさ~」という事を書こうとしたわけでは全然無いんですよね。
夫婦間の問題ではダンナへの不満を密かに持っている女性・・という図式のほうがその逆よりも多いかとは思いますが、議論の際に後ろ盾を取る行為、そして議論するといった努力そのものから逃げる傾向にあるのは男女、差は無いと思います。
差があったとしても、それは別に問題ではないです。
自分たちはどうなのか?ってことです。
勇気を出した奥さんの相談を「疲れてるんだ」とか「家庭のことは任せてあるだろ」と逃げるダンナだったら、それも等しく問題です。
身の回りを見渡す限りにおいても、こんなケースはとても多いと思います。
「不満を飲み込みがちな女性、議論から逃げがちな男性。」
乱暴ですが、こんな図式が院長のイメージにあります。
せめてどちらか一方に知恵があり、忍耐があれば問題の解決を果たせる可能性は高いですね。
両方オバカサンでは希望は薄いです。