遅めの夏休みで奈良旅行に行く前辺りの時期が院長にとっては
気分のムラが大きくとても具合の良くない時期でした。
こんな気分で旅行なんて行っても気分が不安定で、ちっとも
楽しめないかもな~なんて思ってましたが、宿やら新幹線のチケットは
予約を取っていたし、奥さんは初めて行く奈良旅行をえらく
楽しみにしていたようでしたので、黙って行くことにしました。
旅行中は心のお稽古に取り組むいい機会だと思い、
心を波立たせないよう心がけました。
具体的には、耳に聞こえる音、目に見えるもの、肌に感じる風、鼻に入る匂い、
それぞれに「今度は耳」とか「今度は目」といったように、その感覚に
集中することを旅行中は心がけた。
食事中は口に入っている食べ物の味、食感、噛んでいくうちにドロドロと
状態が変わっていく様、飲み込んだ食べ物が胃の中に落ちていくまでを
集中して感じるようにした。
寺の境内を歩いているときは砂利の音で、自分の周りに何人くらいの
人が歩いているのか当てるように注意深く耳を立てたし、
目に見える緑にも、どんな種類の緑があるのか、その時その時の
五感をフルに使って、感覚を研ぎ澄ます稽古をしていました。
そうやって五感に集中している間は、何かにイライラしたり、
何かを思い出して腹を立てたりすることが無いので、とても楽なのです。
まぁ余暇として旅行に来ているので、忙しい仕事中と比べても
そもそもイラっとするようなことが少ないのも確かなんですが。
旅行中の3日間で、今ある五感に集中し、イラっとせずに
以前は常に引火寸前のようだった状態の心がすっかりクリアになり、
そのことがなんと心地よいことだろう、と心の底から実感できました。
そうするとどうなるかというと、その心地よい状態をずっと
保っておきたい!と思うようになるのです。
イラっとすると心地よくないと実感してるし、イラッとせずに
過ごしたら心地よいのだと、自分の身をもって理解できました。
「イライラしてもいいことなんか無いよ~」なんて他人から言われたって
ダメなんです。
そんなこと理屈では誰でもわかっているし、でもイライラし始めたら
それを抑えられないし、「わかっちゃいるけど無理だよね~」となる。
イライラした時には身体にはどんな不快な反応がおきて、
それがマイナスの思考の連鎖を生み、いつまでもビリビリと強く
心の中で勝手に暴走しつづけることか。
イライラしないで穏やかにいるときはどんなに心地よく
身体が疲れないのか、それらを徹底的に味わう必要があるのです。
だから、腹が立つことがあってもぐっと歯を食いしばって
怒りを無理やりに飲み込んでしまったり、イキオイに任せて
爆発させてしまったりするのはどちらも仏道的には好ましい方法では
ありません。
「怒っている自分」とカギカッコをつけて客観視し、その時に
起きている身体の反応、不快感をじっと味わいつくすのです。
相手の不愉快な言動や態度を何度も思い出すのではなく、
お腹の中のモヤモヤ、胸の息苦しさ、手足の冷感、浅くなった呼吸
そういった身体の変化をじっくりと観察する。
院長は休みを終え、仕事に戻った後も自分の心の監視を続けました。
引火寸前のガス風船のような心ではなくなったので、イラっとする
ことは圧倒的に少なくなって、それだけでもメチャクチャ楽なんですが
それでも数日に一度くらいは「チリっ」と心が粟立つことがあります。
決して反芻することなく、「イラッとしてるね~」と自分を客観視し
身体に起きている不快な反応をじっくり味わうようにします。
その都度、そういう観察を続けていると、イラっとすることが
いかにタメにならないか、上手く情動を飼いならして心を穏やかに
保っておけたらどんなに楽でいられるのかをしっかりと身をもって
深く理解出来るようになります。
しかも取り組んでから結構早い段階で。
それを仏道では「智慧」と呼びます。
その智慧をつける為の修行法に「八正道」とか「十善戒」とか
あるのですが、まぁそのへんは知りたければググってください。
今までの話をまとめると2つです。
1、日頃から五感に集中し、雑念を払うクセをつけることで、すぐに何か
不快なことを見つけ、イライラするクセが治ってくる。
2、イラッとしても、その火種を反芻せずに身体に起こっている
不快感だけをしっかりと感じ取り、「これは良くない反応だ」と
しっかり知り、理解することで情動をコントロール出来るようになる。
もしも普段の心の不安定さや、すぐに些細なことで怒ってしまう
ようなことに心当たりがあるなら、まずは1、を心がけて
心が穏やかになっていくことの心地よさを体感してみてはどうでしょう?
気分のムラが大きくとても具合の良くない時期でした。
こんな気分で旅行なんて行っても気分が不安定で、ちっとも
楽しめないかもな~なんて思ってましたが、宿やら新幹線のチケットは
予約を取っていたし、奥さんは初めて行く奈良旅行をえらく
楽しみにしていたようでしたので、黙って行くことにしました。
旅行中は心のお稽古に取り組むいい機会だと思い、
心を波立たせないよう心がけました。
具体的には、耳に聞こえる音、目に見えるもの、肌に感じる風、鼻に入る匂い、
それぞれに「今度は耳」とか「今度は目」といったように、その感覚に
集中することを旅行中は心がけた。
食事中は口に入っている食べ物の味、食感、噛んでいくうちにドロドロと
状態が変わっていく様、飲み込んだ食べ物が胃の中に落ちていくまでを
集中して感じるようにした。
寺の境内を歩いているときは砂利の音で、自分の周りに何人くらいの
人が歩いているのか当てるように注意深く耳を立てたし、
目に見える緑にも、どんな種類の緑があるのか、その時その時の
五感をフルに使って、感覚を研ぎ澄ます稽古をしていました。
そうやって五感に集中している間は、何かにイライラしたり、
何かを思い出して腹を立てたりすることが無いので、とても楽なのです。
まぁ余暇として旅行に来ているので、忙しい仕事中と比べても
そもそもイラっとするようなことが少ないのも確かなんですが。
旅行中の3日間で、今ある五感に集中し、イラっとせずに
以前は常に引火寸前のようだった状態の心がすっかりクリアになり、
そのことがなんと心地よいことだろう、と心の底から実感できました。
そうするとどうなるかというと、その心地よい状態をずっと
保っておきたい!と思うようになるのです。
イラっとすると心地よくないと実感してるし、イラッとせずに
過ごしたら心地よいのだと、自分の身をもって理解できました。
「イライラしてもいいことなんか無いよ~」なんて他人から言われたって
ダメなんです。
そんなこと理屈では誰でもわかっているし、でもイライラし始めたら
それを抑えられないし、「わかっちゃいるけど無理だよね~」となる。
イライラした時には身体にはどんな不快な反応がおきて、
それがマイナスの思考の連鎖を生み、いつまでもビリビリと強く
心の中で勝手に暴走しつづけることか。
イライラしないで穏やかにいるときはどんなに心地よく
身体が疲れないのか、それらを徹底的に味わう必要があるのです。
だから、腹が立つことがあってもぐっと歯を食いしばって
怒りを無理やりに飲み込んでしまったり、イキオイに任せて
爆発させてしまったりするのはどちらも仏道的には好ましい方法では
ありません。
「怒っている自分」とカギカッコをつけて客観視し、その時に
起きている身体の反応、不快感をじっと味わいつくすのです。
相手の不愉快な言動や態度を何度も思い出すのではなく、
お腹の中のモヤモヤ、胸の息苦しさ、手足の冷感、浅くなった呼吸
そういった身体の変化をじっくりと観察する。
院長は休みを終え、仕事に戻った後も自分の心の監視を続けました。
引火寸前のガス風船のような心ではなくなったので、イラっとする
ことは圧倒的に少なくなって、それだけでもメチャクチャ楽なんですが
それでも数日に一度くらいは「チリっ」と心が粟立つことがあります。
決して反芻することなく、「イラッとしてるね~」と自分を客観視し
身体に起きている不快な反応をじっくり味わうようにします。
その都度、そういう観察を続けていると、イラっとすることが
いかにタメにならないか、上手く情動を飼いならして心を穏やかに
保っておけたらどんなに楽でいられるのかをしっかりと身をもって
深く理解出来るようになります。
しかも取り組んでから結構早い段階で。
それを仏道では「智慧」と呼びます。
その智慧をつける為の修行法に「八正道」とか「十善戒」とか
あるのですが、まぁそのへんは知りたければググってください。
今までの話をまとめると2つです。
1、日頃から五感に集中し、雑念を払うクセをつけることで、すぐに何か
不快なことを見つけ、イライラするクセが治ってくる。
2、イラッとしても、その火種を反芻せずに身体に起こっている
不快感だけをしっかりと感じ取り、「これは良くない反応だ」と
しっかり知り、理解することで情動をコントロール出来るようになる。
もしも普段の心の不安定さや、すぐに些細なことで怒ってしまう
ようなことに心当たりがあるなら、まずは1、を心がけて
心が穏やかになっていくことの心地よさを体感してみてはどうでしょう?
確かに腹の立つことではあるけど。
人といるときはおおむねニコニコしてるのも院長だし、仕事で忙しくなってくるとどうしようもなくイラついてくるのもやはり同じ院長。
問題は抑えが利かないようなイライラのときは、そんな意識ごとすっとんでしまっていること。
まぁ、だから抑えが利かないんだけど。
仏道で言うところの心のお稽古では、一瞬でも心がざわついたり、舞い上がったり、そんな意識の制御下から外れそうになったらいち早くそれに気づき、今、平常心ではないことをしっかりと自覚すること。
何から何まで悩んでいるタイプではなかったけど、それなりにストレスはあったわけで、それがとーっても楽になったのはかなり大きな転機だったわけです。
もしイラついてる院長をみたら「修行が足りん!」と喝を入れてくださいな。
keijiと二人でニコニコの記憶しかない