花にまつわる幾つもの話

子供時代の花にまつわる思い出や、他さまざまな興味のあることについて書いていきたいと思ってます。

第十一章 蕗の頭(ふきのとう)

2010年04月22日 | 花エッセイ
 私が幼い頃、崖下には木造の家が建っていた。

 とても古い家で、果たして人が住んでいるのかどうかも怪しいような

そんなたたずまいの家屋であった。

 私は友人と二人、よく内緒でその家の庭に忍び込んだ。

といっても実際にはフェンスを越えて崖を滑り降りるだけのこと。

ちょうど大きな木の幹で隠れた場所に、獣道のような人が一人通れる脇道があって

そこを下りるのである。

 その古屋をとりまくようにして生えていたのが蕗であった。

 それこそカエルが出てきそうなぐらい一面に自生していた。全く手入れされた様子もない。

 そしてその庭には春になると蕗の頭が芽を出す。

蕗の頭が食べられる野草だと知って、友人と熱心に蕗の頭を掘り起こしたりもした。

 実はこの蕗の頭かなり厄介な代物で、根がどこまでも続いているため、

掘り起こすとは言っても実際には山芋堀りの作業に近いのである。

 ある程度根を掘るとその根を寸断する。そうしてようやく蕗の頭が収穫されるのだ。

 いつしかその家も取り壊されて、秘密の遊び場はなくなってしまった。

 それにしてもあの家は一体なんだったのだろうか。

 あの家の周りには蕗のみならず奇妙な物が落ちていた。

たとえば真っ白いプラスチックの花篭。

いわゆる童話に出てくるお姫さまが持つような素敵な籠で、

子供心にも思わず拾って家に持って帰ろうかとも思ったほどだ。
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第十章 銀木犀と金木犀(ぎんもくせいときんもくせい)

2010年04月20日 | 花エッセイ
 アパートの入り口にとても大きな銀木犀の木が植わっていた。

よく金木犀を植えている家は多いが、銀木犀となるとまず見かけない。

 事実、私も小学校の高学年になるまで銀木犀なる存在を知らなかったぐらいだ。

 この木犀、中国が原産の植物で、日本には雄株しかない。

 花の季節以外はとても地味な庭木で、開花してあの独特の芳香を放つようになって

始めてその存在に気づくような植物である。

 まして銀木犀となるとますますその印象は薄くなる。

 銀木犀は金木犀よりやや先んじて花を開く。

香りも幾分控えめで、花の色も鮮やかなオレンジ色ではなく淡い緑ががかった白。

 金木犀が甘く華やかな香りだとすれば、銀木犀にはどことなく清冽な爽やかな感じがある。

 そっと遠慮がちに秋の訪れを告げる銀木犀は、我が家のアパートの入り口で、

ふと気づくと咲いていたりする。

 やがて銀木犀が満開となる頃、後を追うようにして金木犀がオレンジの花をつける。

 崖下の一戸建ての家の庭にはそれは見事な金木犀の木があった。

崖上の庭から眺めるとまるでオレンジ色の粉を一面まぶしたように見える。

 この金木犀の香りが庭中に立ち込める。果ては三階の我が家まで香ってくる。

 涼風を肌に感じながらこの香りをかぐと、改めて秋の訪れを実感する。

 金木犀の思い出といえばもう一つ、高校の通学路途中にあった金木犀の庭木を思い出す。

 やはり一戸建ての庭に植えられていたのだが、こんもりと丸く剪定されていて、

高さこそ人の背丈ほどしかないものの、秋になるとそれは見事なオレンジの花をつけるのである。

 このお宅というのが庭に対する心栄えの実に行き届いた家で、

金木犀の下を一面苔の瑞々しい緑が覆っていて、

散ったオレンジの花とこの苔のコントラストが非常に見事であった。

 高校の行き帰り、この庭を眺めるのが私はとても好きだった。
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第九章 白い夾竹桃(しろいきょうちくとう)

2010年04月16日 | 花エッセイ
 真夏に咲く花で忘れられないのがこの真っ白な夾竹桃である。

 三階建てアパートの最上階、ちょうど中ほどに位置していた我が家のベランダから

すぐ真下付近に、この真っ白い夾竹桃が立っていた。

 こんもりと大きく枝葉を広げ、木全体に白い花がまるで斑点のごとく咲く。

 暑い夜、ベランダで涼んでいると、いつも目にするのがこの夾竹桃だった。

 この花木は不思議なもので、昼の光の下ではさほど目を惹く植物ではない。

真夏の太陽に向かって真っ直ぐに雄々しくそびえ立つ姿は、むしろたくましささえ感じるほどだ。

 白い花も可憐というよりははるかに力強く、他の庭木に比べ幾分地味な印象があった。

 実はこの花を好んで植えたのは下の階の住人であった。

当時、下の階には中年のご夫婦と息子さんが暮らしていて、

そこの母親がこの夾竹桃を植えたという話だった。

 気難しい性格の下の階の住人とはあまり交流がなかったが、

一度だけそこのお宅で飼われていた九官鳥が逃げ出して庭で捕獲したことがあった。

 ほとんど芸のない九官鳥で、四六時中自分の名前だけを連呼している鳥である。

飼い主に似たのか気性も荒く、つかまえる時には後ろから不意をつかなければならなかった。

 早速、そのお宅へ九官鳥を届けに行くと、

滅多に笑顔など見せたこともなかった夫人がとても感謝してくれた。

その日から私はその一家に対して多少なりとも親近感を持つようになった。

 さてこの白い夾竹桃だが、昼の陽射しの中では味気ない花木が、夜になると別の顔に変わった。

夜半、夾竹桃はその全体像を消し、真っ白い花だけを闇夜に浮かびあがらせる。

それはどこまでも幻想的で、真夏の夜にふさわしい趣きであった。
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第八章 白薔薇(しろばら)

2010年04月15日 | 花エッセイ
 急勾配の坂の上に小さなマンションが建っていた。

三階建てのこじんまりとした建造物で、そのマンションは周囲を薔薇の垣根が囲っていた。

 どうやらマンションの管理人の趣味だったらしく、

その垣根の真っ白な蔓薔薇が毎年五月になると一斉に咲きそろった。

 その甘い芳香が薫風にのって辺り一面に漂うのである。

 市販の薔薇のように豪華な花弁は持たず、あくまでも小ぶりだが、

その香りたるや素晴らしく高い。

花粉を運ぶ蜜蜂を誘うせいか、どうやら野生の薔薇の方が温室育ちの花よりも

いっそう強く香るらしい。

 清々しい新緑の季節、この白い薔薇の香りを嗅ぐと初夏を実感した。
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第七章 野の花(クローバー、白つめ草、花大根、花にら、きんぽうげ、青い実の龍のひげ)

2010年04月14日 | 花エッセイ
 都会の真ん中に住んでいたにもかかわらず、私は自然に恵まれていたと思う。

崖に面した古いアパートの前は一面の庭で、クローバーや白つめ草が所狭しと生い茂っていた。

 青草の匂いのする庭は子供にとっては格好の遊び場であり、

素足の下の冷たくなめらかな草の感触は今でも鮮明に覚えている。

 白いぼんぼりのような白つめ草を集めて首飾りを作ったり、

小さな子供の膝丈ぐらいまである青々としたクローバーを三つ編みにして、

その長い紐で縄跳びをして遊んだものだ。

 クローバー畑には、他にも大根すみれや花にら、

きんぽうげといった春の花達も彩りをそえていた。

私は同じアパートに住む仲の良い女の子とよく花摘みをした。

とにかく遊ぶ材料にだけは事欠かない。

庭中を駆け回っては花を集めて様々なものをこしらえた。

 他はどうだか知らないが、当時、花大根のことを大根すみれと呼んでいた。

葉の形が大根の葉っぱに、花がスミレのような紫色だったのでどうやらそう呼ばれていたらしい。

 この大根すみれと白い星型の花をつける可憐な花にら、

そして鮮やかな黄色いきんぽうげを使って花嫁のブーケを作り、

ライスシャワーを真似て、花びらを互いにかけあいっこして遊んだ。

 中でも花にらはその可憐な姿とは裏腹に、本来のニラが持つきつい異臭があり、

この花を摘むとどうしてもその嫌な匂いが掌に残ってしまい困った覚えがある。

 また、この都会の狭間にできたような庭の周辺には、小さな水路がはりめぐらされていた。

所々枯れ草や腐葉土が溜まって、水はけはことのほか悪かったのだが、

この水路付近には龍のひげという植物が自生していた。

 濃い緑色の細長い草がまるでひげのように見えるのでそう呼ばれているのだが、

その龍のひげは瑠璃色のそれは綺麗な実をつける。この青い実がおままごとには最適だった。

 こんもりとした茂みの下から実を採取する、これがまた非常に楽しい。

 クローバー畑に花ござを敷いて、日がな一日花遊びに熱中する。

それこそ太陽が西に傾き、花影がおぼろげになるまでその遊びは続いた。
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