西小墓地近くの道端にある地蔵石龕仏です。
以前、蝋燭の灯りで紹介したものです。
加茂町西小長尾
少しつり上がった眼が子狐の様に愛らしいです。
つつじの花と
現在
道路拡張工事で移動されたようです。
三体並んでいましたが、真ん中の一体が無くなって間延びした感じ・・・
この地蔵石龕仏のお顔は昔のまんま・・・
よく見ると、このお地蔵さん錫杖を肩の辺りで持っていますねぇ。
ちょっと珍しいかも・・・
西小墓地近くの道端にある地蔵石龕仏です。
以前、蝋燭の灯りで紹介したものです。
加茂町西小長尾
少しつり上がった眼が子狐の様に愛らしいです。
つつじの花と
現在
道路拡張工事で移動されたようです。
三体並んでいましたが、真ん中の一体が無くなって間延びした感じ・・・
この地蔵石龕仏のお顔は昔のまんま・・・
よく見ると、このお地蔵さん錫杖を肩の辺りで持っていますねぇ。
ちょっと珍しいかも・・・
西小墓地から浄瑠璃寺へ向かう道がカーブ した所を過ぎ、振り返ると上方の樹木の間にあります。
加茂町西小長尾
大きな笠石が乗っているため、磨滅が少ないです。
衣の柔らかな線が美しいです。
現在
樹木が育ち薄暗くなっているため、昔よりはっきりしません・・・
浄瑠璃寺から西小へ向かうと、道沿いの木立の中に三体彫られた石仏があります。
本来は磨崖仏であったが、道路拡張工事のさいに切り取られて移動させられました。
その際、右側が破損してしまい三体のみになってしまった様です。
現在
今も木立の中に在り、花が手向けられています。
磨崖仏で在った頃を見てみたかったです。
浄瑠璃寺の南大門が在った赤門跡に立つ、水呑み地蔵と呼ばれる地蔵石仏
山中の旧道にぽつんと立っています。
加茂町西小長尾
火災に遭ったため痛みが激しいです。
村の方でしょうか、涎掛けがかかっていました。
カラスの壷から浄瑠璃寺へ向かうと、愛宕燈籠をへて
少し行った所の藪の中に、三体の磨崖仏があります。
以前蝋燭の灯りで紹介した愛宕燈籠
加茂町東小東山
藪の中の岩に阿弥陀座像、別の岩に地蔵菩薩と十一面観音が彫られています。
阿弥陀座像
心なしか笑っている様な・・・
地蔵立像
額の穴、昔は珠が嵌められて居たのでしょうか。
十一面観音
現在
現在の愛宕燈籠
地蔵の前の樹が無くなってすっきりしていますが、石仏は昔のままです。
道標など一切無く、道も荒れ放題なため訪れる人はほとんどいない磨崖うち
内ノ倉に在ると云われていましたが、その所在がわからず
かつては幻の石仏と云われていました。
加茂町東小内ノ倉
真ん中に彫ってありますが判りますか?
お顔と剣、火焔が見えますが下半身は殆んど判りません。
石質が粗い為風化が激しいです。
近い将来消失してしまいそうなのが、残念でなりません
カラスの壷と呼ばれる山中の辻に、巨岩に彫られた磨崖仏があります。
京都府相楽郡加茂町東小内山
まず最初に目にするのは、この阿弥陀座像です。 衣の曲線が良いですねぇ。
脇に灯篭が線彫りされており、火袋が彫りこまれ献灯できる様になっています。
この阿弥陀さんも微笑んでいます。
もう一面に彫られている地蔵菩薩です。
時々、見ずに行ってしまう人がいます。ちょっとかわいそう・・・
昔は石仏の前が水田でした。
現在
阿弥陀さんは昔のまんま
地蔵さんも昔のまんま
水田は無くなってしまいました・・・
カラスの壷と言う呼び名は、この石からの由来です。
当尾の里の石仏のなかで、最も有名な磨崖仏です。
撮影枚数も一番多いです。
加茂町岩船三大
微笑んでいる様に見えるため、笑い仏と呼ばれています。
大きな岩が笠石の様になっている為 か磨滅が少なく、今でも美しい姿を見せてくれます。
微笑んでいますねぇ。 いいお顔です。
すぐ横にある眠り仏です。 胸まで埋まっていました。
現在
昔と変わらず、今も微笑んでいます・・・
後ろの樹が大きくなって空が写り難くなりました。
近年一度掘り出されましたが、また元のように眠りに就いています。
掘り出されたお姿は地蔵座像でした。
たった一つだけ、一生懸命お願いすれば、願いを叶えて貰えると言う一願不動さんです。
加茂町岩船八町
薄暗い竹藪の中の巨岩に彫られています。
現在
相変わらず薄暗いです。
如何にも不動明王と言う厳しいお顔。
お不動さんへの道は綺麗になりましたが、一願不動さんは昔のままでした・・・
弥勒辻から岩船寺への旧道沿いに巨岩が露出しており
そこに、三体のお地蔵さんが彫られています。
加茂町岩船上ノ門
野趣あふれる磨崖仏です。
六地蔵信仰が広まる以前の地蔵信仰の一形態だそうです。
丸顔で温和なお顔をなさっています。
少し仰ぎ見るようなところに彫られています。
三体地蔵への落葉道