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歴史の学びは崩壊理由『家康の誤算』

2024-09-06 07:39:46 | 歴史から学ぶ
徳川幕府が崩壊した理由が多く語られているが最もな理由は「時代と共に環境が代わり、人が変わることでの弊害をその都度「法の緩和」で乗り越えた。だが多くの緩和策がより平等と自由を求めて動いたと見る。現代でも「法と規則の緩和と新たな法・規則交付」無くして改革もなく国、国民が前に進むことがないと感じる。ただ、現状にあぐらを描いて何もしないことで全てに世界から乗り遅れた日本、政治家だけの自己主義、自己満足的な政治家、政策活動等は断絶すべきだ。
『家康の誤算』磯田道史
「概要」二百六十五年の平和――その体制を徳川家康がつくり上げることができたのは、波瀾万丈の人生と、天下人織田信長・豊臣秀吉の「失敗」より得た学びがあったからだった……。しかし盤石と思われたその体制は、彼の後継者たちによって徐々に崩され、幕末、ついに崩壊する。“神君”家康にとっての「誤算」を、近世から近代まで俯瞰して読み解くと共に、彼がこの国に与えた影響に迫る!
ー徳川家康
    三河岡崎松平家の3強国(尾張の織田、甲斐の武田、駿河の今川)
    桶狭間の今川帝国が没、本能寺で織田が没、長篠・病気で武田が没
    秀吉の配下となるが大阪の陣で武家社会を確立する
    武家諸法度・禁中ならびに公家諸法度(朝廷と徳川政権を分離確立)
    「鎖国」は家康の政策ではなく三代将軍家光の時代
徳川幕府が崩壊したその理由
    「改易制度の緩和」(大名等の取りつぶしなどを取り締まる)
        由井正雪の乱で幕府等への不満・雄藩外様大名等の強大化(長州・薩摩)
    「人質制度の廃止」藩主の正室と嫡子を江戸の置く制度
    「参勤交代の緩和」諸藩での経費節約備蓄
    「城と大船建造解禁」「海軍禁止令の廃止」諸藩の軍事面を弱体化させる政策
    「通貨の鋳造許可」諸藩での鋳造許可を出し、有力藩が財力を蓄え始める
    「外交不安定」諸藩が諸外国との密約・最新兵器など購入し始める
    「決定力低下」諸外国からの提言に朝廷など諸大名の意見を聞き始める(パンドラ箱)
        天皇や朝廷をうまく利用することで幕政に意見を言い始める
        錦の御旗を討幕派の悪知恵で掲げる
    一橋家・会津藩・桑名(一・会・桑)vs 藩薩摩、長州、土佐、肥前
        イギリス等から最新武器を手にした諸藩の協力体制
    皇族に対する政策は生殖管理(僧侶)、家康(東照)としての祀り事を天皇より長く
        鳴物停止令(崩御後音を立てない慰問日程を将軍を天皇より2倍)
    朱子学(忠義・親孝行)を推奨、キリストを禁止、天皇=伊勢神宮も世直しする寸前
        幕末からは儒学、陽明学(革命思想)が蔓延る
    学びの会(書画会・物産会など)知識人と芸術家などの集会・サロンが盛んになる
    藩による教育改革(熊本藩、米沢藩、会津藩、津山藩、佐賀藩など)相続から実力主義
ー新政府による骨格経緯
    「旧幕臣の採用」
    印旛・鳥取藩、肥前・佐賀藩など大砲などの鋳造、教育に長けていたが幕末で採用
    隠棲中の岩倉具視、土佐藩の中岡慎太郎、坂本龍馬らが大久保利通、西郷隆盛を煽った
    明治4年から2年間海外視察でリーダー不在中に西郷、板垣、大隈などが断行
        地租改正(排他的所有権:自作農家を認める)・学制(教員配置)・徴兵令
「人の価値とは、その人が得たモノではなく、その人が与えたモノで測られる」
「徳川時代は法が厳しいかったことで犯罪者が少ない=躾けられた国民」
「徳川の時代は正直さと和を大切に、真っ正直な心を高めた時代」



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