ちょっと気になるいい事、言葉、最新技術

書籍、映画、旅、最新技術から選んだ心に残るもの。速読者向けは、青文字表示。内容は小学生でも理解できる表現使用

IQよりEQが重要となる理由『EQ2.0』

2020-02-29 07:56:00 | 経営・リーダーシップに必要な事
IQ(知能指数)・EQ(心の知能指数)。 今後「心・感情のコントロール」がより重要で役に立つことになる、とこの書は言う。リーダーシップの傾向としてアメリカでは体裁を繕うのはうまいが、行動が伴っていない。リップサービスに精一杯力を注ぎ、フィードバックを求めたり、チームプレーを尊ぶと言ったり、仲間を理解しようと勧めたり、公約を果たすことを誓ったりするだけだ、と言う。 だから感情(マインド)を如何にコントロールできるか、それによってより良い判断・行動を取れるようになる、と言うことだ。

『EQ2.0』トラビス・ブラッドベリー&ジーン・グリーブス
「EQ(エモーショナル・インテリジェンス)」とは、あらゆる重要なスキルの土台になる「心の知能指数」のこと。「EI」「感情的知性」とも呼ばれます。これは、自分自身と他者の心の動きに気づき、それを理解する力。そして、その気づきを使って自分の行動や人間関係を上手にマネジメントする力です。本書の目的は、あなたのEQを向上させること。心の働きを理解して、感情を味方につけるテクニックを身につけます。 
  • 人間関係を強め、意思決定の質をあげ、リーダーシップ力を高め、組織を成功に導くのがEQスキル、知識・経験・知能を高めること、それにはEQの実践が必要だ
  • IQが低い人でもEQが高い人ほど成功率が高い結果がある(70%)
  • 心と感情を如何にコントロールできるかが鍵、集中力、時間管理、意思決定、コミュニケーション等
  • EQ4つのスキル
「自己認識力」自分の心の動きを正しく把握し、傾向を理解する力
    自分の感情を「いい」か「悪い」かで見ない (感情は場合によって武器になる)
    居心地の悪さに慣れる(自分の傲慢さを知る)
    鷹の目で自分をみる(全体から見渡す)
    日誌をつける(自分の傾向を見出す)
    振り返り自問する、なぜそうするのか(反省し、見直す)
    ストレスのかかった時の自分を知る(要因を発見する)
「自己管理力」心の動きと行動を起こす時の動きを知ること
    正しい呼吸をする(深呼吸で落ち着かせる)
    10まで数える(落ち着きを取り戻す)
    笑顔や笑い声を増やす(気分転換をする)
    出会うすべての人から学ぶ(学ぶから心が開かれる)
    充電時間を入れる(心の余裕が持てる)
「社会的認識力」他者の感情を性格に読み取り相手を理解すること(聞くこと、観察すること)
    挨拶には相手の名前を呼ぶ(名前を呼ぶことで雰囲気が変わる)
    ボディー・ランゲージを観察する(体の動きで読み取る)
    会う前に事前準備をする(タイミング・質問)
    ピープル・ウオッチングに出かける(周囲を観察、感情のヒントを見つける)
    他人の立場に立つ(他人の立場で物事を考える工夫)
「人間関係管理力」他者との絆を築くこと
    好奇心を持つ(心を開く=打ち明ける心で会話す流)
    ちょっとした思いやりを示す言葉を使う(言葉のマナー)
    オープンドアー(門戸開放)政策を取り入れる(無理をしない程度に開放)
    素直に建設的なフィードバックを与える(タイミングを見計らいアドバイス)
    チグハグな会話を修復する(他人を責めないで和解的方法を選択)

賢さは実践で頭角を現す『江戸学のすすめ』

2020-02-28 07:58:42 | 歴史から学ぶ
@「国家・人間の成長」、「平和は乱により生じる」、とはこの書にある言葉。現代は「平和ボケ」なる言葉が蔓延しているのか「危機管理」が失っている。 また「盤根錯節に遭えば」、有事・緊急時にはトップたる人が頭角を現す、とあるが、日本の国を預かるトップは高みの見物(言葉ばかりで自らの実行が無い)で、トップの危機感・緊張感、それに責任感が伝わってこないのは誠に残念だ。 昨日の学校休校勧告も「政府の責任範囲」は一体どこにあり、何なのか、具体的なことははっきりしていない。是非、この江戸学「理論から実践」を学んでもらいたい。 (ここで言う賢さ=リーダーシップ)

『「江戸学」のすすめ』久須本文雄
江戸時代の儒学者貝原益軒(1630~1714年)の「慎思録」(6巻・834条)、その内容は哲学、倫理、道徳、教育、政治、修養、処世などで、この書にはそのうち248条を列記翻訳されている。また、佐藤一斎の「言志四録」、「菜根譚」などの拙訳もある。
  • 「貝原益軒」とは医薬の道に通じた父を持ち筑前黒田城主忠之・光之に63歳まで仕えた。儒道を尊び仏説を信じなかった。6歳で母を失い、家政婦によって養育され、父も食録を12歳の時に失い貧疎な生活だったが、読書欲が旺盛で、14歳の時に「4書」の読み方を覚え孔孟の道にはまる。江戸に留学し儒学、朱子学などを学ぶ。
  • 書籍は、儒学者はもちろん医学、薬学、地理学、歴史学、教育学など多方面の書を出す。職を解放されてからも没まで14年間30数種の著作、80歳には「大和本草」25巻、83歳には「自娯集」5巻、84歳には「養生訓」8巻、85歳には「慎思録」6巻、85歳の没3ヶ月前まで「大疑録」2巻など博学多識の才の持ち主だった。
  • 真に人なるには」勉学・実践(学び、実行する事)
    • 人間がこの世に生まれてきて学問・博学・審問を修めなければ、人として生まれてこないのと同じである 道を知ったからには、必ずこれを実行しなければならない。
  • 「為学の心得」謙と矜(謙遜し、高慢であってはならない事)
  • 「孔門の教育法」仁・誠(慈愛の徳を持って真実を主眼とする事)
  • 「身を保ち徳を養うには」平静と徳(心を平静に道徳を身につける事)
    • 禅の言葉「調身・調息・調心」、それには座禅が基本
  • 「礼儀を準則とすべし」礼儀 (人の行なうべき礼の道)
  • 「学問は実用を旨とすべし」実事(有用の学とは実用に役立てる事)
    • 知らないことを学び、知り得たことを実行に移し、人のために役立てる事
  • 「酔生夢死るなかれ」人倫
    • この世に人間として生まれてくることは容易なことではない。人間として生まれてきたからには、何もせず虚しく一生を送ってはいけない。
  • 「思索は緊要事」思索・極める(道理を積み重ね思索し理解を深める)
  • 「偏見を捨てよ」理屈・偏屈(偏りねじれがあると理を極めることができない)
  • 「まず志を確立せよ」志・目的・確立(学びに必要な事)
  • 「情欲を抑制せよ」
    • 人間には財欲、色欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲
    • 仏教では色欲、声欲、香欲、味欲、触欲(5境)=煩悩・妄想
  • 「言動は熟慮して」よく考えてから言葉を言い、行動に移す事
  • 「物事は簡略に」必要なことはしない、言わないことで簡略する
  • 「知識は円滑、行為は方正」節義(節操を守り、制動を踏み行うこと)
  • 「人物を見抜くには」5つの観察(視・観・察)
    • 瞳が澄んでいるかどうか
    • 言葉遣い(才能の優劣)
    • 人の好きなモノ、嫌いなモノを聞く(高尚か下品か)
    • 人の立ち居振る舞い(威儀が正しいかどうか)
    • 平生誠実さを見極める
  • 「価値の高低」価値の基準
    • 4つの原理:本質性・永遠性・生産性・全体性
  • 「政治の要道」養育・教育=天道・地道=父道・母道
    • 人民の生活が豊かになると、道徳心が高揚して礼儀を弁えなくなる
  • 「無用の用」無駄なものは無い
    • 天地のものは何物でも長所があり、役に立たない無用なものは無い
  • 「親子の愛情」子にしてはならないこと
    • 過保護・溺愛・専制・拒否
    • 溺愛では子が自己中心的となり欲求不満に対する抵抗が大きくなる
    • 子供への理解度は低く、盲目愛的になる
  • 「勤倹と怠奢」勤勉努力と質素倹約
    • 怠慢と贅沢は身・国を衰退させる
  • 「修養の4箇条」
    • 善事を行い過誤を改めることを助長すべき
    • 怒りの感情を抑え欲望を制していく
    • 誇るべきで無いことを吹聴するのを戒め慎むべき
    • 謙遜な態度を保つことを常に忘れずに守ること
  • 「自発性を尊重」啓発(孔子の教育法・自発的に工夫させ、無理に詰め込まない)
    • 徐々に進め、決して怠ってはいけない
    • 慎み深い態度を保ち寛大にする
  • 「学問思弁」ものの道理を極める方法
    • 知識を広く学ぶ(博学)
    • 疑問には問い質す
    • 学んだことを慎重に考える
    • はっきりしないところは明確に判断していく
    • 忠実に善を行う
  • 「濃は淡に勝らず」
    • 濃い味より薄いあっさりしたものを好んでいれば嫌いにならないし、さらなる味わいがある
    • 長く飽きない楽しみを続けるには甘い交際ではなく淡白な交際が持久性がある
  • 「足るを知る」知足
    • 知足は第一の富なり
    • 人として足るを知らざるは人にあらず(心富む)
  • 「光陰を惜しむべし」3度の時期
    • 幼少の頃:記憶力と根気が旺盛な時、広く学んだ事を忘れず成果が得られる事
    • 壮年の時:親などの孝養、子として日々精励すべき時
    • 老齢で衰えた時:気苦労もなく日々のんびりと楽しく過ごして生涯を終わる時
  • 「用い方を誤るな」
    • 食・薬・学(飲食物・薬・学ぶ事)など過度な摂取、高慢になり徳性を失う
  • 「読書の心得」孟子の3言
    • 「意をもって志を逆う」自分の心を持って作者の精神のあるところを迎える
    • 「尽くは書を信ぜず」読んだ書物を一部は信じても全部は信じない
    • 「人を知り世を論ず」作者の人柄を知り、社会状況を論じて明らかにする
  • 「盤根錯節に遭えば」徳のある人の見分け方
    • 有事の時に初めて君子か一般かの人がわかる
  • 「静座と動・静」静座の意義
    • 夜半から夜明けごろがもっと得る時間
    • 臍下丹田(下腹部)に力を入れて、身体を真っ直ぐに、両手を組み親指を相接し、目を半眼に開いて行うのが精神統一と解脱のための目的である
  • 「貪欲・吝嗇・浪費」財産を治める3つの心得 
    • 貪る事、吝しむ事、そして無駄遣いをする事
  • 「最良の人間関係」4つ
    • 恭・和・厳・寛(恭敬・温和・謹厳・寛容) 和(和やか・柔らか・穏やか)
  • 「至誠」 人を感動させる自然の道理
  • 「知と行」 物事を知ってから実行するということは、物事を十分知り尽くしてから実行しようとすることでは無い。物事の緒を知って実行するべきである。
  • 「読書の4つの心得」
    • 人理の道を明らかにする
    • 過去の事柄に精通し
    • 物事の道理を知り
    • 文章を作ること
  • 「亢龍の悔い」(こうりゅう)
    • 平和と言うものは平和の中から生ずるものではなく、乱があることによって生ずる
    • 故に隆盛の極点に達したら、必ず衰退する運命にある(盛衰互いに変わる道理)
    • 「得意の時候は最も当に退歩の工夫を著くべし」
  • 「語るに足る人を選べ」 自分の見解を理解する人と相談すること
  • 「人に問い、経験を積め」物事は何でも必ず人に問いあわせるが明瞭となる
  • 「善行と悪行の要因」
    • 気質・欲望・習慣
  • 「聞くを尊び、見るを軽んず」
    • 近くにいる人物より遠くからの耳で聴いた人物を重んじるは、観る目が無い
  • 「富貴な者への戒め」
    • 富貴なものはおごりなまけで人の道を失くす
    • 恭敬な心や慎み深い行いがなく、礼の道を弁えない

「花粉症・動物の農作被害・洪水災害」は改善できる『軍需物資から見た戦国合戦』

2020-02-26 07:58:04 | 歴史から学ぶ
@「戦国時代」と聞くと勇敢な武将などを思い浮かべるが、その裏に隠された功績、「軍需物資調達」がある。この書から読み取れる武将たちは日頃から相当厳しく物資調達(山・畑・田・海・川)を管理していた。 そこから読み取れる現代の「花粉現象」は、森林管理が不届きになった人為的要因であること、さらに熊、猪の農家被害は実を付けない多くの木(杉・檜)を戦後多く植林したこと、洪水災害もまた人為的要因だとしている。 政府は日本の7割が森林であることからももっと森林管理と共にバイオマスに目を向け改善できる。 現代の山々はほぼ野放し、間伐材など落ち葉等もそのまま、オーストラリアの大火災はそういった枯れた堆積物が原因だとも言う。 このままだと今後日本にも自然火災・災害が起きる可能性は大だ。

『軍需物資から見た戦国合戦』森本昌弘
木や竹の調達が合戦を左右する 森林破壊と再生・保全の戦国史 合戦は兵士や人夫など人的資源の他に、城や柵を作る。木材、矢や槍の材料の竹など、物的資源も必要となる。戦国大名はそれらをいかに調達し、かつ森林資源の再生を試みたのか。エコにも通じる行動から合戦の一側面を探る。
  • 「合戦の勝敗は軍需物資の確保にあり!」 勝負で兵力を強める軍需物資とは、兵糧、武器(刀、槍、具足、鎧など)と共もに必要なものは、輸送用の人足、馬、荷車、更に木(建築、篝火、食糧燃料、橋、舟)、竹(柵、橋補強材)など必要物資は多い。だが、過度な伐採などで森林資源が枯渇し、継続的な戦闘が困難となり洪水なども引き起こす原因となった。よって森林資源の争奪戦と管理が重要な役となっていた。
  • 槍の肢は木もしくは竹で長さは2間半(4.7m)、武田は3間(5.6m)、織田は3間半(6.5m)
  • 竹束は鉄砲を避けるための盾とし利用、堀を埋めたのはウメグサ(大坂冬の陣の堀を埋めた)
  • 松明は竹を芯にして、松脂の多い部分の気を細く割って束ねた(松脂は松から採取)
  • 室町時代から利用された蝋燭は漆の実から作る蝋を利用(松の松脂を利用したものも多い)
  • 重用された木には
    • 栗・コナラ・クヌギ・松など(炭・薪・篝火などに利用)
    • サイカチ」(豆科の落葉高木)で高さ10mになり実は豆、刺などは薬や染料となり薪など
    • 黒松は海岸部、赤松は尾根や岩山に成長
  • 中世には植林は行われておらず、植林は織田信長の時代から街道整備(松と柳)を年に3回ほど施している
  • 植林技術としては、取木は啓蟄(2月)や8月に行い、枝を曲げる際には段々(4-5日後)とした
  • 利根川水系など江戸時代多くの洪水災害が発生したのは度重なる伐採が原因だった
  • 戦国時代の兵糧は米(1日2合)、米が炊けない時には乾飯・干飯
  • 食事は中世は1日2食、近世は1日3食、戦国時代は3食(兵糧は腰に袋:3日程度で1kg)
  • 花粉が多くなった理由は、人為的要因である。戦後に建築用材料として杉、檜が多く植林されたこと。それはさらに食用になる実を作らない事により森に住む動物の餌を奪う事につながっている。
  • 神社仏閣に多い古い大木は主に杉、イチョウ、ケヤキ、楠である。それは戦国時代の寺社内地の特別保護があった事、また畏怖感(祟り)があったからである。現代、森林は自然のままとなり炭、薪などを多く利用しないので「極相」となりつつあり植生の変化は重要な問題となりつつある

「ど忘れ」「し忘れ」をどう防ぐ『「あっ、忘れてた」はなぜ起きる』

2020-02-25 08:12:45 | 人生を「生かす」には
「し忘れ」「し間違い」「ど忘れ」はどれも年寄りだけではない。特に「し忘れ」は若年層に多いという結果だという。それを防ぐ工夫がここにある。どれも当たり前のような行動だが加齢と共に重要性が高まる。 原因は加齢もあるがストレス、飲酒、ビタミンB1欠乏が主要因とある。 ではその予防は、日頃の創意工夫(下記)でそれら咄嗟の記憶は蘇るという。 忘れない為の前準備・仕掛けを工夫しておくことだろう。

『「あっ、忘れてた」はなぜ起きる』梅田聡
行きがけに手紙をポストに投函しようと思っていたのに、すっかり忘れていた―こんな経験は誰にでもあるだろう。なぜ人はそのような失敗をするのか。裏を返せば、時折の失敗を除いた多くの場合に「しようと思っていたこと」を「タイミングよく」思い出せるのはどうしてか。日常的な記憶経験を出発点に、心理学と脳科学の成果から、そのメカニズムを探る。
  • し忘れ」とは専門用語で展望記憶=これからやろうとしている行為の記憶
  • し間違い」アクションスリップ=やろうと思った行為を実行し始めてからなど「うっかりミス」
  • ど忘れ」=過去の出来事に関する情報を忘れる
  • 肝心なのは思い出すタイミングの違い(3つの認知的な段階)
    • 記銘=必要な情報を覚えていること(符号化)
    • 保持=その情報を頭に蓄えておくこと(貯蔵)
    • 想起=必要な時にその情報を思い出すこと(検索)
  • 歳をとっても衰えない記憶
    • 一般的には記憶の能力は歳をとると低下する
    • 過去の出来事や知識を思い出すことが苦手になると展望記憶能力も低下する
    • だが、「し忘れ」は壮年者群よりも若年者群の方が多い
    • スキル化された記憶」コミュニケーション力につながる
    • 暗記物などの記憶は一般に若者が優れているが、展望記憶の場合思い出すタイミングは変わらない
  • 「し忘れ」はどの層においても予測できない。高齢者の場合、普段自分の課題・苦手な記憶は気をつけているので「し忘れ」は少ない
  • あっ、忘れてた」(何かやらなければならないことがある=存在記憶)あらかじめ覚えておいた予定を何かのタイミングで求める工夫する(時間的・内容的な理由) 時間を決めて思い出させること。
  • 「最近物忘れが激しくて・・・」とは加齢による自然な記憶力低下と記憶障害とがある。調べる方法は神経心理学と脳機能画像法
  • 「記憶の障害」
    • 健忘症=高次認知機能に目立った障害が見られない
      • 心因性とは脳に障害がなく心的ストレス
      • 器質性とは脳に障害があり海馬などの損傷・くも膜下出血などが原因
    • 認知症=高次認知機能全般に低下が見られる・時間と共に進行する傾向
    • 原因:
      • コルサコフ症候群:連続飲酒などでビタミンB1が欠乏、脳に障害が発生する
      • アルツハイマー型症候群:日常の物忘れから日常の見当識障害が出る(日時・時間など)
    • 健康な「し忘れ」と病的な「し忘れ」ブザー押しと手を叩く実験
      • ブザーがなったらボタンを押して止め、手を叩くように動作を説明しておく
      • 日常的な「し忘れ」は誰にでもあるが、意図そのものを忘れてしまったことは病的
      • 自発的に記憶がタイミングよく思い出されない現象は危険要因となる
  • 脳の活性化実験
    • フォルスメモリー」実験(いくつかのモノを覚える・その後そのモノがあったのか問いただす)
    • チェンジ・ブラインドネス」実験(10秒ほど2つの画像を見せ、相違点を見つける)
  • 記憶障害に対する4つのリハビリテーション法
    • 「環境調整法」生活環境自体を改善する・片付けたモノの色分け、メモをとる、廊下にライン(あることをおこうな必要が生じたらすぐに実行する」習慣を身につける
    • 「外的記憶補助法」環境等での工夫補助すること、色分け。メモを取るなど
    • 「手がかり漸減法」記憶の範囲を広げる方法 単語を覚える工夫をさせる
    • 「誤りなしの学習法」誤りのない学習訓練を頻度に行う 覚える数を少なくする
  • 失われた展望記憶は回復するか
    • 可能だとする結果がある 上記のような訓練で改善
    • 時間を決め「実行すべき行動」を取るように仕組む
    • 「時刻想起」の方が「内容想起」より回復が早い
  • 「し忘れ」を防ぐ方法
    • 自らを知る「自分の記憶力程度、影響を及ぼす範囲を理解しておく
    • 思いついや直後にその行為を実行する=すぐやること(実行の時刻を特定しておく)
    • 予定を自らの意図として認識しておくこと
    • 環境の整備(前準備・メモなど)記憶を外部的(目立つように)に補助する行動をしておく

相手の過去を捨てでも愛する『恋しぐれ』

2020-02-22 07:50:49 | 人生を「生かす」には
江戸時代の女の「生きがい」。貧乏で身売りされた女は絵師を夢見ていたが、数年後花魁となる。 その後愛されていた男の下でやっとの思い出夫婦になるが絵を描くことなく亡くなってしまう。 悲しい女の生涯を描いた「月溪の恋」には、その女を愛し続けた弟子の男が居た。 何とも悲しげな結末だが、女の過去を捨て去り夫婦になったことは現実、強い二人の絆が生まれなければ出来ない事だったと想像できる。 恋愛に年齢は問題ではない、特に晩年の恋は、心と心の問題なのかもしれない。

『恋しぐれ』葉室麟
京に暮し、俳人としての名も定まり、よき友人や弟子たちに囲まれ、悠々自適に生きる蕪村に訪れた恋情。新たな蕪村像を描いた意欲作 蕪村、最後の恋。五十近い歳の差を厭わぬ一途な想いに友人の応挙や秋成、弟子たちは、驚き呆れるばかり。宗匠と祇園の妓女の恋路の結末は…
  • これは蕪村の後半生を俳句や絵に託してその思いを語らう「晩成」、年とってからの蕪村の恋愛と弟子たちの恋に注目した小説である。 蕪村は「恋愛してから絵も俳句も良くなっている。弟子たちに小糸ときれろ切れろと迫られた」事で分かれた後すぐに死んでしまうのだ。蕪村には妻子もいた。だが恋に落ちた相手小糸は、実は一時期恋を燃やした昔の妻美和との間でできた息子の相手であった。
  • 「隠れ鬼」遊女の言葉「私は今まで世を恨み、人を憎んで生きて参りました。しかし人が日々努力し、己の命を全うしようとする姿こそが美しく、愛おしいのだ、と思いました」「世の中、悪いことばかりやない。自分がしっかりしてたら生きていける。死んだらしまいや、生きたものが勝ちや
  • 「月渓の恋」女衒に売り飛ばされた女、おはるは絵画に才能があるとみた弟子の月溪は諦めきれなかった。2年後遊郭でそのおはると出会い、あれまで絵師になりたいと言っていたおはるを何とか妻にする。だが故郷へ帰る途中船が難破し、おはるは還らぬ身となり月溪は悲しむ。そこで出会ったのがおはるが書いていた幽霊絵が月溪を悲しみから立ち直らせる。(月溪は蕪村の弟子であり絵師)
  • 「雛燈り」許婚の婿の父の反対で婚姻が許されず娘は病魔に襲われる。余命幾ばくもなく力弱くなった窃めを何とかしたいと兄は妹の「嫁入りした家で死にたい」との強い意志から、嫁に化粧を施し婿の家に出向くが、あしらわれてしまう。思わず兄はその家で、妹の望みである死を覚悟し、刀で妹を一刀だに殺害した。それをある男が物語として世に出すと一躍噂が広がり妹思いの兄(兄弟愛)となった。実はその物語を書いた男も昔同じような環境にあり出家する理由となったことを知った。「西山物語」「春雨物語」ー「死首の笑顔」
  • 「牡丹散る」円山応拳は駆け落ちした七重に心を奪われる。それは応拳の亡き妻によく似ていた殻だったが、七重は若き夫と共に暮らすことになる。
  • 「梅の影」芸妓のお梅は小糸との蕪村に対する嫉妬があったが、亡き蕪村に対する悲しい気持ちが月溪と寄り添うきっかけとなり京で住むことになる。そこで「天明の大火」(京都の5分の4消失した大火災)にあい、避難した先で小糸と出会う。互いの思いを交わす事で蕪村を悔やんだ。

戦国時代の忍者への信頼『忍者群像』

2020-02-19 07:45:51 | 歴史から学ぶ
@「人を裏切る」、戦国時代には勝者に加担するのは世の常であり、その背後にいた忍者もそうであったと言う小説だ。だた、忍者同士での助けあい、生き延びる糧(他の主を探す)を得るなど歴史には残らない忍者の活躍は戦国時代、相当信頼し重要な役割を背負っていたと感じる。 現代で言う信頼がおける部下に必要なのは、情報収集力、分析力、提案力だろうか。 特に上司が判断やすくするための「3つの選択」を提案することだ。多くもなく少なくもない選択で間違い・誤解を排除する提案だ。 3つで上司の返事は格段に早まることは間違いない。

『忍者群像』池波正太郎
戦国から江戸にかけての忍者を主人公にした7つの短篇集。忍者同士でさえ裏切り殺しあう時代、人の心を捨てた者たちの浮沈を描く 「光秀が生きていたぞよ」。山崎の合戦で明智光秀の首を取り、甲賀から離れた小五郎に、かつて命を救った仲間の助七がささやく。驚愕と執念に翻弄される小五郎。だがその背後には幾重もの陰謀があった―。戦国から江戸へ、世情とともに移り変わる忍者たちの葛藤と悲哀を、乾いた筆致で描き出す七つの短編。
  • 忍者はこの時代に欠かせない敵の情報を知る上での貴重な人材であり、味方同士への緊急性を持った伝達屋でもあった。また、主を守る役割から様々な家臣を視る役割もあった。この小説では敵味方に分かれた忍者同士の助け合いから、裏切り(寝返り)、毒殺、殺戮などを繰り返し有名無実のまま自害、もしくは姿を眩ませた者も多い
  • 明智光秀陣に潜り込んだ忍者、それは信長の輩下の忍者であったが「本能寺の変」を察知できなかった。ところが光秀が毛利に送った密書忍者を途中で待ち伏せ襲撃する事で秀吉を助ける役割を果たした。だが、襲撃され生き延びた忍者は数年後、その恨みを果たすことになる。「光秀が生きていた」と言う情報(光秀の親類で光秀に瓜二つの男が居た)を流し待ち伏せする。
  • 豊臣秀吉、徳川家康も多くの忍者を利用し、特に小田原城攻め、信州上田城攻め、関ヶ原の戦い、夏の陣、敵味方の動きを素早く察知し、戦略に変えた。豊臣の家臣加藤清正などは家康と相互に信頼を寄せていたが、裏では双方の忍者(芸者、料理人など)の諜報者がおり清正は奇しくも毒殺される。
  • 由比正雪(軍学師)が登場する一説は、槍の名手が由比の信頼する道場に忍び込み、由比の反乱を事前に察知し、一味の浪人60余名を一網打尽に処した。その裏にはこの忍び込んだ忍者の主は松平伊豆守信綱であった。この由比の謀反背景には江戸幕府の厳しい大名の改易が行われ、総計1千万石余りの取りつぶしなどから20万人を超える浪人が巷に溢れかえったことが幕府への不満につながっていた。
  • 忍者の秘法・毒の製法:コメを腐らせておき数種の草根を混ぜ合わせたものなどを持っていた。忍者は歴史的に伊賀と甲賀があったが、甲賀は信長側にいたとある。

好きこそ物の上手なれ『好きなことしか本気になれない』

2020-02-17 07:55:38 | 人生を「生かす」には
長く仕事をするスキルとは、「自分の好きな事を続ける事」。 それが仕事であれ、交友関係であれ、これからの人生で必要なこととなる。「好きこそ物の上手なれ」と言うことだが、仕事イコールにはなれない事が多いはずだ。 ましてや歳とともにやれる事も、任される事も違ってくるからだ。 人にはそれぞれの仕事への価値観があり、それぞれの持った価値観で取り組むことの方が大切だと考える。 長く仕事をする事も良いが、一方、世代交代、次世代に譲ると言う事も大切だと思う。

『好きなことしか本気になれない』南 章行
●人生100年時代にどう生きるか
    少子高齢化は40年前から始まっている(男性四人に一人、女性七人に一人のシングル)
    成功者たちの前例「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
    「正解のない世界」、よって「正解はなくとも自分の選択すべき事を選択しておくべきだ」で行動すること。
●「正解なき世界」で生き延びる方法
    人口動向から「確実に変化する外部要因」を知り、押さえておくこと
    自分はこうすべきだと想うことを用意しておくこと
    複数のスキルを持つこと
    自分の価値観・セルフ・リーダーシップ
●学習フレームワーク
    Knowing(知識)
    Doing(実行・経験者)
    Being(自分の価値観・信念)
    目標を決める、実行する、達成したら評価する
●コミュニティーのハブになること
    人脈構築・情報収集
    自分からアウトプットする
●課題は人ではなく、人と人のとの間    


霊媒師の予言を見抜く『雨上がりの川』

2020-02-16 08:01:10 | 人生を「生かす」には
@「予言」は誰もが知りたい。ましてや自分が窮地に追い込まれたときの「神頼み」の一つとなる。「占い」から「予言」なる者の実は過去の膨大なデータ資料・人の史跡などから集めた事柄も多いが「人の見方」(人の動作・仕草・癖・言い回しかたなどなど)をしっかり見抜き、予測を立てる事である。また言い回し方に特徴があり、身も心もどっぷり浸かってしてしまう「話術」に嵌めることだろう。さて本文にある「人を傷つける人は、自分の心が傷ついている可哀想な人。人を騙す人は、人に騙されて世界を信頼できなくなった寂しい人」だと言う事だ。 人の心を読み、思いやる事は自分が多少傷ついても決して無駄ではないことだ。

『雨上がりの川』森沢明夫
川合淳は中堅出版社に勤めるサラリーマン。妻・杏子と娘・春香とともに、マイホームで穏やかに暮らしていた。しかし春香がいじめにあったことで、「ふつうの幸せ」を失い、バラバラになる川合家。家族の絆を救ったのは、まさかの…。心の隅々まであたたかさが染み渡る、家族小説の傑作!
  • 中2の娘が学校でいじめに遭い、ついに数針縫う事故まで発展し、登校拒否、引っ込み思案になってしまった。夫婦は何とか打開策はないかと学校へ相談に行くが、その対応にあきれ返って帰宅する。妻は友人を頼って「霊媒師」に心を寄せ始め、家の中が少々ぎこちない雰囲気を醸し出すようになる。娘も妻に寄り添いその霊媒師を訪ね「予言」を信じる様になる。
  • 夫は気晴らしに外に出るといつも川辺で竿を垂れ流しているお爺さんと話しが合い、つい飲み屋で語りかけることになる。そのお爺さんは元心理学者で今は定年退職、独り住まいをしていた。夫は思わず家庭の事情を話すことになる。妻の「霊媒師」の世界から救う相談をした。
  • 中2の娘は夫の行動から密かにそのお爺さんとも仲良くなり、心理学的な「話術」を学ぶことになる。「コールドリーディング」なるよく「霊媒師」などが使う誘導尋問的な話のテクニークである。娘は「霊媒師」の予言の多くが当たっていたが、1つ2つ違った事を疑ってこの「コールドリーディング」を勉強していた。
  • 中2の娘が「霊媒師」になりたいと呪いをかけてもらう。ところが夫婦喧嘩が勃発し、娘はこのままだと離婚までいきそうだとその策をお爺さんと相談すると「霊媒師」になったかの様な振る舞いを、元「霊媒師」の家に三人で押しかけ披露する。そこで明らかになった事は「霊媒師」の言霊は全て嘘で、事前に得た情報を予測して発信していたに過ぎない事を悟る。と妻と夫は唖然として言葉を失い、また、元「霊媒師」の過去を知ることになった。
  • 元「霊媒師」は、実は中2の娘と同じ、昔いじめに遭い、自殺未遂までした経験があったこと。また介護が必要な母を頼りに「霊媒師」で生計を立てていたが、最近その母が亡くなり「霊媒師」をやめる経緯まで知らされる。
  • 中2の娘の教訓
    • 「虎穴に入らずんば虎子を得ず」疑問を持ったら勇気を出して踏み出すこと
    • 「いじめ」には何かの事情があり、「いじめ」をしている人、それを思いやること
    • いじめは「嫉妬」が原因となる場合が多い思春期
    • 「人を傷つける人は、自分の心が傷ついている可哀想な人。人を騙す人は、人に騙されて世界を信頼できなくなった寂しい人」で「人の見方」を勉強した
    • 「心に傷を負った人ほど優しくなれる」
    • 「人は、いったん洗脳されてしまうと、とても頑固になる。外部の意見を取り入れにくくなる。じゃあ、どうするかと言うと、内側でハッとした気づきが生じる様に仕向けてやって、その気づきを自分自身で納得させる」事だと。
  • 紫陽花の花の色は、土壌が酸性だと青くなり、アルカリ性だと赤になる

芥川龍之介・千葉周作など多くの著名人のお墓がある巣鴨

2020-02-14 07:48:54 | 旅行
巣鴨・染井霊園に周りには多くの超名人のお墓がある。芥川龍之介、岡倉天心、遠山金四郎、高村光雲、二葉亭四迷、司馬江漢、小林平八郎、千葉周作、本因坊など。 梅は7部咲き。 墓跡巡りは今の日本を築た人々に対しての感謝に値する、と思っている。南無阿弥陀仏。(染井霊園・専修院・蓮華寺・勝林寺・慈眼寺・徳栄山本妙寺・真性寺・高岩寺)


みかん類にある「ボンカン」

2020-02-13 07:54:05 | 日記
ボンカン(ポンカンとも呼ばれる)みかん類
「ぼんかん」(和歌山産)を頂いた。東京ではあまり売られていないようだが果汁もいっぱいで甘味もあり、なんと言っても食べやすいく栄養価も高い事。内皮はそのまま食べれる。欠点は種が多少ある。 Wikipeiaで調べると、完熟すれば橙色となり独特の芳香を有する。外皮はむきやすく、果肉を包む内皮は柔らかいので袋のまま食べられる。果梗部にデコが現われやすい。12–2月にかけて収穫される。栄養価は、カリウムや葉酸を多く含む。果皮の白い部分には動脈硬化予防の働きがあるビタミンPを含んでいる。果肉にはカロテン、ビタミンB1を含むほか、β-クリプトキサンチン、ビタミンC、クエン酸も含む。(TVの所為で、栄養価を診ながら食べている自分がおかしい)



「出会いの大切さ」とは『師父の遺言』

2020-02-12 07:57:24 | 人生を「生かす」には
出会いは人を変える、だが変えるにはその出会いの「理由・意義」を理解することから始まるかもしれない。出会いは「偶然」もあるし「不思議」な出会いもあるが、いずれも人を大切に思うことは、やがて自分に帰ってくると言うが、まさに「恩を返す」に相応しい付き合いも必要だろう。 人生で想像もしない事が起こるのは何気ない「出会いから始まっている」を悟り大切にする事かもしれない。 

『師父の遺言』松井今朝子
変わりすぎるほど変わった人を、私は一生の師と仰いだ…
祇園の料亭に育ち、歌舞伎の世界に飛び込んだ著者は、稀代の演出家にして昭和の怪人、武智鉄二に出会った。この反骨の師が全身全霊で教えてくれた、人生の闘い方とは――。直木賞作家が波乱万丈の半生を綴る、自伝文学の傑作!
  • 「松井今朝子氏の自史」。出会うべく出会った師匠から多くの人々との出会いを回顧録として記した書籍である。 師匠は43歳で妻子と全財産を置いて「夫の出家」を刊行し、50歳で歌舞伎座を借りて自らの引退公演を催した。
  • 武智鉄二師からの言葉(遺言)
    • 人間、自分はもうダメだと思っちゃ、絶対ダメなんだ
    • 本物の芸術家の「お手伝いとして、お助けする」気持ちにならなくっちゃいけない
    • 演出は世界で自分が一番偉いと思わなくっちゃできない「芝居は血を荒らす」
    • 僕はまだまだやらなくちゃならん事があるんだ
  • 「人は自分という人間を通してしか他人を理解できない」
  • 松井氏の言葉「人生における出会いというものの面白いさがようやくわかり始めたからかもしれない。人誰しも生まれてから死ぬまでの間に親を含めて多くの人たちと出会うが、何気ない出会いが自身の能力や努力を超えて、人生を大きく左右したと感じられる向きは決して少なくないだろう。 私もまた数々の出会いによって、幼い頃には想像もしなかった人生を歩んできた事が、今にして面白く思えるのだった。 師のように世間を相手に闘い続けてきた人は、他人様にどう思われようが、自身の殻を打ち破って全開で生きることの必要を私に説いたのだった。」

我慢し、待つことで人は幸せをつかめるか『男の縁』

2020-02-10 07:45:02 | 人生を「生かす」には
@「時は気まま」。待つことで幸せを掴むこともあれば、苦労ばかり、人生のどん底をはいまくることもある。人それぞれの人生で「時」は如何様にでも「できる」が「される」こともある。ましてや男女・夫婦関係にも「時」が経つと表裏が出てくる。 「信頼」と「言葉」は時として友の大切なものを一瞬にして得る(失う・傷つける)ことがある。 無知では済まされない「言葉の力」。

『男の縁』乙川優三郎
武家の矜持と、あるべきように生きようとする姿を清々しく描いた、単行本未収録の2篇を含む全8篇。乙川文学10年の集大成として、自ら選んだ傑作集。
  • 「悪名」 17歳で継いだ家、姑が病、女手がなく、二人の男たちは野良仕事と内職、嫁の仕事は1日中家事と看病、5年後に姑が他界、二人の男たちも家を出て、夫婦二人の暮らしになると、子供ができないからと離縁される。 飲み屋で酌をする女と化した時、飲み屋に来ていた武士の一人と知り合いになり「3年待てるか」の一言で、時を待つことに幸せを掴んだ。
  • 「男の縁」歴代藩主の事跡の記録を取る仕事を受けた。中には、ある武士からの自分の自史をありのままに記録して欲しいとの願いで相談に乗る。「歳を取ると振り返るばかりで行けません、まだ先があると言うのに目的がなくなる」と昔の不正を働き出世したことを告白、苦に思って生きてきた。「人にはその人の終わり方がある」と乱心した様に壮絶な死闘で覚悟の討死をした。
  • 「旅の陽差し」医者でありながら余命幾ばくもない人生で思い切って妻と共に旅に出た。旅に出た先は病人がおり、死を覚悟した自分より他人を助けることを強く感じつい医師としての行動にでた。よく言った言葉に「考えられるては尽くしたのだし、あとは祈祷師でも呼ぶしかあるまい」が旅に出て新鮮な空気、食べ物を食べたことで「次はどこへ行こう」と言える様になった。
  • 「9月の瓜」仕事一筋に生きて漸く隠居をする日を迎える時が迫ってきた。 時は藩の派閥から筆頭家老が代わり今まで自分の良き同心が降任、自分だけが出世した。双方の後継者、自分の息子は出世しているが良き同心の息子は低辺におり、昔の自分の行で同心の家族を奈落の底に落としてしまったことを悔いていた。ふと元同心の家を訪れると野良仕事に精を出していた元同心と会う、あの時の事情を「ワシはあれでいいと思っている、人より早く隠居したのも、妻が重い病気で面倒を見てやろうと思ったこと、おかげで2年も生き延び良い別れができた。城勤めをしていたらこうは行かなかった。」「負け惜しみで言うのではない」「お互い先に見えてくる歳になって、今更15年前の話でもなかろう」と畑で苦労して作った瓜を分けてもらった。 その時に思ったことは「負けたな・・・。」と。
  • 「梅雨のなごり」貧しい家に嫁いだ妹を庇い威勢の良い武家と衝突する兄。威勢のいいぶけは不正からドン底に・・
  • 「向椿山」昔許嫁として思っていた娘に、医者の修行の為5年待ってくれと残したまま故郷を離れてしまった。残された娘は最初の2年を過ぎた頃から不安を抱き、華道家の男と関係を持ち身籠る。だが親は家督を守るため娘を遠く離れた場所出す。途中流産をして実家に戻り、同じく契りを交わした医者の男も戻ったが噂話に翻弄され合うことができない。娘の勇気で出会いを作り「離れていることは何もないのと同じでしたし、これでもうお会いすることはできないと諦める方が楽なくらい、思い詰めていた」と告白、すると二人の中は急に昔を呼び起こし元に戻ろうとする
  • 「磯波」道場を営んでいた父は一番弟子を長女の婿にするべく考えていたが、ある時次女が一番弟子と関係を持つことになり、妹は「身ごもった」と告げると、家督を守るために長女は家を出ることを決意する。実は妹は妊娠もしておらず、姉を妬んで結婚を迫った、だが結婚生活が全くうまく行かず悩むことになる。その理由は「夫の姉への思い」があるからだと告白する。姉は13年も一人で暮らすことでの寂しさを隠せず、どちらも自業自得であったと思い「だが、もういい・・・」長いため息をつく。
  • 「柴の家」次男の縁組が整った。それは実家より裕福な家柄、しかも何もしないでも家督を継ぐという退屈な家に継ぐことになった。 その後待望の一人息子ができると妻も姑も夫を何一つ構わずじまいだった。夫はそんな家から作陶に興味を持ち果ては家を捨てることを決意する。その時育った一人息子に「何かに夢をかけるなり古いものを壊すなり、やりたい様にやればいい」、「先は長いぞ」と。

財布を失くすとどうなる・・・「失態」

2020-02-09 08:14:43 | 日記
@「財布を失くした」後の事が大変。
身の回りの鞄からコート、机など置きそうな場所を尽く探した結果、やっぱり「何処かに財布を落とした」と自分の失態を納得する羽目になった。ドタバタしながらまずはクレジットカード会社に電話、再発行の手続きをした。再発行には1週間から10日間程かかるとの事。その他Suica、キャスレス、ネットとの連動拒否、保険証、免許証など手続きは至ってややこしい。で警察に出向き紛失届をしなくてはいけないとアドバイスをいただき早速行動に。時たま外出に使う手軽な小型のバックを見たところ隅っこに「有った!」。思わずため息が漏れた「良かった!」 今回の反省は、昔の財布はカードが10枚は入る厚みがあり長めの財布、それに太め目の財布を止め、薄手でカードも4枚、現金もクリップ留めの物にした結果なのだ。薄くて軽くて必要最低限のものを入れた点は良かったが、乙みも重さもなく存在感も失くなった事だと分かった。さて今後どうしようか! 携帯キャッシュレスは完全ではないし、現金も必要な時もある。ましてや金額が多いときにはクレジットカードも必要になる・・・? (カード類は当分使えない!)

「光源氏」的政治家とは誰?『日本を創った12人』

2020-02-08 07:54:54 | 経営・リーダーシップに必要な事
@「光源氏」は架空の人物だそうだが、その中に謳われた政治家とは、「近衛内閣」と言う。 その意味は「人柄は良さそうだが、政治をほとんどやらず、やる気がなく、行財政の細部など知識もなく関与しない政治家」だ、にはびっくりだ。現在でも成り上がりで、税金の無駄使いの政治家も多いが、「国民のための政治」はどこに行ってしまったのか、「個人優先」しか見えなくなってしまった。(桜を見る会は誰の為?)

『日本を創った12人』堺屋太一
「日本の独自性」とはいったい何か。それは、いつ、誰によって、いかにして創り上げられたものなのか。本書では、聖徳太子から近現代まで、いまなお今日の日本に強い影響力を残している、歴史上の象徴的な「人物」12人をとおして、長い日本の歴史を見直し、大変革期を迎えている現在の日本の舵取りのヒントを求めた歴史評論である
  • 「聖徳太子」神・仏・儒習合思想の発想。聖徳太子は仏教の研究と普及、寺院の建築から仏具までの開発製造、「ええどころとり」の宗教政策を推進させた。他「17条の憲法」「冠位12階の制」制定(葬儀はお寺、初もうでは神社、座禅・神輿を担ぎ、結婚式はキリスト。)
  • 光源氏」架空人物だが上品な政治家の原型となる。美意識(服装・女性関係)に生きた政治家で貧乏貴族、庶民には近寄らず、見て見ぬふりをする。儀式の振る舞いや席次などの議論だけが多く、外交、治安、財政問題などには一切関与しない。(人柄は良さそうだが、現実の政治をほとんどやらず、やる気がなく、行財政の細部など知識もなく関与しない政治家:近衛内閣など)
  • 「源頼朝」二重権限構造の発明。昔からの律令制を温存し武家政権の基礎を作った。建前(律令)と本音(幕府)。天皇の下に権力を集中させる(征夷大将軍)
  • 「織田信長」否定された日本史の英雄。農業生産増大、土地開発技術の向上などから豪族が生また時代の武士。織田信長の桶狭間の戦いは奇襲ではなく今川軍が縦に長い軍列(22km)の一部を横から攻め込んだこと(風、雨が味方)、信長の出陣は午前2時頃、桶狭間を攻撃したのは午後1時から2時、4-5時間で着くところを熱田神宮から敵の中枢を探り時間をかけた。今川軍の豪族連合では命令が一貫して届かない、臨機応変の対応が難しかったことである。信長の少人数で戦いに勝ったのは生涯で2回、桶狭間と大阪本願寺との戦い。信長は繰り返し同じ方法で戦わない武将で時間と費用を掛けた専業兵、農繁期でも闘う組織の軍団を持っていた。金は楽市楽座からの収益で関所を廃止したことで僧たちの反感を買い比叡山、石山本願寺との戦争を繰り返した。
  • 「石田三成」日本型プロジェクトの創造。軍官の中堅官僚が時代を動かした。(治水、建築、道路など)五奉行、5大老の行政組織を作り秀頼、淀君などと継承を貫こうとしたが、石田は運悪さと戦下手(人脈の無さ)で武勲が無く、関ヶ原の戦いは惨敗する。(人間の行動動機は性善的な愛情、下劣な利益、恐怖に追い立てられる)
  • 「徳川家康」成長志向の気質の変革。「律儀と辛抱」、さらに「忍耐と倹約」の哲学を重んじる。よって「お上意識」が普及し封建的秩序を作り出す。家康の旗印「厭離穢土、欣求浄土」(汚れた世の中を厭い離れよ、浄められた世の中を欣んで求めよ)とした。江戸における武士は倹約を善しとしたが交際費だけは例外だった。家康はまずは安定を望み対外不信(島国根性)を貫いた。
  • 「石田梅岩」勤勉と倹約の庶民哲学。石門心学で勤勉な精神と倹約を啓蒙させた心理哲学者。「遊んでいるのはもったいない」と勤勉に働くことは人生修行(商習慣)になる。「贅沢は敵だ」、「ちゃんとイズム」も芽生えた。
  • 「大久保利通」官僚制度の創建。「民間に任せたらろくなことはない」から責任感とエリート意識から育った官僚組織、特に教育、医療、建設、運輸、通信及び警備の主導権を握った。政府が資金援助して内務省(通産・農林水産・厚生・建設・自治・警察および県知事)が仕切った。利通の死後、官僚を生み出す「帝国大学」が生まれ、官僚体制では「縄張り根性」「権限意識」が働き出し、規制監督など悪害が発生した
  • 「渋沢栄一」日本的資本主義の創始。生涯に約5百の大企業を作りあげた資本主義の先駆者。金融制度から日本的協調主義を生み出す(合本主義)。方や岩崎弥太郎の個人主義がぶつかり(海運事業競争)、ついに弥太郎側が勝利した。合本主義の欠点は遅い者に合わせることで競争に勝てない。渋沢は「論語」を重要視していた。
  • 「マッカーサー」日本を理想のアメリカにする試行。フイリッピン奪回から日本占領した陸軍司令官。日本を「極東のスイス」を妄想、議会制民主主義の導入。財閥解体と農地解放を崩し55年体制を敷いた。だが、日本の官僚体制を打ち破ることができず、官僚の権限強化になり基準と規制ばかりが強くなり安全性が低くなった。1951年には元帥から解雇され「老兵は消え去るのみ」の名言を残した。
  • 「池田勇人」経済大国の実現。所得倍増計画への道を強行、1960年代の平均成長率は10.3%となる。「貧乏人は麦を食え」と中小企業などの倒産はやもう得ない的な発想から無視しした。それは人間の規格化と人口集中都市を作り変えることであった。そのため官僚主導体制から金権体質となり政治・官僚・財界との癒着が蔓延った。
  • 「松下幸之助」日本式経営と哲学の創出。一介の勤労者から身を興して世界的な大企業に築き上げた経営者であり哲学者となった。努力と創意工夫を積み上げ勝ち取った英雄。「松下イズム」(販売網)を構築し信頼を得る。85歳で「松下政経塾」を興し経営哲学を教えた。大正から昭和にかけては労働横転率が多く首切りは当たり前の時代に終身雇用(日本式経営)を導入した。

王子近辺で見つけたもの(1)

2020-02-07 08:00:53 | 旅行
@北区王子駅から数分の場所に多くの神社仏閣、それに旧古河庭園がある。 
王子稲荷大明神の祈願狐、幸運を呼ぶ石(実際に石を持ち上げて重さを予測する)
金剛寺の仏の足跡、正受院の甲冑をつけた石造梅の花が咲き始めた・・・
北区飛島博物館で見つけた古墳時代の木の靴、江戸時代の花見弁当、春日野局の槍・・・