@「独裁は、個人崇拝が血の犠牲を生み、拷問するものは狂信者となり、叛徒が略奪に走り、知性は恐怖のうちに幕を閉じる」本書に記載された独裁者は誰もが同じ道を辿った。末期になると孤独と病魔に侵されると独裁者の側近ですら、犠牲者(家族を含めた拷問)にはなりたくない状況に追い込まれ、独裁者の意味不明の言葉でも「YES MAN」に徹したと、ある。現代、ロシアのプーチン、イスラエルのネタニアフも同じような足取りを取る感がする。気になる言葉は:「所有欲と強欲は自我の肥大化である誇大妄想と切っても切れない関係になる」
『独裁者たちの最期の日々(上)』ディアンヌ・デュクレ
22人の専門家が、それぞれ20世紀の独裁者24人の失墜後の最後の日々について、おおよそ年代順に1人あたり十数ページで簡潔に記したもの。
1 ドゥーチェの二度目の死(ベイニート・ムッソリーニ)
ムッソリーニの娘婿の裏切りをヒトラーは許さなかった(チャーノを犠牲にする選択)
愛人クララと共に逃亡先で銃弾に会う(最後まで信頼し合えるのは愛人しかいなかった)
会議で権力から降ろされた後、1年半移動する逃亡を続けた
2 ヒトラーの自殺(1945年4月30日地下壕で妻となったエヴァ・ブラウンと自殺その後焼却)
後任をゲーリングを決めていたがゲーリングとヒムラーの独断な動きに罵り激怒
ムッソリーニとの温情をかけすぎたと反省(ソ連への防御力不足となる)
ユダヤ問題が徹底不十分だった「結局、人が良すぎて後悔するわけだ」と嘆息した
「利益に資したユダヤ人政治家、人種法を守りユダヤ人を断固対抗する」
地下壕でゲッベルスの家族子供含め6人は睡眠薬を投与後毒殺
「恥辱と嘲笑の中で生きるより死んだ方がまし、戦後のドイツの子供達の居場所はない」
3 ペタン元帥は四度死ぬ
ドイツが占領後、フランスでの元首となり88歳、4年間の政権を取る
裁判で無期禁固刑にされ妻に「お前さえいてくれれば心が安まる」と手紙を送っている
ドゴールからの恩赦で収監先で90歳まで生き延びた
4 魔のソファ スターリン断末魔の五日間(1953年3月5日73歳で死亡)
死ぬまで仕事をやり遂げた指導者、独裁者で最後は妄想病で
側近者ですら人を寄り付かせない冷たく仕事に集中、外へは何人もの護衛を連れていた
敵と見做したものはたとえ側近でも家族含め拘束処刑にし集団殺人で2千万人を数えた
寝室で見つかった倒れたスターリンは48時間医者に見せることもなく放置された
5 トゥルヒーリョ、熱帯のカエサル(ドミニカ共和国大統領18年間・1961年5月30日暗殺)
米国の支援を受けて共和国の軍将軍に任命、大統領はバスケス
クーデターでバスケスが失脚し大統領に、個人資産はドミニカの国家予算を上回った
米国からのテロ支援を受けた反政府四人組の襲撃を受け暗殺される
6 ゴ・ディン・ジエム、「自己流愛国」大統領の死(南ベトナムの大統領:1963年暗殺)
米国の支援を受けて初代大統領となるが僧侶、反政府、北ベトナムの勢力争いで内乱
カトリックを重視、仏僧への弾圧で米国への不信から兄弟(大統領・軍事)を暗殺
7 パパ・ドクの静かな死(ハイチ大統領:14年間の制圧で1971年死亡)
「黒人主義」とブードウ宗教を重視し、人種迫害を強制、弾圧、殺戮(20万人)
「唯一の真の友は銃だ」と吹聴、妄想症で執念深く家族をも殺害
8 フランコの果てなき苦しみ(スペイン将軍36年間統制・国王的権威確立)
国政を担い36年間死ぬまで統治、多くの犠牲者を出し、死刑とした
1969年病気で倒れるが統制し続け内乱を収めた(1975年11月死亡)
1969年ファン・カルロスを後継者として国王に迎えたが、全権を剥奪し統治する
9 毛沢東の長い死(1974年病床には入りALSと診断1976年9月死亡83歳)
1966年から文化大革命を推進、1千万人の虐殺、2千万人収容所死者、飢餓43百万人
最後まで党派の対立を煽り、分裂によってを支配力を高めた(周鄧小平派と夫人江青)
毛沢東の病床での言葉「風は常に木の一番か高いところに吹く」周への期待
周恩来は1976年1月に毛沢東より先に亡くなり、華国鋒が首相に就任
1976年4月天安門事件後、鄧小平は投獄され、毛沢東は冷酷で残虐だった
10 フワーリ・ブーメディエンの最期の日々(アルジェリア大統領1978年48歳没)
軍人からクーデターでベン・ベラ大統領を逮捕、実権を握る
11 ポル・ポトは六度死ぬ(1979年まで44ヶ月の政権、逮捕隔離1997年死亡)
カンボジア領を守るためにベトナム等戦闘人口の5分の1、150万人虐殺
米国支援を受けたベトナム、中国との抗戦、フン・セン政権の揺らぎが混乱
「カンボジアが頭部と共に再び統一されることを願っている」を提言
12 パフラヴィー二世、最後の皇帝(イラン皇帝7年間ののち亡命1980年没)
石油権益・米国ソ連・英国などと覇権争い、ペルシア文化と宗教弾圧・民衆暴発
フランスに保護されていたシーア派最高指導者ホメイニ師の革命で亡命