獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』Ⅳ章 その6

2023-03-08 01:10:57 | 東村山女性市議転落死事件

乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』(教育史料出版会1996年5月)
より、引用しました。
できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

なお、乙骨さんにはメールで著書を引用している件をご報告したところ、快諾していただきました。
ありがとうございます。

(目次)
□まえがき
□Ⅰ章 怪死のミステリー
□Ⅱ章 疑惑への道のり
□Ⅲ章 対立の構図
■Ⅳ章 たたかいの軌跡
□Ⅴ章 真相を明らかにすることは民主主義を守ること
□あとがき

 


◆公明党市議、『週刊新潮』批判
こうした創価学会の動きとタイアップするかのように、東村山市の3月議会では公明党の大橋朝男市議が、『週刊新潮』記事は、「朝木議員や矢野市民新聞編集長の談を中心にして、仕組まれた売り込み記事で、朝木、矢野氏のガセネタに、週刊新潮がまんまと乗せられた」ものだとして、これを激しく非難する議会質問をくり広げた。

「○23番(大橋朝男君) 通告してありますように、法治国家における市政運営と市民意識の高揚についてお伺いいたします。
最近の当市の行政及び議会を扱った週刊誌及び市内にまかれている配布ピラ等に見られる、記事内容の間違いや、言論表現の暴力といっても過言ではないほどの誹謗、中傷記事について、市の考えと対応についてお伺いいたします。
第1点は、週刊誌、週刊新潮の記事内容についてであります。2月9日号に掲載された、『特集・創価学会に占領された東村山市役所のゆがみ』という見出しの記事は、全く事実とかけ離れた内容であり、当市の名誉を著しく傷つけ、なお、市民に不信感を抱かせ、行政への信頼を失墜させるおそれがあると思われる、極めて遺憾な内容であります。その何点かを指摘すれば、
1、この記事内容は、市の人口を13万8000人と間違っているのを初め、文中に出てくる数字に多くの間違いが見られ、その上、事実に反した興味本位の憶測と思われる内容が多く見られること。
2、また、記事の構成は、取材経過や日程などを見ると、当初から朝木議員や、矢野市民新聞編集長の談を中心にして、仕組まれた売り込み記事で、朝木、矢野氏のガセネタに週刊新潮がまんまと乗せられた感じであること。すなわち、市長、市幹部の話を入れて、インタビュー形式をとっているが、その見出しと内容はちぐはぐで、意図的であること。
3、リードに、『いつの間にやら組織の中に学会員が繁殖し』とか『増殖し』とか『蔓延ぶりを見せる』等々、人を人とも見ず、病原菌か細菌か何かのような扱いをするなど、全く人権を無視し、学会を軽蔑した表現をしていることで、これは、売るためには人目を引く、センセーショナルな見出しをつけ、事実を興味本意に歪曲した、誹謗、中傷記事であると思います。(中略)
市では、この週刊誌の記事に対して、どのように判断され、対応されたか、お答いただきたいと思います。
4、次に、『学会優先の行政』という見出しの中には、受付の嘱託職員が、採用手続きを取らずに、不正に採用されたとか、職員が勤務中に着服したとか、都営住宅に優先入居させたとか等々の談話を載せているが、そういう事実があったのかどうか。また、市役所が創価学会に占領されて、ゆがめられたという見出しがありますが、そういう事実があると思うかどうか。市の責任ある回答について、お伺いいたします」
この後、大橋氏は、矢野氏が編集長を務める『東村山市民新聞』にも言及。
「このピラは、週刊新潮に輪をかけた、憶測、でっちあげの誹謗、中傷記事で、しかも、この編集者は、人を悪者、犯人扱いにして、読む人の関心を引き、言葉巧みに責任を逃れようとしているずるがしこさは、普通の常識ある編集者にはまねのできないところです」
などと口を極めて罵るとともに、『東村山市民新聞』に掲載された、創価学会と公明の政教一致体質を批判した記事を次のように非難。あわせて創価学会の選挙活動は憲法で保障された権利であると強調した。

「市民新聞の62、63号で、『憲法20条、信教の自由』を取り上げ、創価学会、公明が、政教一致で憲法違反をしていると誹謗、中傷しております。そこで、私はこの問題につき、平成6年10月12日に、衆議院予算委員会で、改革所属で、弁護士の冬柴鉄三議員(旧公明)と大出峻郎内閣法制局長官との質疑、答弁の内容をもとに、市の見解をお伺いいたします。市民新聞では、『憲法20条1項後段の〈いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使してはならない〉という条文の、政治上の権力とは、国及び地方公共団体に独占されている権力で、立法権や裁判権、課税権、公務員の任免権、戸籍関係等の権限である。したがって、創価、公明集団が、国や自治体の連立与党に加わるのは、もちろん憲法20条違反ですし、創価、公明が議員を当選させ、議員の質問権という職務権限で、行政や議会運営に口を出すのも憲法違反です。創価、公明集団のやっていることは、市の職員採用を含め、ことごとく憲法違反の違法行為であって、個人の信教の自由の問題ではありません』と決めつけております。
この問題についての、冬柴議員の質問に対し、大出長官は、『憲法20条は、信教の自由についての規定であり、1項前段は信教の自由を保障し、後段では、信教の自由の保障を実質的なものにするため、いかなる宗教団体も、国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならないと規定し、第3項で、国権行使の場面において、国及びその機関が宗教に介入し、関与することを排除するという見地から、政教分離の原則を定めている。また、政治上の権力とは、読みにくい条文になっているが、憲法を制定するときの第90帝国議会での金森国務大臣の答弁にもあるとおり、国や公共団体が持っている特権、例えば立法権とか裁判権を、一部の宗教団体が授けられて、それを行使してはいけないということで、宗教団体が政治活動をすることを禁止するという趣旨の規定ではない』と明快に答弁しております」

この冬柴氏の質問は、94年秋の臨時国会において複数の自民党議員が、創価学会の政教一致体質を俎上にあげ、憲法20条後段の政教分離規定に違反すると指摘したことに対する反論としてなされたもの。大出内閣法制局長官は、憲法20条一項後段の政府見解についての見直し作業が、政府内で行われていないことから、創価学会による言論出版妨害事件に関する国会審議のなかで示された1970年当時の政府見解をくり返したにすぎない。


◆70年政府見解にしがみつく
余談だが、1970年(昭和45年)2月27日、創価学会の外部企業の社長を集めた社長会の上、池田氏は、同日行われた衆議院予算委員会での共産党・不破哲三書記局長(当時)の言論出版妨害事件に関する質問に対し、当時の佐藤栄作首相と、高辻内閣法制局長官が、創価学会擁護の答弁をしたことを高く評価している。
「マル共は空振りだったな。高辻法制局長官が『道義的には問題が残るが、憲法違反等という大げさなものではない。二党間で争ったり、国会で論議したりする問題ではない。どうしても疑いがあるならば、それは法廷で争う問題である』と、こちらの云いたい事を、皆、云ってくれた」(「社長会記録」)
公明党代議士を二十余年にわたって務めた大橋敏雄氏によれば、当時、公明党の国会議員は、自民党の執行部や幹部を連日接待し、情報収集をはかるとともに言論出版妨害事件の審議、こと池田喚問を阻止してくれるよう懇願していたという。
憲法20条一項後段の政教分離規定についての政府見解や、高辻法制局長官の答弁は、そうした創価学会・公明党の要請を汲んだうえで、将来の国会対策を考慮したとき、公明党を味方に引き入れておいた方が得策との佐藤内閣の意向、自民党執行部の判断によって出されたきわめて政治色の濃いものだったのである。
その70年当時の政府見解を踏襲した大出内閣法制局長官の答弁を、創価学会は『聖教新聞』で大々的に報道。以後、機関紙誌で、創価学会の政治活動は憲法上なんら問題がなく、むしろ宗教団体の政治活動は、憲法によって保障された権利であるとのキャンペーンを張り続けている。しかし、創価学会が“錦の御旗”として引用する憲法20条一項後段に対する現在の政府見解は、佐藤内閣の政治判断を抜きにして考えても、明らかに不備だと指摘できる。というのも、現行の政府見解の骨子は、戦前の国家神道体制下での宗教弾圧の歴史に対する反省に基づいて、国家権力の宗教に対する介入を禁止する内容となっている。現行憲法制定当時、国会ならびに法曹界に、宗教団体が政党を所有し、その政党が政権を掌握するなどという事態を予測する声は存在していなかった。したがって、政教分離規定に関する解釈は、必然的に国家権力による宗教介入の禁止という一方通行の解釈となっていったのである。
その結果、学界ならびに法曹界でも、従来は、靖国問題に象徴されるように、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」との憲法20条一項後段の政教分離規定の解釈は、国家権力による宗教への介入禁止という一方通行の解釈が主流を占め、「宗教団体が政党を組織し、その他積極的な政治活動によって政治に強い影響を与えることを禁止する」ものだとする、一橋大学法学部の田上穣治教授らの憲法解釈は、少数意見にとどまっていた。
だが、創価学会が結成した公明党が連立政権の一角を占めたという事実を踏まえて、ここにきて国家権力による宗教への介入の禁止にとどまらず、宗教による国家権力や政治への介入を禁止するよう改めようとの意見が増えてきている。
こうした学界の動向、世論を踏まえて、宗教法人法改正案が審議された95年秋の臨時国会では、新進党を除く与野党の複数の議員から、憲法20条一項後段についての政府見解の見直しが要求され、当時の野坂浩賢官房長官が、政府見解の見直しを約束したことは記憶に新しいところ。大橋氏の質問は、政府見解の変更、また憲法解釈の見直しの動きをまったく無視し、創価学会のキャンペーンをそのまま踏襲する形で行われている。 内閣法制局長官が示した政府見解を金科玉条のごとく振りかざす大橋氏は、次のような発言で、憲法解釈についての質問を締めくくって いる。

「この大出長官の答弁ですべて決着したということです。ところがここで市民新聞がこれを取り上げ、憲法解釈の無知、さるまねの浅知恵と、自分が一番正しいと思い込む傲慢と独善のあからさ(ママ)を、天下にさらけ出したわけであります。この程度の法律知識では、何回司法試験を受けても不合格は当然であり、(発言する者あり)裁判マニアと言われるほど、濫訴をしてもほとんど敗訴、こんなお粗末な矢野氏に、もん切り的に引用された北野教授と、宮沢氏がかわいそうです。この問題につき、市ではどのように考えているのか、御見解をお伺いします」

ちなみに東京外国語大学中国語学科を卒業した矢野氏は、一度も司法試験を受験していない。93年3月議会で、公明党の鈴木議員は、地方自治法第132条の「不穏当な言論の禁止」に基づいて、創価学会の名称をあげて質問した朝木さんの発言の取り消しを求めた。同条は、議員に対し議会で「無礼の言葉を使用」することを禁じているが、矢野氏を事実無根の中傷をもって批判する大橋発言は、この「不穏当な言論」に該当しないのかどうか、疑問である。

 

 


解説
70年当時の政府見解を踏襲した大出内閣法制局長官の答弁を、創価学会は『聖教新聞』で大々的に報道。以後、機関紙誌で、創価学会の政治活動は憲法上なんら問題がなく、むしろ宗教団体の政治活動は、憲法によって保障された権利であるとのキャンペーンを張り続けている。しかし、創価学会が“錦の御旗”として引用する憲法20条一項後段に対する現在の政府見解は、佐藤内閣の政治判断を抜きにして考えても、明らかに不備だと指摘できる。

ここ重要です。
宗教施設および『聖教新聞』を利用した選挙運動は、明らかな「政教一致」でしょう。
戸別訪問は単なる選挙違反です。
ことしの統一地方選でも、創価学会員の行動には注意が必要です。

獅子風蓮