獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ【番外編】むこうではダイナム疑惑をどう見ているのか (6)

2023-03-16 01:41:54 | TSさんとの対話

アンチの中にもファンが多いTSさんが、鯛焼きさんのブログのいちコーナーを借りて、アンチの方との対話を呼びかけていました。

 

●はTSさんの記事「対話ブログの常連さんへ」についたコメントのつづきです。

 


●エセ活動家のメッキが剥がれてきた(TS)

昨日の夜のシニフィエさんのコメント引用です。

 >ご本尊に対して唱題と願い事を引き換えにするバーター契約ですか?どう考えても他力本願ですね。自分の力ではどうしようもないことをご本尊にお願いして叶えてもらう。自分の可能性を信じているのではなくて、絶対的な力のあるご本尊にお金も時間も貢いだら何でも願いを叶えてくれると思ってませんか?
さて、それ一神教の人が神様に祈るのとどう違うんでしょう。のび太がドラえもんに「助けて~ドラえも~ん!」と泣きつくのと何が違うんでしょうね。<

 ドラエモン信仰と対局にあるのが創価の教えでしょうが、、、?(笑い)

 暴論とは言わないまでも、活動家だった常連さんもおかしな主張と気づきませんかね、、、?

 『御みやづかいを法華経とをぼしめせ、
「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり』

 これは壮年男子部なら何度も拝し、仕事に関わる信仰者の姿勢として肝に銘じる御文ですよね、、、。

 これのどこから棚からぼたもち、他力本願の信仰という発想が起きるのか、、、。

 この一事を持ってどんな仏道修行されてきたのか、、、メッキが剥がれてきたなという印象を持ちますね、、、。

 妙法の当体である私たちに備わっている妙の三義(具足円満、開く、蘇生)を引き出す信仰ですよ、、、。

 妙法の信仰を捨てたからって、創価が他力本願の信仰をしているというウソはダメでしょう、、、。

 彼の認識が誤りと気づかない常連さんも、まともな活動家とは思えませんよ、、、。

 それに加えバーター契約という発想ですか、、、(溜息)

 生きる意味や、死の恐れを抱く人間にとっては、人智を超えた宗教を求める気持ちは否定できないんですよ、、、。

 どの宗教も死の恐怖に対しての安心を与える保険という要素が少なからずありますよね、、、。

 ですから宗教指導者、宗教団体というのは、死後の体験談を共有できないわけですから、詐欺とまでいかないまでも、欺瞞という要素は充分あるわけですよ、、、。

 そういう意味でのバーター契約というのは、わからないわけではありませんが、願い事との引き換えのバーター契約という下心満載の不純な動機は、初心ならともかく信仰者の本質から大きくずれている発想と言いたいですね、、、。

 昔話を創作するのが好きみたいですから、不純な動機をもったおじいさん、おばあさんがどのような結末を迎えたかわかるような日本昔話はたくさんありますから、そちらにも目を通されることを期待します、、、。
2018/11/15(14:29) 


●やはり病的な方々と思ってしまう (TS)

 私たちの信仰の対象であるご本尊の処分に関するシニフィエさんのコメントがありましたが、紹介するのは差し控えますが、、、、

 信仰心を失った方が、御本尊をただの紙切れとしか思えないということは、私でも一応は理解は致しますよ、、、。

 ダイナムさんのときも思ったのですが、その怨念めいた処分の仕方が付いていけないなあと思ってしまうんですよ、、、。

 例えとして適当かわかりませんが、私はフラれた彼女の想い出の品物、手紙、写真などすべて処分するタイプの男です、、、。

 引きずりたくないとか、見ざる聞かざる言わざるが心の傷を最小限にとどめるいい方法と、情けないかもしれませんが、多くのフラれた経験のある私の自己防衛のやり方です、、、。

 ただ処分するのに、ハサミで切り刻んだとか、自分で燃やすとか、なんか怨念めいたやり方でするのって、私なんかは異様としか思えないんですよ、、。そんな男と知ったら、次の女性は引きませんかね、、、。

 私の感覚が違うなら仰っていただければ、、、。
 
 あくまで私個人の見解ですから、、、。

 キリスト教徒が改宗したとき、元信徒が聖書をハサミで切り刻むとか、十字架を火で燃やすとか想像してみても、共感できるのだろうか、、、?

 教会に返しにいくのが、常識ある大人の行動だと思うのですが、、、?

 私にとっては異様に思えるそのような行動を持ち上げる方々が、創価は詐欺というのも、何となく繋がってしまうように感じてしまいます、、、。
2018/11/17(06:59) 


●No title (アイスティー)

本尊の処分の話。
私も以前、自ブログで書いたことがあるんですが、
「そんなもんどうしようと自由だろう!!」
とやたら非難がきましたね(笑)
そりゃ自由ですよ。当たり前です。

でもただ返せばいいだけのことを、切り刻んでみたり、写真を撮ってわざわざ見せびらかしたり、ここぞとばかり性格が出るのが面白いですね。

性格は自由ですよ、モチロン。
でも「ああ、そういう人なんだ」と思われるのは事実です。
正しいとか間違っているじゃなく、それぞれの価値観の下で選択肢を選べばいいことと思います。

ちなみに「価値観の相違」って離婚原因のナンバー1だそうで、私は侮れないと思いますよ。
2018/11/17(10:09) 


●ご意見ありがとうございます。(TS)

 アイスティーさんの

 性格によるとのお考え、なるほどと思いました、、、。私の性格ではあの処分はついていけないという思いだけご理解を、、、。

 天パさんの

 >まぁ、興味が無く、嫌なら、読まないだけですが(笑)<

 そのようにしたいと思っております、、、。(笑い)

 呼びかけに応じないようなので、シニフィエさんのコメントの偏見を正しているわけですが、このパターンがいいのか、悩ましい所なんですよ、、、。

 11.18を機に鯛焼きさんと交代していただき、
鯛焼きさん独自の視点でやっていただくことを希望しております、、、。(マジです、笑い)

 オレンジさんの紹介されたブログは、私も目を通しています。第一線の現場で汗を流している方なら、共感される方も多いと思います、、、。

 はちゃめちゃで信用できなくなったとのことですが、騙されたつもりでやってみなと勧められた私としては、宗教自体の教えに過剰な期待は始めからまったく持っておりませんでした、、、。

 この辺りの感覚が二世、三世で親から刷り込まれ、過剰な期待を持つ意識の違いなのかなと思うのですが、、、。

 生命、宇宙の森羅万象に、人智を超えた何かしらの法則性があり、それを覚者たる方が妙法として自身の当体にもあり、その妙法に帰依するという教えは、信じるに値するいや違うな、騙されてやってみる価値があるかもしれないくらいの気持ちでした、、、。

 これだけでも十分すぎるほどの宗教、信仰だとも思いますが、本気で実践すれば自分の気持ちがいい方向に変化していくし、こりゃ騙される価値はあるぞと薦めて実践した友人にまで感謝された日には、おまけもでかく、お釣りも半端ないくらいの信仰に出会ったという思いです、、、。

 創価の教義も組織文化も絶対正しいとまで私は思っておりませんが、私のように価値的に人生を生きるために、信仰の必要性を感じている方は、世界中に大勢いると思っております、、、。

 あちらのブログに関わるなか、退会された方でも創価に感謝しているとのありがたいお言葉、その思いを裏切ることのないよう精進したいと思っております、、、。

 ありがとうございます。
2018/11/18(08:41) 

 

 


解説
『御みやづかいを法華経とをぼしめせ、
「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり』
これは壮年男子部なら何度も拝し、仕事に関わる信仰者の姿勢として肝に銘じる御文ですよね、、、。
これのどこから棚からぼたもち、他力本願の信仰という発想が起きるのか

信仰を持っている人の言葉の方がシニフィエさんの言葉より、はるかに重みがありますね。


獅子風蓮