獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』Ⅴ章 その6

2023-03-25 01:26:15 | 東村山女性市議転落死事件

乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』(教育史料出版会1996年5月)
より、引用しました。
できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

なお、乙骨さんにはメールで著書を引用している件をご報告したところ、快諾していただきました。
ありがとうございます。

(目次)
□まえがき
□Ⅰ章 怪死のミステリー
□Ⅱ章 疑惑への道のり
□Ⅲ章 対立の構図
□Ⅳ章 たたかいの軌跡
■Ⅴ章 真相を明らかにすることは民主主義を守ること
□あとがき


◆集団替え玉投票事件
三重県での選挙違反のもみ消しによって自信をもった創価学会は、「警察だって動かしているのは竹入、井上だよ」との池田発言のあった68年7月実施の参議院選挙で、集団替え玉投票事件という悪質な選挙違反を強行する。
これは、住民の出入りが多く、投票に行く人が少ない新宿区や世田谷区などで、アパート等に投票券が放置されていることに目をつけた創価学会が、組織的にこれを集めて、詐欺投票を行ったもので、新宿区や世田谷区で多くの有罪者を出した事件。この事件に際しても創価学会は、警視庁に泣きついて、事件の上層部への波及を未然に防いでいる。
当時、創価学会の顧問弁護士として事件の処理にあたった山崎正友氏は、その著『懺悔の告発』にその顛末を次のようにナマナマしく記述している。

「創価学会では、この時の選挙で、全都内でこうした投票券を使っての詐欺投票を行ない、新宿区、世田谷区、その他各区で検挙され、多数の有罪者を出した。その総数は、組織内調査の結果、二万を下らなかったと記憶している。新宿区は特にひどく、これは区の選挙責任者だった八矢英世氏(副会長・外郭の設計会社・創造者社長)、男子青年部責任者・松山久夫氏(一橋大卒、副会長)らの指示で全区にわたり組織的に行なわれたもので、総数は五千票を越えた。
その中でも、二千票余は、不在投票による替え玉という手の込んだものだった。
これらは、アパートやマンションの郵便受けから近くの学会員が投票券を抜き取って盗み、これを公明党の区議が選挙人名簿を閲覧して生年月日その他を確認し、格好の合った学会員を替え玉に仕立てる、という超知能犯、悪質犯の手口だった」

しかし当日投票に行った何人かの人が、すでに自分の名前で投票されていることを知り、警察に通報したことから捜査が開始され、指紋照合や聞き込みなどの結果、近隣の学会員が割り出され、捜査の手が学会に向くことになる。
その結果、創価学会は全組あげてもみ消し工作に着手する。

「この事件は、北條浩氏(元四代会長)、竹入義勝氏はじめ、創価学会・公明党の全幹部、弁護団が動員されて防衛に当たった。何とか、当初摘発された最小限の範囲に押さえようと、必死で証拠隠滅工作を行なった。しかし、検察庁が本腰を入れて替え玉投票のあったアパートの住民、前住民を当たり、不在投票者総てをチェックする方針を固めたとの情報が入り、創価学会本部はパニックに陥った。そのうち、逮捕者が音を上げて総てを供述し始め、私は証拠隠滅工作を行なった廉で逮捕状を執行されそうな破目に陥った。(中略)
この段階で、竹入委員長は、警視庁首脳とサシで会い、「共産党と本気で戦う我々を見殺しにすると、日本は大変なことになる」と訴え、創価学会の生命乞いをした。
その結果、検察庁側からの捜査要請を警視庁が拒否するという異例の形で、事件拡大は辛うじて防がれた。
この時、警視総監のお目こぼしと検察の断念がなかったら、今頃、公明党は存在していない。竹氏と一緒に検察庁へも頼みに行ったが、河合次席検事は、『あなたは、こんな所に来るべきではない。国の政治の場でお忙しいのでしょう』と嫌味を言った」(『懺悔の告発』)


◆投票所襲撃事件
さらにこの翌年、1969年夏の都議会議員選挙では、学会員による投票所襲撃事件という重犯罪が、公明党書記長市川雄一氏(当時、創価学会青年部参謀長)が選挙指揮をとった練馬区で生じた。
「練馬事件」と呼ばれるこの事件は、7月13日の都議選投票日の投票締め切り直後に起こった次のような事件だった。
練馬区第4投票所に指定された区立豊玉第二小学校に、午後6時の締め切り時刻を2分過ぎて現れた学会員男女2人が投票を求めた。だが、すでに締め切り時刻を過ぎていることから、投票立会人がこれを拒否。すると、2人は一度は立ち去ったものの、すぐに学会員十数人とともに押しかけ、投票立会人と口論となった。やがて学会員の人数は数十人に膨れ上がり、投票立会人を4時間半にわたって吊し上げたばかりか、駆けつけた選挙管理員に対し殴る蹴るの暴行を加えたのである。事件の目撃者の証言にはこうある。
「創価学会の人たちは何十人もが目をつり上げ、唇にあわをため、女性2人を含む4人の選挙立会人を4時間にわたってつるし上げたのです。4人の立会人の中には、70歳のお年寄りもいました。「お前ら、創価学会にたいして申し訳ないと思わんか! 土下座してあやまれ」といって、体育館の床にすわらせてこづきまわすのです」
「選管委員の渕上さんがなぐられ、口の周りをまっ赤にしていたあの姿……忘れようと思っても忘れられないおそろしい光景だった」

選管職員の被害届にはこうある。
「群衆の中の数人の者が、こんなことになったのはお前の責任だと言いながら渕上委員を中央にひきずり出して暴行を加えた。さらに管理者にも暴行を加え、その上、群衆は、管理者、立会人に土下座して謝罪することを要求したので、管理者、立会人はやむなくこれに従った」
この騒乱を指揮し、選管委員に、
「天文台の時計でも、ラジオの時報でも、絶対正確とは言えない。わずか30秒くらい遅れたのに、投票させないお前たちが悪い、投票させろ」
と強要したのが、市川氏であった。

事件の処理にあたった山崎弁護士は、『懺悔の告発』に当時の模様を次のように記している。
「とにかく一時の興奮がさめるにつれて、事件の深刻さに皆が気づいた。もちろん、マスコミも報道するし、捜査当局も動き始めた。創価学会・公明党の首脳も、市川雄一創価学会参謀室長・公明新聞編集局長が百名近い創価学会員を引きつれて投票所を襲撃し、乱暴狼藉を働いた、ということが明らかになった時のダメージを考えて、青くならざるを得なかった。(中略)
私達は、善後策に苦慮した。池田大作は、『出来たことは仕方がない。何とか市川は護ってやれ』と命令を下した。
これを聞いた竹入義勝委員長、矢野書記長ら党の首脳は、“市川を助けるといっても、長時間にわたり現場で姿を見られているのだから、市川が割り出されるのは時間の問題である。学会員が調べられたら、結局、市川の指図でやったという調書をとられてしまう。現場には署長をはじめ警察官がたくさんいたのだから、しっかり見られていて逃れようもない。ここは一つ、新宿の替え玉投票の時と一緒で、警察に腹を割って打ち明けて助けてもらうしかない”と判断し、竹入委員長が、早々に警視庁首脳と会い、『あとで、どんなことでも聞くから』と頭を下げて頼み込んだ」
その結果、投票所襲撃という民主主義否定の暴挙でありながら、結果的には、最初に投票所に来た2名の男女のうちの男1名に「選挙事務関係者・施設に対する暴力罪、騒擾罪等」で、懲役6カ月、執行猶予2年の判決が下されただけで、事件は終息したのである。


◆月刊ペン事件
同様に、池田大作氏の女性スキャンダルが問題となった月刊ペン事件でも、創価学会は警視庁を動かして、池田氏の女性スキャンダルを執筆した月刊ペン社の隈部大蔵編集長を逮捕させるという乱暴な手段を講じている。
月刊ペン事件とは、雑誌『月刊ペン』の隈部大蔵編集長が、同誌の1976年(昭和51)4月号に、「極悪の大罪犯す創価学会の実相、四重五重の大罪犯す創価学会補論(下)」と題する評論記事を執筆。そのなかで、池田氏には「芸者のめかけT子およびC子がおり、公明党議員として国会に送り込んだT子とM子はお手付きの情婦である。二人の国会議員をめかけに持ち、その女性関係は大先輩を上回る豪華さであり、しかも念のいったことにはこの国会議員であった情婦の一人を会長命令で公明党国会議員のWの正妻にくだしおかれた」等と記し、池田氏の名誉を毀損したというもの。
創価学会ならびに池田氏、そして池田氏の性的スキャンダルの相手と書かれた元公明党衆議院議員の多田時子、渡辺通子両氏が名誉棄損罪で警視庁に告訴。告訴を受理した警視庁が隈部氏を逮捕した後、東京地検に送検、地検が起訴し、公判となり、一審の東京地裁は隈部氏に懲役10月、執行猶予1年の判決を言い渡した。隈部氏は、これを不服として東京高裁に控訴したが、東京高裁も一審の判決を支持し、隈部氏の控訴を棄却したため、隈部氏は最高裁に上告。最高裁で係争中の1981年1月、創価学会を造反した山崎正友元学会顧問弁護士が、最高裁に自らが手がけた月刊ペン事件についての裏工作の実態を上申。これを契機として、裁判の流れは変わり、最高裁は、二審判決を破棄。審理を東京地裁に差し戻した。
山崎氏が、最高裁に提出した上申書には、隈部氏を逮捕させるべく、創価学会・公明党が検察や警察に対して行った工作の事実が、赤裸々に綴られている。

「隈部氏を告訴するに当たっては矢野公明党書記長、大野潔代議士、小谷野三郎弁護士、龍年光、藤井富雄、大川清幸東京都議会議員らが、法務省幹部、検察幹部、警視庁幹部と、綿密な打合わせをしました。衆参両議院法務委員長の権限を背景に、法務省筋に圧力をかける一方、東京都議会におけるキャスチングボートをにぎる与党としての力即ち警視庁予算を左右する力を背景に警視庁に圧力をかけたのであります。ことに、当時の警視庁捜査四課の幹部とは、学会側も小谷野弁護士も特別懇意な関係にあり、従って告訴は、四課で処理されることになりました。今回、私に対する恐喝告訴事件が四課において処理されているのも同じ理由であります。告訴に当たっての条件は、隈部大蔵氏を即刻逮捕すること及び池田大作氏を法廷に証人として立たせないよう配慮することの二つでありました。警察としてはこの要求に充分にこたえました。
事実、この種の事件としてはまことにめずらしいことでありますが隈部氏は、雑誌の編集長という社会的立場にありながら、事情聴取開始直後逮捕されたのであります」
本来、名誉棄損事件は、知能犯事件として捜査二課で扱われる。ところが、隈部氏の事件だけは、なぜか暴力団担当の捜査四課が担当し、即刻隈部氏を逮捕した。その背景には、創価学会との「特別懇意」な関係があったのである。

 

 


解説
山崎弁護士は、『懺悔の告発』などの著書で、創価学会の過去の犯罪的行為の数々を告発しています。
また、原島嵩氏と共謀して聖教新聞社から段ボール13箱分の内部資料を持ち出し、マスコミに流出させたと言われています。
今私たちは、持ちだした資料のおかげで、多くの事実を知ることができます。
山崎氏自身は、顧問弁護士でありながら創価学会を恐喝したなどで逮捕され収監されたりしましたが、刑期を終えて社会に復帰してからも、多くの著書を書き、創価学会の告発を続けました。
しかし、山崎氏は私生活のだらしないことや、自身が創価学会の謀略的工作に深く関わったことから、多くの創価学会員に蛇蝎のように嫌われています。
アンチの中にも、山崎氏のことを快く思っていない人は少なくないでしょう。
Wikipediaを見ると、ほぼ創価学会の主張通りに書かれていて、誰も彼の功績の部分に言及する人はいません。
平成20年に死亡した山崎氏は反論することもできません。
少しかわいそうな気もします。
いつか、山崎氏の功績の部分も含めて、再評価される日が来ることを望みます。

獅子風蓮