獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第2章 その4

2022-12-12 01:39:24 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
■第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
□第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき



「この人に統一原理を聞かせたい」
ステキな人だった。
統一原理を聞いていなかったら、素直にその告白を喜び、その愛を受け入れていただろう。
(私はもう恋はしない。そう固く心に誓ったじゃないか。私はどんな結婚をしなければならないかを知ったはずだ。なのに、どうしてこんなに心が揺れるのだろう。どうしてこんなに胸の奥が熱いのか)
その人からくる愛の波動を受け、自分の心が引っぼられていくのがよくわかった。
でも、その人の愛へ走れば、二人とも堕ちていく。
再び、電話のベルが鳴った。
統一原理を聞かせたいと思った。
統一原理を知ると、大切な人に聞かせたいと思う。どんな形でもいいから、統一原理を聞かせるチャンスを与えてほしいと思う。
このまま、その人が私から離れ去ってしまえば、そのチャンスさえも失ってしまうことになる。
さっきの電話での告白を無視した形で、私は問いかけた。
「ヒマはないの? 私はあるところで、自己啓発みたいなことを勉強してるんだけど、一度聞いてみない?」
統一教会という言葉は口に出さなかった。
「そんなの行ったことあるけど、のめりこむからいやなんだ。絶対行かない」
「そう……、私の気持ちを知ってもらうには、その方法しかないような気がして……」
私は続けた。
「あなたは、とってもステキな人だと思う。あなたと同じような気持ちを私も持っていると思う。
でも私は、結婚ということをすごく大切に考えてるの。だから簡単につき合えない」
「ぼくも、結婚は大事に考えてる。結婚したら一生一人の人を愛したい。でも結婚なんてまだ早いし考えてもいない。……そう言ってもらってスッキリした。そうじゃないと期待しちゃうから」
私のあいまいな言葉に、彼がどう納得したのかはわからない。でも、これでいいと思った。心がその人のところへ行く前に、閉じこめておく必要があった。
「そこは愛の軍団なの?」
「まあ、そう言えばそうねえ。愛とか結婚とかを真剣に考えるところよ。一度聞いてみたらいいのに。いろんなことに役立つと思うけど」
「いい。ぼくは愛の軍団には入らない。今はやりたいことがたくさんあるし、のめりこむと怖いから。これからは、いい友達として電話するね」


愛する心を無理やり閉ざす
それからも毎日のように電話があった。
冗談や笑い話で時間が過ぎていった。
心ひかれる者としてではなく、ただの友達として話していた。
でも、ホントのところはそうじゃなかったのかもしれない。
二つの磁石のプラス極とマイナス極のように、一度引かれあったものが離れるには、お互いに背を向けるしかなかった。でも私たちは、自分の気持ちに強い力で背を向けたとだん、プラス極とマイナス極が逆になっただけで、再び引き戻されていたのかもしれない。
(どうにかして、この人に統一原理を聞かせたい)
そういう想いで話をしているのか、ただ単にその人と話をすること自体を楽しんでいるのか、私自身の気持ちさえも、だんだんわからなくなってくるようだった。
数カ月たって、その人がまた打ちあけた。
「やっぱり友達じゃない。ただの友達だったら、こんなに毎日電話しない」
答えようがなかった。
私にはどうすることもできない。どうしてここまで、その人の愛を引っぱってきてしまったのか。
「いつも自分の気持ちは言わないね」
彼はそう言った。長い沈黙のあと、
「頭と心がケンカしてる」
そう答えるのがやっとだった。
頭では統一原理が正しいと思っているのだが、あまりにもまっすぐな愛に、本心はぐんぐん引っぱられていく。
その日を境に、あまり電話がこなくなった。
急に電話がこなくなると、かえって心が彼を求めていく。
私はだんだん苦しくなってきた。教会の中では「いつもがんばっている」という評価を受けていたので、そんな想いを抱いていることはM先生にも相談できなかった。
私は毎日、泣きながら神様に祈った。こんな心を抱く私を許してくださいと祈った。
そして、自分自身の力で、この想いを断ち切らなければならないと思った。
私が好きになったって、その人が私のことを好きでいてくれたって、どうにもなるものでもなかった。私には祝福を受ける以外に救われる道はないのだから。
私は、心をその人の方にまっすぐ向けたまま、自分の気持ちを認めた上で、心を整理しようと決意した。自分の気持ちにウソをついて背を向ければ、またすぐに引き戻されてしまう。このひかれていく想いを、正面でとらえながら断ち切っていこうと思った。
私は再び、愛する心を閉ざした。


合同結婚式へのためらい
そこへ、「祝福延期」の話が舞い込んだ。
祝福のための心の準備もまだまだ整っていなかった私は、ホッと胸をなでおろした。
私の祝福への道が少しずつ具体的になってきたのは、92年に入ってからだった。8月ぐらいには合同結婚式が行われるらしいと聞いた。
「浩子さん、今年こそ受けられたらいいわねえ」
M先生はそう言いながら、ニコニコと笑う。くすり指には、統一教会旗を形どった祝福の指輪が光っている。多くの試練を乗り越えて勝ちとったんだという誇りが、指輪に表れているように思った。
(私もこの勝利の証の指輪を手にすることができるのだろうか)
前年と比べて、生活が極端に変わったわけではない。自分で条件をたてるようになって、御言を学んだり、水行や、お祈りをする。日曜には、できるだけ礼拝に行く。日曜の朝は五時に起きて祈祷をする。
自分の信仰の基準がアップしているとは思わなかった。ただ、時だけが流れていくようだった。
でも、
(今年こそは祝福を受けなければ)
という想いは強くなっていった。
祝福を受けて、祝福の子女を産み増やさなければならない。祝福の偉大さは、生まれてくる二世(子供)によって、思い知らされるという。
32歳という年齢からいっても、その時期なのだろうと思った。
祝福は、神の一方的な恵みである。与えられるその時を逃すと、今度いつ祝福があるかわからないという。
(先祖の救い、後孫の救いは私の一手にかかっているんだ)
でも、心の底からの叫びではなかった。
「受けたい」という希望より、「受けねばなるまい」という使命感の方がどうしても先に立った。

 

(つづく)

 


解説
第2章では、山崎浩子さんが旧統一教会と出会い、その教義にのめり込む様子がていねいに描かれています。

素敵な男性と巡り会っても決して恋をすることが許されないとは、おかしな宗教ですね。


獅子風蓮



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