前回、友岡さんが次の本を紹介していました。
『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)
出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。
さっそく図書館で借りて読んでみました。
一部、引用します。
■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
■第1部「福祉との出合い」
□第2部「司法と福祉のはざまで」
□第3部「あるろうあ者の裁判」
□第4部「塀の向こう側」
□第5部「見放された人」
□第6部「更生への道」
□第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに
第1部「福祉との出合い」
=2011年7月2日~8月2日掲載=
1)孤立
窃盗は生き延びるため――生活困窮、服役11回
4年前の8月。五島市の人けのない山道。初老の男が汗を滴らせながら、自転車をこいでいた。潮風でさびた車体が、時々嫌な音を立てる。かごに入れた袋には、神社で盗んだ供え物の缶詰が数個。この日の「戦利品」だ。
「これで当分は食いつなげる」。ペダルを踏みながら、高村正吉(60)=仮名=は思った。腹が減り、たばこが吸いたくなると、島の神社を回ってはさい銭箱をひっくり返す、そんな日々を送っていた。
仕事も、金もなかった。どん底の生活から抜け出す方法もまた、分からなかった。唯一の生き延びるすべは「盗むこと」。盗みをした後は、だから、罪悪感よりも安堵感が先に立った。
不意に目の前で1台のパトカーが止まった。警察官がいぶかしげな表情を向ける。「袋の中を見せてもらえるか?」。職務質問だ。高村は首を振った。鼓動が早鐘を打つ。こんな時はいつもうまく言葉が出てこない。
しどろもどろになった末、観念して袋を開けた。警察署に連行され、神社荒らしをして缶詰やさい銭を盗んだことを自供。その日のうちに逮捕された。罪名は「常習累犯窃盗」。10年間に3回以上実刑判決を受けると、罰則が重いこの罪が適用されるのだ。
高村は10代のころから、盗んでは捕まる、出ては盗む―を繰り返してきた。人生の半分を、刑務所の中で生きてきた。
「累犯障害者」と呼ばれる人たちがいる。
知的・精神障害があるのに、福祉の支援を受けられず、結果的に犯罪を繰り返す人たちのことだ。毎年、新しく刑務所に入る受刑者の4分の1、6千~7千人は知的障害の疑いがある人たちだ、とさえ言われる。
福祉の網からこぼれ落ちたこうした「障害者」たちの多くは、社会で孤立し、生活に困窮した挙げ句、罪を重ねている。
彼らの存在が注目されるようになってから、まだ日は浅い。行政や福祉も動き始めたが、人知れず今も、多くの障害者が、刑務所と福祉のはざまで漂っている。
「刑務所を出て、社会に戻るのが怖い」とある障害者は言った。彼らを塀の向こうに追いやったものは何なのか―。本紙長期連載「居場所を探して―累犯障害者たち」は、罪を犯した障害者たちの姿を追いながら、福祉や社会のありようを考える。第1部では、県内で暮らす3人の障害者の実像に迫る。
同じ年の10月。懲役3年の判決を受けた高村は、長崎刑務所(諫早市)に送られた。前回の罪で満期出所してから、まだ9ヵ月しかたっていなかった。
小さな背中を丸めて塀をくぐった高村に、顔見知りの刑務官があきれたように言った。
「また来たとか」。高村は愛想笑いを浮かべ、何度も頭を下げた。「またまじめにつとめます」
この日、生涯11度目の服役生活が始まった。
(つづく)
【解説】
知的・精神障害があるのに、福祉の支援を受けられず、結果的に犯罪を繰り返す人たちのことだ。毎年、新しく刑務所に入る受刑者の4分の1、6千~7千人は知的障害の疑いがある人たちだ、とさえ言われる。
福祉の網からこぼれ落ちたこうした「障害者」たちの多くは、社会で孤立し、生活に困窮した挙げ句、罪を重ねている。
福祉の網からこぼれ落ちたこうした「障害者」を支えるのは、法律でしょうか。
制度や組織でしょうか。
ボランティア活動でしょうか。
宗教でしょうか。
友岡さんは、どういうアプローチができると考えていたのでしょう。
獅子風蓮