「県政オンブズマン静岡(静岡県庁の光と闇)~よりよき未来のために~」管理人のブログ

注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

知事、地権者宅に役人上がりの副知事遣わし、自身は動かず。

2008-10-26 18:31:11 | 静岡空港
25日、県は地権者に立木の除去への協力を求めるため県職員上がりの副知事を地権者宅に派遣した。
この期に及んで知事はまだ自身の責任から逃げようとしているようだ。
自分以外の者が県として謝罪しようがどうしようが後で自分は知らないと言い切ることができる。
なによりも、役所相手の口頭でのやり取りが禁物であることはこのブログでも再三注意喚起しているところであるが、「言った覚えがない」「記憶にない」「そういう意味で言ったわけではない」「あれは私的な発言で公式な県の見解ではない」など、言葉ですますというのは役人にとってはその場逃れの常套手段である。
しかも、言質を一度取っただけで安心はできないのがこの世界の常識。
一文字違いで全く意味を変えたりするのは得意だが、そればかりではない
言葉そのものの意味や解釈が我々の日常生活とはまったく異なるからだ。
かつての空港に係る住民投票の公約を公言という意味だったと平然と言ってのけた官僚出身の現知事のことを忘れてはならない。それがまかり通るのだ。『いま、しのびよる危機(石川嘉延像)』(http://www2.ocn.ne.jp/~sizuoka1/tokubetu.html)今また、「隠していたわけではない」などという迷言まで飛び出している。

迂遠であっても公文書(書証)による何回もの質疑のやり取りで事実関係や解釈の一致を明確にしていくことが、特に本県の役人を相手にする際には必要不可欠なのである。
また、今日の中日新聞によると県は今年2月に立木付近の測量を行った「アジア航測」(本社・川崎市)に当時の測量データの提出を求めていたそうである。同社は新聞社の取材に対して「測量ミスはなかった」としているそうであるが、それよりも県が今年2月には謝りの原因の調査を行っていながらその事実を伏せ続け、未だに原因を明らかにしていないことが問題であろう。真実を隠蔽するための方便でも考え続けていたのだろうか。

空港のごみ問題も県の無計画ぶりを示すものだ。
24日の読売新聞と25日の毎日新聞で報道されたが、県が空港から出るごみの処理を今月23日になって初めて吉田町長に要請し、「(開港予定の5か月前まで正式要請がないのは)地元に対する配慮に欠けているのではないか」と不快感を示され空港管理事務所長が陳謝したが、町長は空港の地元自治体として県の交付金を受けられるように求め対応次第ではごみ処理を拒否する意向を明らかにしたとのこと。
まったくおかしな話だ。空港は地元自治体の要望で造ったのに、できるとなったら交付金をよこせとは。ただでさえ、地元自治体には空港のおかげで税収も増えるというのに。
これも県の間抜けぶりが招いたものであるが、なぜ事前にそういうことを取り決めておこなかったのか。造る前にしっかり決めておけば、もちろんごみ処理なんて地元で負担しますということになっただろうに。
こうしてまたも県民の税金が杜撰な空港事業のために一自治体につぎ込まれそうだ。
しかも、誰も責任を負うことなく。
このお気楽行政では誰も何も良い方向には変わらないだろう。

高さ制限越える土地を受け、知事「隠していたわけではない」、県幹部「さすがに土が盛られたとはいえない」

2008-10-24 20:15:07 | 静岡空港
昨日までに、立木だけでなく、高さ制限を超える可能性のある土地の存在が明らかになったのを受けて今日の新聞では関係者のコメントが並んでいたが、朝日新聞の県幹部の一人の発言「さすがに土が盛られたとはいえない」が県の体質を象徴している。
この責任逃れできる理由があれば絶対責任を認めないという不都合な真実の否認姿勢が「木が生長して伸びた」との知事の発言にもつながっている。
しかし、進展もあった国も県も未だ責任は認めていないものの、制限表面に抵触する問題の存在自体は認めたことで地権者の土地への立ち入りが認められ県による測量が昨日から始まったからだ。そうはいっても、伐採や土地の改変について決着したわけではもちろんない。
ただ、これにより、どの程度制限表面を超えているのかなど、話し合いの前提となる事実関係ははっきりする。

次は29日の県議会全員協議会。議会がしっかり県の説明責任と知事が認めていない二重(収用誤りとその隠ぺい)の過失責任を追及し、現に責任をしっかり取らせれば状況は変わってくる可能性がある。これがまさに議会に科された踏み絵。存在意義だけでなく開港の成否も問われることになった。

事業認定取消訴訟の準備書面で国と県が問題の存在自体は認めたことでもあり、ここでこの制限表面問題の場所を整理しておこう。
問題の個所が分からないという方のために最初にYahooの航空写真地図をリンクする。

http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=34.800507&lon=138.16488613&sc=1&mode=aero&pointer=on

この航空写真中央が問題の立木(茶畑の左側の縦一列)の中心である。
空港建設地は写真右側に当たる。
航空測量のミスというが、はっきり立木は確認できる。
問題は、茶畑横の一列を残して後ろ側(空港とは逆側)の立木は収用対象であるという点だ。そちらの立木の方が空港から遠くしかも低いからだ。
続いて写真と同じ方向で表示した収用図面を見てもらいたい。


分かりやすく4色に区分しているが実際は、収用地、使用地、残地の3種類に分けられる。残地は言葉どおり収用対象から外れた部分(収用から残った部分)ということだ。

最初に問題とされた立木は茶畑横の黄緑部分であるが、さらに問題になっている可能性のある土地がS71地点(10月21日ブログhttp://navy.ap.teacup.com/hikaritoyami/281.htmlの写真の赤白の棒の立っている地点=青い杭の地点)付近から右に茶畑残地のふち沿いの盛り土部分である。

航空写真と見比べれば素人でも残地(収用対象外地)の形、特にS98地点を頂点とした三角形領域が異常と気づく。
これだけで、県の収用責任者や国の事業認定の責任者がしっかりチェックしていれば容易に発見できたはずの収用誤りであり、杜撰にして無責任ということが一目瞭然であろう。いったい誰がどのようなチェックをしたのか?専決者はどのような責任を果たしたのか?

知事や県は問題の存在を1年以上も前に認識しながら、地権者に対して問題の存在を一貫して否定し地すべり対策をさせてほしいというだけで月日を浪費してきた。いや、正しくはミスを隠ぺいするために県民に知られる前に解決しようと地権者に圧力をかけ続けてきたが安易な希望は当然のことながら結局失敗に終わったという方が適切だろう。
人は圧力や鼻先の人参で動く人間ばかりではないことを井の中の蛙の役人達には理解できなかった。
当闇奉行所としては、収用の範囲のミスそのものよりもこちらの方が重大な責任を負うべき事実であると裁く

29日には議会の追及を受ける以前に、県には自主的な説明責任とこれら一連の過ちの責任をとってもらいたいものである。
県も国も、日本だけでなく世界経済が崩壊しようとしているときに、開港を延期しようがしまいがお荷物確実なこんな空港に組織のエネルギーを取られている時ではないはずだ。

開港延期も一時的影響にすぎないとの責任逃れの知事

2008-10-23 20:32:59 | 静岡空港
知事は今日、出張先の浜松市で会見し、開港が遅れた場合は申し訳ないとしながらも、そうなっても一過性一時的な影響との安易な認識を示した。
大したことではない、責任は軽い、口で謝ればすむ程度ということなのだろう。
追加工事の1億円にしても5億円くらい大したことはないという認識(http://www2.ocn.ne.jp/~sizuoka1/kuukoutokuban.html)をお持ちの御仁だからやはり責任など大して感じないのだろう。
また今日は、中日新聞が今月30日の静岡空港に係る事業認定取消訴訟の口頭弁論で立木とは別に一部の土地も高さ制限を超えていることを国と県が認めることを報じ、隠ぺい体質の奥深さを浮き彫りにした。(ちなみに、場所はhttp://navy.ap.teacup.com/hikaritoyami/281.html
の3番目と4番目の写真の茶畑の周囲に帯状に広がる盛り土部分で収用においては使用地として所有権は移転せずに使用制限された部分。なお、立木のある土地は残地という。)
夕方のニュースではあのSBSでさえ、収用すべきでない土地まで収用した事実を指摘し、国と県の過ちを糾弾した。
8角形の中に8角形を配するという八方ふさがりの相のシンボルマークが暗示したように行くも退くも泥沼だ。敷地内でも死者を出すなど呪われた空港だけに、開港してもいずれ大惨事が起きないか危惧されるくらいだ。

2日前を繰り返すが、過去の過ちをすべて認め、責任を明確にし、現に責任をとることが県民への説明責任という観点からも欠かせないものだ。その上で初めて、正確な測量に基づきどこまで切る・削る必要があるとか、ここが過大収用であったからどう処理するとか、だれの負担でいつ工事をするとか具体的に県民にとって真に利益となる方向で問題解決に向けた当事者の話し合いに入れる。

間違っちゃた。ごめん。でも大したことない。というトップの認識では話し合い以前の齟齬がいつまでも続くだけだ。

とはいっても、この知事、これだけの問題を認めずに隠蔽し続け、その間にもトップセールスと称しろくな成果もない海外旅行三昧の上、空港活性化を名目に大型箱物施設(産業展示館)の建設に向けこのご時世に来年度から予算化するというなど合理性のない夢想家だ。
正しい判断ができるとは思えない。
さらに、住民投票をするといいながら当選し、県指名の委員による専門家会議がその代わりと詭弁を弄することもいとわない人種だ。
言葉も安易には信用できない。

そういう彼にとっては地権者らに頭を下げずに自分の懐が痛まない税金を使って工事をして滑走路を短縮し、後で再び強権である強制収用で突破する方がお似合いなのかもしれない。

東京での7つの医療機関をたらいまわしになった妊婦死亡の事件は、医療の現状への危機感を改めて認識させているが、静岡県は無策だ。死亡事故が起こらないのが奇跡的状といえる。富士市では1億円の開業費用補助で産婦人科医を募集しても応募者ゼロで困惑しているという。これだけの市でさえ産婦人科医不在となる状況の中、確実にリスクは高くなっている。
空港と同じで「何とかなるさ」の非合理的希望で行政をやられたら県民はたまったものではない。
その意味でも組織の立て直しは急務だ。無駄遣いをしているような状況ではない。

29日の県議会の判断は大きな意味を持つ。知事をとるのか県民をとるのか、注目だ。

またか!「県職員のミスで生じた損失は県民負担?」

2008-10-22 23:26:18 | 静岡空港
空港の立木問題で滑走路短縮に伴い2500m用に設置した灯火などの変更工事費が1億円もかかるという。
おそらく職員の過失を認めないまま税金投入で済まそうとしているのだろう。
もちろん今の時点では縮小案・開港時期遅延も正式決定ではなく世論の動向をみるための観測情報段階でありどうひっくり返るかはわからない。静観が基本だ。
ただ、法理論的に職員のミスを認めれば県は収用処分等の専決権を持った職員に賠償を求める必要があることは

「県職員のミスで生じた損失は県民負担?」
http://navy.ap.teacup.com/hikaritoyami/27.html

にも示した判例からも明らか。だから失敗は認めたくはないのだろう。
とはいっても、過失は収用のミスというだけではない。
1年以上も前に立木が障害となる事実を認知しながら漫然と2500m滑走路3月開港で整備を進めてきたことも重大な過失であろう。
変更可能なように決断のタイミングを計るべきが常識だ。

これは危機管理以前の組織としての能力・体質の問題ともいえる。

『合理性を欠くわが国民性は、やることなすことが行き当りばったりで、相互の間に理屈が合わない。セクショナリズムの国民性は、ものをみる視野が狭く、やることが独善的である。因襲から容易に抜け切れない国民性は、気が付いても、直ちに180度転換の進歩的革新を行うことができない。熱しやすく冷めやすい国民性は、すぐ思い上がって相手を見下げる。かと思うと自主邁進の気迫に乏しい日和見的な国民性は、他力本願になりやすく、卑屈な事大主義ともなる。合理性を欠くために希望と現実を混同して、漫然とことに臨み、敗れて後はじめて名論卓説を述べる
これはネットでもよく引用される淵田美津雄著「ミッドウェー」の有名な国民性評価だが、県組織にあっても同様だ。

問題を認識した時点で合理的に考えればなすべきことは整理可能だ。
それがもっとも重要な戦略構築であり、個々の交渉術である戦術に希望を託すだけでは無能といわれても仕方あるまい。まったく合理性がない。
静岡県のレベルはしょせん
『県庁を変えた「新公共経営」』で宣伝中の職員改善提案もどきを改革といっている程度のものでしかない。

「真実を見る目を」
http://navy.ap.teacup.com/hikaritoyami/115.html

無責任と欺瞞と自己満足の矮小化した世界にどっぷり浸ってきたつけが回ってきたのだ。

もちろん、このつけを無過失の地権者・県民が負担すべき合理性は何一つない。
だったら、誰が責任を負うのか。説明責任を果たしてもらいたい。

県議の踏み絵、空港立木問題

2008-10-21 21:53:09 | 静岡空港
今日も新聞では朝日新聞で、夕方にはNHKでも取り扱われた空港西側立木問題。
新聞には「開港が遅れてもだれの得にもならない」との県議のコメントがあるが、このご時世に生活に困っているわけでもない観光旅行者に実質垂れ流される税金という出血が少しでも止血されることが理解されていないようだ。
また、対応策については29日に県が説明しその後に県議会の具体的質問を決めることが今日決まったとのこと。
ただ問題は、その県議が前提も正しく理解していないことだ。
さすがに木が突然伸びただけということは信じてないだろうが県のミスであることも半信半疑で情報戦においてすでに役人の手の内にあるようだ。そこで県の新たなつじつま合わせの言い訳を信じることなく正しい判断と追及をしていただくため、昨年の現場写真の一部を示したい。

まず最初の写真。これが、収用によって周囲が伐採される前の問題の立木の写真である。

↑滑走路側から見ており、写真左端の方の比較的低い立木と正面奥の下り斜面に茂っていた立木が収用対象として伐採され、周囲の立木の中でも一番高い右端の立木を含め写真前面の立木群が収用の対象から外されたものである。


↑これは写真右側が問題の立木群側、左が滑走路側にあたる。正面の低い木と左側の木は収用の対象として切られている。


↑これはひとつ前の写真と同じ方向から数メートル引いてやや左側を写した写真である。
写真左側(茶畑から見て滑走路側)の立木含めすべて収用対象として切られた立木である。さらに驚くことに、写真手前の1mほどの盛り土(青い杭から上の部分)でさえ収用の対象と使用制限されている。


↑赤白の棒の位置が先の写真の青い杭の位置で収用(使用地)対象となった盛り土。そして写真右の大木が収用対象外として残存する問題の立木。その差は目視で十数メートル違う。

これが1年や2年で伸びたという誤差であろうか?

県は県民をも欺く過大な需要予測による強制収用という暴力で地権者らの真実の主張を封殺蹂躙した。
県は多元連立方程式などと称し今なお事実の隠ぺいと虚偽で切り抜けられないかを模索している。あきれるばかりであるが、それが役人というものだ。
そもそもが責任者とは失敗に対して責任をとるから責任者であろう。
自身で真実を明らかにしその責任を明確にした上で、現に責任をとる勇気がないというのは社会全体にとって不幸だ。
だから、誰かが追及しなければならない。社保庁のような無責任を許してはならない。
なぜ誰のせいでこうなったのか、なぜ誰のせいで問題が放置され続けたのか。
29日、県議諸氏の良心を是非見せてもらいたいものだ。