川越氷川神社の境内に柿の本人麻呂神社があって、その横に山上憶良の歌碑がある。小さい文字でびっしり書いてあったのでなかなか読めなかった。
父母を 見れば尊し 妻子見れば めぐし愛し 世の中は かくぞ道理
黐鳥の かからはしもよ 行く方知らねば 穿沓を 脱ぎ棄る如く
踏み脱ぎて 行くらふ人は 石木より 成りてし人か 汝が名告らさね
天へ行かば 汝がまにまに 地ならば 大王います この照らす
月日の下は天雲の 向伏す極 谷蟆の さ渡る極 聞しをす
国のまほらぞ かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか
(五巻 800)
ひさかたの天道は遠しなほなほに
家に帰りて業を為まさに
(五巻 801)
父母を尊敬し 妻子をいとおしむのは世の中の道理である。それはいくらもがいても逃れがたい。それにもかかわらず破れた靴を脱ぎ捨てるように、現実を逃れようとする者は名を名乗れ。天上ならば勝手だが、この地上は天皇が統治する最上の国だ。そうしたものでもあるまい。
父母を 見れば尊し 妻子見れば めぐし愛し 世の中は かくぞ道理
黐鳥の かからはしもよ 行く方知らねば 穿沓を 脱ぎ棄る如く
踏み脱ぎて 行くらふ人は 石木より 成りてし人か 汝が名告らさね
天へ行かば 汝がまにまに 地ならば 大王います この照らす
月日の下は天雲の 向伏す極 谷蟆の さ渡る極 聞しをす
国のまほらぞ かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか
(五巻 800)
ひさかたの天道は遠しなほなほに
家に帰りて業を為まさに
(五巻 801)
父母を尊敬し 妻子をいとおしむのは世の中の道理である。それはいくらもがいても逃れがたい。それにもかかわらず破れた靴を脱ぎ捨てるように、現実を逃れようとする者は名を名乗れ。天上ならば勝手だが、この地上は天皇が統治する最上の国だ。そうしたものでもあるまい。