6月中旬、山の家に珍しく来客があったので、久し振りに浅間神社と外川家住宅に行った。
御師は富士山の神霊と崇拝者の間にたち、崇拝者に代わって祈りをあげ、お札を配り、信仰登山の際には自宅を宿泊所として提供して、富士信仰を広める
役割を果たした人々です。室町末期には御師の存在が記録の上で確認されており、その頃すでに御師か盛んに活動していたことがわかります。
江戸時代の最盛期には、約100軒ほどの御師が上吉田に居住していました。その1軒、外川家住宅を見ることができます。

中門から主屋

懐かしい火地炉の間

吉田の火祭り 神棚
今は無い模様の入ったガラス障子 どこの家にもあった食器棚、押し入れ
登山の白装束、 寒い山での就寝に備えて綿入れのかいまき、これを担いで登る

今日の富士山

北口本営富士浅間神社 鳥居
そびえたつ富士山を背に諏訪の森に鎮座しており、冨士のお山開きは神社の鳥居に張られた注連縄を切らなければ始まらず、またお山じまいの火祭りは
神社の秋祭りであるというように富士山と北口本宮冨士浅間神社とは深く強いもので結ばれています。
祭神は木花開耶姫命、彦火瓊々杵命、大山祇命です。
現在の本殿は1615年(元和元年)に再建、1688年(貞享5年)に社殿を造修、本社殿は桃山時代の高荘な建造物として重要文化財に指定されています
左右に燈籠が建ち並ぶ

境内駐車場にある浅間茶屋
御師は富士山の神霊と崇拝者の間にたち、崇拝者に代わって祈りをあげ、お札を配り、信仰登山の際には自宅を宿泊所として提供して、富士信仰を広める
役割を果たした人々です。室町末期には御師の存在が記録の上で確認されており、その頃すでに御師か盛んに活動していたことがわかります。
江戸時代の最盛期には、約100軒ほどの御師が上吉田に居住していました。その1軒、外川家住宅を見ることができます。

中門から主屋

懐かしい火地炉の間


吉田の火祭り 神棚


今は無い模様の入ったガラス障子 どこの家にもあった食器棚、押し入れ


登山の白装束、 寒い山での就寝に備えて綿入れのかいまき、これを担いで登る


今日の富士山

北口本営富士浅間神社 鳥居
そびえたつ富士山を背に諏訪の森に鎮座しており、冨士のお山開きは神社の鳥居に張られた注連縄を切らなければ始まらず、またお山じまいの火祭りは
神社の秋祭りであるというように富士山と北口本宮冨士浅間神社とは深く強いもので結ばれています。
祭神は木花開耶姫命、彦火瓊々杵命、大山祇命です。
現在の本殿は1615年(元和元年)に再建、1688年(貞享5年)に社殿を造修、本社殿は桃山時代の高荘な建造物として重要文化財に指定されています

左右に燈籠が建ち並ぶ

境内駐車場にある浅間茶屋
