「六本木」は、外苑東通りと高速三号線通りの交差点を中心に四方に散って発展、赤坂9丁目に防衛庁と若者の街で、にぎあうのは、夕方から
ブテック・インテリア・喫茶店・スナックなど、オーップン店舗が多く、高層ビルで、自分の移置が判らない。
国立競技場・青山一丁目・六本木へ

縁深い武蔵野の東南に年経た六株の松が聳える小高い丘があった。
その松はどこからでも見えたのでいつとはなしに人々はこの土地を「六本木」と呼び慣れ それがそのまま地名になったと言い伝えられる。 もとはわびしい叢に道行く人も稀であったが、寛永年間 佛寺五院が創立されるとその門前に商家も集い やがては瓦もいかめしい大名屋敷が立ち並ぶようになった。
延宝から大正迄幾度となく行った道路拡張で交通が便利になると、このあたり一帯は人馬の通いも繁くなり おのずから賑わいを増していった。
そして明治の代 隣地に兵営が置かれるに及んで土地の繁栄は一層めざましくみなぎる活気のうちに昭和に入ると 山の手でも指折りの盛区に数えられれるようになった、、、。
私の知っている「六本木」は、都電が通り寂しい街。
駅の周りは、オフイス高層ビルでどこに立ってるのかウロウロ



六本木から初めて降りる「麻布十番」駅

赤い靴は 履いってた 女の子の童謡の「麻布十番」はここ。「麻布十番」駅下車、江戸時代から続く古い商店街、下町の浅草仲見世・山の手の麻布十番と称されていた。

赤い靴の少女の「歌」は、大正10年野口雨情作詞の童謡、、モデルの女の子は、アメリカ宣教師夫妻の養女に、異人さんの国には渡らず
結核で、9歳で亡くなっている。麻布十番商店街と地元で募金を始め、可愛い像が立っている。
お昼時で大使館の外国人で一杯

「十番稲荷神社」は、末広神社(旧坂下町鎮座)および竹長稲荷神社(旧永坂町鎮座)両神社を、昭和20年戦災に遭い焼失、
昭和25年復興土地区画整理により、両社境内地を現在地に換地、隣接指定された。
小さいが地元鎮座する「お稲荷さん」



七福神めぐりの祀る神社で、ここからスタートお参り、その年の開運招福・家内安全を願う、お宝神社で、港七福神をお祀りする各社寺7カ所に加え、宝船の巡拝所であるここで合計8ヶ所お参りするのが特徴となっているという。
麻布十番には、心光院(浄土宗)・瑠璃光寺(曹洞宗)・日蓮宗宝山教会(日蓮宗)などと、廃寺になった空き地もあった。
「龍澤禅寺」 本殿 旧麻布区役所跡



鳥居坂交差点の鳥居坂を上る。麻布は、 坂の多い街である。
墓地が見当たらないお寺が



永井荷風も好きな街「麻布」坂で知られ、芋洗坂・永坂・暗闇坂・大黒坂など。荷風は、西洋の都市においてもニュ―ヨークの平坦なる所より
コロンビアの高台に上る石級を好む、巴里の大道よりもモンマルトの高台を愛した、、、、。
空き地に石像が



昔は、お寺、墓地の多い所



江戸幕府は、この一帯、来日した外国人を集めている。その為各国の大使館が多い。警備上のことらしいが。
アメリカ公使館は、1856年安政3年「善福寺」境内にあったと云う。
「柳の井戸」坂の多い麻布、今でも湧水が、この井戸、都環境局が指定する「東京の名湧水57選」の1つということ。
都23区内では、板橋区 不動の滝 、大田区 多摩川園ラケットクラブ跡地、清水窪弁財天、田園調布本町緑地六郷用水、六郷用水沿い洗い場跡、北区 赤羽自然観察公園、新宿区 おとめ山公園、渋谷区 清正の井(明治神宮)、杉並区 善福寺川御供米橋下流、世田谷区 等々力渓谷・等々力不動尊 、烏山弁天池 、岡本静嘉堂緑地、練馬区 清水山憩いの森、文京区 関口芭蕉庵、目黒区 目黒不動尊、ここ。
麻布山 善福寺 柳の井戸(東京湧水57選)



「善福寺」は、824年に弘法大師・空海によって開山されたと伝え、当初は真言宗の寺院であったという。
その後、鎌倉時代になって越後国に配流になっていた親鸞が当寺を訪れ、浄土真宗に改宗したとされ、
その後、各時代の天皇や幕府などの保護を受けて発展を遂げた。
山号 麻布山。宗派 浄土真宗本願寺派。本尊 阿弥陀如来。創建・天長元年824年。開基は、伝・空海。
文化財ー木造了海坐像(重要文化財)、ハリス記念碑(アメリカ公使館跡)、逆さいちょう(天然記念物)福澤諭吉の墓・越路吹雪の碑。
善福寺勅使門 本殿



安政5年の1859年には、日米修好通商条約に基づき当寺院内に「初代アメリカ合衆国公使館」がもうけられ、タウンゼント・ハリスらが在留した(当寺院に墓所がある福澤諭吉も出入りしていた)。
その後21世紀になった現在でも、由緒ある寺院としてその名で知られている。
通訳のヘンリー・ヒュースケン殺害などの不幸な出来事が続き、アメリカ公使館は、明治8年 1875年まで存続した港区明石町にあった
外国人居留地から移転。
公使館を境内に、ハリスのレリーフを刻んだ初代アメリカ公使館跡の碑が建てられている。
寺にはもう1つ、江戸時代からの名物がある。枝が地に向かって伸びているように見える「逆さイチョウ」である。
親鸞が植えたとも伝えられる樹齢700年を超える老木で国の天然記念物となっている。
石碑によると、最初のアメリカ公使館は1859年7月7日設立とある。
鐘楼 初代アメリカ公使館跡



次回は、赤根橋、大門方面に。