「リアス海岸」
スペイン北西部のガリシア地方に見られる「ria」(出入りの多い湾)に由来。
「リアス海岸・リアス式海岸」が混用されている。以前は「リアス式海岸」と表記し、「リアス地方の海岸地形」とあたかも地名のように受け取られる恐れがあるなど,誤解を生じやすいと云われている。「リアス」が地形の形状そのものを表しているため,「式」を入れる必要がないなどをふまえ,
平成18年度版の教科書より「リアス海岸」と表記していると云う。
岩手県陸中海岸ーそのリアス海岸で知られている。(三陸海岸の一部陸中海岸国立公園指定)
陸羽街道は、岩手県・宮城県・福島県と栃木ー福島(奥州街道)を云う。
陸前浜街道、東京千住ー日光街道ー水戸ー平ー宮城の岩沼・明治以前は「浜街道」と云った。東海道・奥州・中山道の順で賑わったと云う。
「気仙沼線」
石巻線前谷駅で連絡ー陸前豊里ー陸前戸倉から海岸線ー清水浜ー陸前浜ー陸前階上(三陸復興国立公園)-最知ー松沼ー
南気仙沼ー終点気仙沼駅で停留所23駅ある。
前谷地駅から気仙沼市の気仙沼駅を結ぶ、東日本旅客鉄道ーJR東日本の鉄道路線・地方交通線。
三陸鉄道とともに三陸海岸沿岸を走行、東日本大震災で、沿岸部を走行する柳津駅 - 気仙沼駅間が不通となったが、
同区間でバス・ラピッド・トランジットー「BRT」 の暫定運行を開始し、現在、本格運行されている。

途中コースは、モアイ像の南三陸ポータルセンター「志津川駅」-田束山・歌津駅ー鉱山資料館の大谷海岸駅、震災後種付け「ホヤ・ホタテ」も今年
出荷、カツオ・サンマ・サメ・メカジキ我が国有数水揚げ「漁師の町」道の駅・直売所があり、いろいろ体験もでき人気が
工事用トラックやクレーンが、所々高台に新築の家が目に入る



「南部領と伊達領」
江戸時代の境塚ー南部領と伊達領との境界を示す施設の境塚が。
1642年、幕府の裁定によって境界が決定され、奥羽山脈の駒ヶ岳頂上から釜石市の唐丹湾までのおよそ約130kmの境界線上に設置。
境塚としては全国に類を見ないほどの規模であり、徳川幕府草創期からの東北地方の政治的緊張状況が表れている。
大塚と小塚があり、先に大塚が築かれたあと、17世紀末の元禄期までに小塚が間を埋めるように設置されたと云う。
とくに重要な地域では相対する挟塚も築かれた。
平成12、北上市金ケ崎町内の約11kmにある大塚17、挟塚2、小塚198を含む地域が国の史跡として指定。
現在は、野外博物館「みちのく民俗村」の一部として整備された。
北上川流域に蝦夷の住んだ辺境の地「国高貝国」があった。


本吉郡の南部に位置し、志津川湾、伊里前湾に面する町。湾内には椿島、竹島、船形島、野島などの島があり、リアス式海岸特有の優れた景観を持つ。
沿岸部一帯は三陸復興国立公園の指定。(県境)
西・北・南西は北上山地の支脈に連なっており、町土の70%以上は森林、リアス式海岸の地形的な特性から津波の影響を受けやすく、近世以前においては平安前期の貞観地震(869年)・1896年(明治29年)の明治三陸大津波・1933年(昭和8年)の昭和三陸大津波・1960年(昭和35年)チリ地震津波。
大きな被害を受けている。
そのため、沿岸部には、防波堤や防潮堤、水門などが設置された。
しかし、東日本大震災・特に大津波による被害は甚大。地殻変動は先の貞観地震以来1141年余りを経て繰り返された現象と見なされている。
志津川地区の地盤は、水平方向に442cm、垂直方向にマイナス75.27cm移動したと云う。(国土地理院測地観測センター)



「宮城県」
いか塩辛生産高が高く、ウイスキーの消費量が、全国平均の1.5倍。
いかの塩辛の生産量が日本一多いのは、単に漁場が多いという理由だけでなく、酒の肴としての需要が多いと云う。
宮城県人の基本性格としては、東北随一の大都会・仙台であるとの自負が強いと云う。
「岩手県」
男性・盛岡など内陸北部は粘り強い努力家だが、消極的で口数は少なく、やや頑固。
とっつきは悪いが付き合っていくうちに人柄がにじみ出てくるタイプが多い。
ただ不満が高じると酒の席で大暴れのケースも、内陸南部は積極的でかけ引き上手、沿岸部は派手で衝動的。
女性・真面目でしっかり者が多い、若いときから落ち着いているため、実際の年齢より年上に見られることが多いと云う。
ファッションや流行には 関心が薄く、沿岸部は気さくだが、経済観念にかける部分もあるとも云う。
「岩手の人沈深牛の如し」-高村光太郎の詩にーBRTバスの中で



「蝦夷の国・高見国」
大和朝廷の勢力範囲は、3~4世紀の日本武尊(倭建)の頃は、新潟から栃木・千葉を結ぶ付近まで達していたとう云う。
4~5世紀には新潟から福島のラインへと北上し、8世紀の多賀城時代には秋田県中部から宮城県北に、9世紀にはいると秋田北部から岩手県南部まで
大和朝廷は、蝦夷地との国境線沿いに城柵を作り、「兵担地」として侵略の策を練り、領土を広げ、前進基地として城柵を作っていきます。
柵の周りに柵戸といって倭人を移住させ、抵抗する「蝦夷」は、北方に追い出し、捕虜となった蝦夷は夷俘として全国の収容施設へと収容し、後期になるとその統冶を政府に帰順した蝦夷に任せるようになります。この蝦夷をー朝廷側では「俘囚」と呼びました。
蝦夷地に移住していった倭人は最初の頃は一般人(富農)でしたが、8世紀の後半から9世紀に入る頃には、犯罪者や浮浪人を送り出すようになって行きます。「日高見国」が滅んだあとは蝦夷地は俘囚長の時代に入り、安倍・清原・平泉藤原の時代に。
坂上田村麻呂は、802年胆沢城・志波城を築く



「大船渡・大船湾」
陸中海岸ー船を渡す場所・ミナトの神。港湾商工漁業地域と秩父小野田セメント工場など臨海工業地域を形成している。
湾は、湾口約1km・奥行6kmの細長い、盛川が注ぐ。牡蠣・のり・ワカメ・ホタテ貝の養殖が盛ん、水深ー40mでチリ地震津波被害を受け、防波堤が造られたが。



「漁業の町・気仙沼」
宮城県沿岸南部に位置する大船渡市・陸前高田市などと共に、戊辰戦争前の気仙郡を代表する都市。
戊辰戦争後の廃藩置県を経て、1876年、宮城県に編入されて現在に至るが、これ以後は「気仙」を称しながらも本吉郡に入れ、宮城県に入れられているが、岩手県に食い込んで位置しており、沿岸とは大船渡市などの戊辰戦争後の気仙郡地域と関係が深く、内陸盆地では一関市と結ばれていると云う。
三陸海岸南部の交通や商業の拠点となっており、リアス式海岸を利用した観光も発展し、特定第三種漁港の気仙沼漁港を初めとした市内の各漁港は、
三陸海岸での沿岸漁業・養殖漁業、世界三大漁場「三陸沖」での沖合漁業、さらに世界の海を対象にした遠洋漁業の基地として機能し、関連する造船から水産加工までの幅広い水産業が立地している。



次回は、気仙沼市内の被害地を。