syuの日記・気まま旅

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鉄の釜石 東北の旅9

2015-10-24 | 気まま旅
[東日本大震災」
釜石港では、ギネスブックにも登録された世界最大水深(63m)の湾口防波堤が31年の歳月をかけて「2009年3月」に完成。
中央の開口部300mを大型船の航路として確保し、その両面に北堤990mと南堤670mの2本の防波堤をハの字型に配置、「明治三陸地震津波」規模の
大津波に対して湾内の防潮堤の天端高(おおむね4m)より低い水位に減水させることで市街地への浸水被害の拡大を防ぐ機能が期待されていた。
「東日本大震災」では、設計外力を超える大津波の威力により、防波堤は大きく損壊し、津波は湾内の防潮堤を越え、ハザードマップで想定していた
浸水域を大きく越えて被害が広がったと云う。
現在、防波堤の被災要因を検証、災害対策に活かしてほしい。

「鉄と魚の町・釜石、仕事で一度来ている懐かしい街」
アイヌ語で魚を干す場所ークマウシと釜をつくる石の産地説など市の名は諸説ある。
鉄と云えば、「大島高任」我が国初の洋式高炉を築いた人物で、出銑に成功し、「釜石」は、日本近代製鉄業の歴史と共に歩んできた。
1874年明治7年に官営製鉄所・1886年民営「釜石鉱山田中製鉄所」が設立され製鉄業の中心的地位を保ってきた。
1980年以降は、鉄鋼業構造的不況で、高炉が相次いで休止されるにいたった。

魚ー三陸漁場、水産業の基地としても知られている。釜石湾を中心に16以上の漁港を持っている。
遠洋・沖合漁業の水揚げが盛んな所で、魚市場は活況を呈していたが、近年200カイリ漁業専管水域や資源等、状況は厳しく、人口の流出が続いていると云う。市では、観光の街へと、1992年「三陸 海の博覧会」「海洋研究開発都市」「観光リゾート都市」発展を志向していると云う。
東部、「陸中海岸国立公園、三貫島・尾崎半島」・南西部、五葉山自然公園」
伊能忠敬測量碑と星座石、釜石製鉄所史料館などがある。

東日本大震災)により被災するも、駅舎は倒壊や流失を免れ、駅舎改装、平成26年、 三陸鉄道南リアス線吉浜駅 - 当駅間復旧。
釜石東線が開業する前の明治44年から、釜石 - 大橋間には鉱石輸送のための釜石鉱山鉄道が存在し、釜石線全通後昭和40年、まで運行。

JR釜石駅鉄          新日鉄住金釜石工場                   父大島高任像
    

「大島高任」 1826-1901 近代製鉄の父 盛岡下仁王小路生まれ。
江戸で蘭学を学び、長崎で西洋兵学・砲術・採鉱・冶金を学び、盛岡へ。再度江戸で西洋砲術学、29歳で水戸藩(徳川斉昭)「反射炉築造」
32歳で現釜石市で洋式高炉着手・36歳高炉2基、44歳新政府に登用ー大学校教授・46歳欧米派遣一行加わるードイツで学ぶ。
鉱山権頭・鉱山各地局長ー61歳佐渡工業所長・63歳病で東京療養・65歳日本鉱業会初代会長・70歳で隠居山形で葡萄苗輸入し「葡萄酒醸造」
明治34年の1901年76歳で没す。

釜石市の北側に隣接する大槌湾
ぽっかり浮かぶひょうたん型の島でNHKドラマ「ひょっこりひょうたん島」のモデルと言われ、島まで歩いて渡ることができ、
また、釣りのメッカとしても人気のスポットとなっている。

井上ひさし作詞・宇野誠一郎作曲ー波をちゃぷ・ちゃぷ・ちゃぷ・ちゃぷかきわけて・・・駅前ロータリーに歌碑が


昭和25年の1950年・富士製鐵(株)が発足し、富士製鐵釜石製鉄所・36年ー線材工場操業開始・45年ー富士製鐵(株)と八幡製鐵(株)が合併、
「新日本製鐵」
昭和60年ー当所ラグビー部が日本選手権7連覇。平成1年ー高炉・製鋼工程を休止。銑鋼一貫体制から複合事業へ・12年の2000年、IPP卸電力事業
平成17年ー生産量累計2000万トン達成・18年ー創業120周年ー24年ー新日鉄住金(株)。

            釜石駅前の「新日鉄住金釜石製鉄所」
    

1857年、「大島高任」が洋式高炉を釜石の地に建設し、銑鉄の製造に成功したことから、釜石は近代製鉄発祥の地と呼ばれ、明治政府はお雇い外国人
ビヤンヒーの建設案にもとづき官営製鉄所を建設しますが、わずか5年で民間に払い下げ、製鉄所は東京の鉄商社の「田中長兵衛」でした。
田中は、地元の高橋亦助、村井源兵衛を雇い、製鉄所の再開にむけ動き、1886の明治19年、連続出銑に成功。
田中製鉄所は、鉄の品質向上と生産品種の拡大に取り組み、明治36年、には民間初の銑鋼一貫製鉄所となり、
田中製鉄所は、その後三井鉱山、釜石鉱山と経営が変わり、昭和9年、日本製鉄が発足、富士製鉄の時代を経て、新日本製鉄となる。

                    嬉石橋ー石浜橋ー大平・平田方面へ


「鉄の歴史館」
大平町にある。昭和60年開館。
橋野三番高炉の原寸大模型を使い、映像で製鉄の様子を再現している。入館料¥500
    

官営では、失敗する。その後を引き継ぐ「田中長兵衛」は、失敗~49回目で成功。

                「大島高任」の資料も多く展示。
    

釜石が鉄の町に発展した礎石ー炉底の塊。
  

ヨーロッパにおける鉱業の歴史は古く、
例えば Laurium の銀鉱はギリシアの都市国家アテナイを支えていた。
しかし、鉱業を大規模化させたのは古代ローマ人で、特に多数の用水路を採掘現場にひき、大量の水を使えるようにした。
水の用途は様々で、採掘現場から土や余分な岩を取り除くのにも使われ、これを水力採掘と呼ぶ。
また、採掘した鉱石を洗うのにも使い、単純な機械を水力で駆動した。
彼らは大規模に水力採掘を行って鉱脈の在り処を探る方式をとっていた。hushingと呼ばれる現在では行われない方法である。
そのため、多数の用水路を建設して水を供給し、採掘現場に大きなため池やタンクを作って水を蓄えた。
満杯になった水を解放すると、その流れの力で土が洗い流され、金脈を含む岩盤があらわになる。
次に、その岩盤を火力採掘法で熱し、再び水流を使って急速に冷却する。
このような熱衝撃で岩盤が割れ、さらに水を流すことで岩の破片を岩盤から除去でき、同様の技法はコーンウォールの錫石鉱床やペナイン山脈の鉛鉱山で使われたと云う。
この技法は紀元25年、スペインのラス・メドゥラスにあった沖積層の大きな金鉱床から採掘するために古代ローマ人が開発したと云う。

    
9世紀になるとアメリカ合衆国で鉱業が盛んになり、1872年の鉱業法 (General Mining Act of 1872) で連邦所有地での鉱業開発に拍車がかかった。
19世紀中ごろのカリフォルニア・ゴールドラッシュに代表されるように、鉱物や貴金属の採掘と牧場の拡大が西部開拓を太平洋岸まで推し進める
主な要因となる。
鉄道が敷設されると、さらに多くの人々が鉱山の仕事を目当てに西へと移住、デンバーやサクラメントといった西部の都市は、もともとは鉱山町。

    

「鉄」
地殻での存在量がアルミニウムについで多い金属である。
鉄はアルミニウムなどの陽性の強い(電気陰性度の小さな)金属に比べて製錬しやすく早くから用いられてきた。
しかし、熔解にかなりの高温を必要とするため、本格的で大規模な使用は銅、金、銀、錫、亜鉛、等に比べて遅れたと云う。
多くの金属の中で、なぜ鉄が王と言われるのか。
それは以下の3点の複雑で多面的な優れた性質による。
1.鉄は製造過程により炭素含有量を調整して種々の性質のものを作り出させる。
鋳鉄(炭素量2%以上)は鋼に比し機械的強さは劣るが融けやすく鋳造が容易。
耐摩耗性・切削性などに優れる。
鋼(炭素量0.1~1.7%)の内炭素量が多い鋳鋼は刃物、工具になり、炭素量が減るにつれて、ぜんまい、バネ、土木建築材料、車体、船体等の材料になる。
炭素量の少ない軟綱は針金、釘等になる。軟鉄(炭素量0.02%以下)は最も融点が高いが、軟らかく、展延性が大で、電磁気材料に用いられる。

2.鋼は炭素含有量と温度により多用な結晶構造を取る。
結晶構造により炭素固溶度がいちじるしいく異なり、焼入れ、焼戻しなどの熱処理によって鋼の機械的性質をいしじるしく変化させることができる。
また鍛造・圧延をすることにより結晶構造を変化させてその性質を改良できる。

3.クロム、ニッケル、マンガン等を加えた合金にすることにより、炭素綱に見られない特殊な性質を様々に持たせることができる。(百科事典より)

  

近代製鉄の父「大島高任」は、
水戸藩で反射炉を築造、大砲造に成功したが、砂鉄が原料であるため強度な西洋の大砲には及ばず、高炉築造の場所として良質の鉄鉱石が大量に埋蔵
された盛岡藩のここ釜石・西方大橋に鉄鉱石を原料とする洋式高炉を築造・1858年成功し日本近代製鉄は大きく発展を遂げた。

      館内には、模型などで判りやすく展示・説明されていた。
  

「橋野高炉跡・関連遺跡」を世界文化遺産に
水取入口ー一番高炉ー二番高炉・・・・石切り場・山神社、鉄鉱石採掘り場・運搬路。

「一番高炉」
花崗岩約5.8m四方・高さ2.4mの石組4段ー耐火煉瓦の炉が組まれ高さ約7.8m。

「二番高炉」
一番とほぼ同じで、高炉中央に炉底塊がある。

「三番高炉」
花崗岩基壇2段石組み5段、高さ約7m、、初期高炉の基本形と考えられている。

    

「水路跡」
高炉送風装置ーフイゴは、水車を利用・箱型フイゴを採用している。
最盛期には、1000人以上の大工、鍛冶などが住む長屋があった。

    

「石割の桜」
岩の割れ目から3本の桜の木が生えている。釜石市街地の桜より開花が遅く、近くの青ノ木グリーンパークの桜並木も同じ時期に開花を迎える。
  

「釜石大観音」
高さ48.5m、胸元に魚を抱く観音像。
1970年・昭和45年、落慶。

釜石市東部、釜石湾を 鎌崎にある。入山拝観料¥500


陸中海岸霊場。
曹洞宗ー石応禅寺が戦没者・海難犠牲者の供養・平和を祈念して建立された。
    

仏舎利塔は、高さ24まる(昭和52年)
観音様の内部は、13階に分け「三十三観音が安置されている。


七福神胎内めぐり2F弁財天から、交通安全祈願殿「不動明王殿」
11階から展望台に、湾が一望できる。                 仏舎利塔
    

「釜石街道」遠野~海岸部を結ぶ街道で、途中の「仙人峠」は難所で知られている。
幕末から釜石鉄山と製鉄所の開発が(現国道283号線)
釜石駅ーJR釜石線・山田線・三陸鉄道南リアス線。

                JR釜石線ー遠野ー花巻。


次回は、遠野へ。