「千葉新産業三角構想と道路構想」首都圏南部にあり、都市化が進んだとはいえ千葉県は、まだ緑多い大地が続き、農業・水産業の地位は高い。
農業では、ネギ・トマト・カブ・サトイモは、全国一の生産高。
西部は、都市化が進み、農業は後退・東部は、施設園芸で東京市場に、米作・果樹栽培・畜産と比較的均衝の農業生産地帯に、その一方人口は、
過密地域と過疎化地域が歴然としてきた。
県も、幕張新都心・成田国際空港都市・かずさアカデミアパークの三大構想を柱に「業務核都市づくりプロジェクト」首都圏・全国と結ぶ道路整備に
着手している。「千葉市~木更津・君津~成田」三角で今回は、千葉市ー成田ー佐原・香取ー茨城県鹿島へ。
「JR佐原駅」下車。
1898年明治31年 - 成田鉄道(初代)の駅として開業・旅客・貨物取扱い駅。大正9年 成田鉄道が買収され、国有鉄道の駅。昭和6年 佐原 - 笹川間延伸開業。昭和59年 貨物取り扱い廃止。昭和62年 国鉄分割民営化により、JR東日本に継承。平成19年「ちばディスティネーションキャンペーン」に併せて駅舎をリニューアルに。
平成21年 Suica導入に合わせて自動改札機導入。東京近郊区間に組み込まれる。平成23年 2代目駅舎一部供用開始し、 2代目駅舎竣工、完成。
佐原駅正面

「佐原市」は、県北東部で中心部が利根川に面し、利根川水運で栄えた商都、北部は、利根川水域の底湿な水田地帯が広がる。
南部が「下総台地」の堆積地「砂原」・香取神社の土器「浅原」から、佐原となったと云う。
古代は、町に香取海が入り組んでいたが、江戸幕府が1654年利根川流域・流路を「銚子」に変えられて「低湿地帯」となった。
小野川 田舟 十一橋など観光の女船頭

中世は、「千葉氏」~一族の「国分氏」が小野川上流に城郭を構え、荘園開発が進んでいた。江戸時代に入り、「幕府領」「旗本領」で、利根川下流
の農地に十六島が出来江戸幕府の防衛上の新田として開発された。
東北地方の物資は、銚子~佐原と「牧」が開け~江戸に運ばれていた。小野川沿いに商家が軒を並べ、江戸との交流も盛んになり、松尾芭蕉・小林一茶
十返舎一九・渡辺崋山・山県大弐など多数の文人墨客が訪れている。
「お江戸見たけりゃ佐原へこざれ、佐原本町江戸まさり」と云われている。
「十二橋」十二橋駅北、加藤洲水路の架かる橋名、水路両側の人家を結ぶ一枚板[水戸光圀公考案」
水路田舟は、女船頭で、水郷の風情を、現在は橋は、11橋が残っていると云う。
正文堂書店や乾物屋や東薫酒造や馬場酒造や商店が並ぶ

「伊能忠敬」 1745-1818 日本地図を作った商家の隠居で測量家。18歳で伊能家婿養子、酒造業・米穀で傾いたが建て直し、50歳で隠居。
天文学「高橋至時」の門下となり、測量術習得、17年間かけて全国の測量を行い、「大日本沿海與地全図」を編纂する。
56才で蝦夷地測量の旅に出ている。一歩65cmの歩測・72才で全土測量を終えている。
19才年下の師「高橋至時」の傍らに葬るように遺言している。
伊能忠敬画

「佐原」は、江戸時代から利根川水運の中継港として発展、商人の町として栄えた。
伊能忠敬記念館は、その、街中央の小野川に架かる忠敬橋、伊能忠敬旧宅・樋橋を挟み・記念館がある。船着き場にも近い。
所蔵数・2345点で国宝に指定されている。入館料¥500。
記念館・団体で混雑

1794年49歳で隠居・翌年50歳で江戸深川に住み、天文方「高橋至時」に入門。1800年56才東北・北海道第一次測量・関東・東海・第4次測量北陸後
1804年59才正式幕府登録される。翌年畿内・中国・九州、、1816年71才で第10次測量江戸を済ませ、1818年73才で江戸ハ丁堀亀島宅で没す。
浅草「源空寺」遺言通り、(高橋至時菩提寺)に埋葬される。
伊能忠敬 50歳までの前半生など紹介

1800年、忠敬は、蝦夷地までの第一次測量出た、その動機は、測地学上命題であった「緯度一度の子午線長を実測で決めることにあった」と云う。
忠敬の得た緯度一度の長さは、現在の測量値と=1000分の1し笠が無いと云う。
測量に使われた道具なども

昼は、検(間)縄と歩測による距離測定と方位盤による方位測定を繰り返し、一日約10里を熟している。
夜は、象限儀で恒星の高度を観測して緯度を算出し、野帳を整理して地図の原図をつくると云う方法。 3700日を超えていると云う。
年代順に判りやすく展示されていた。

全国海岸線と街道を測量し約43000KM以上。忠敬は、幕府から約半分の手当てがあったと云うが、不足不足で自ら資金を出し補足している。
忠敬死後三年目で「大日本沿岸與地全図」弟子たちの編集により完成され、幕府に上程され、新明治政府も活用されている。
伊能図の完成までが

伊能図には、大図214枚縮尺1・36000、中図8枚同1・216000、小図3枚同1・432000の他、測量ごとに作った地図や名勝地を数多く描いている。
それは、正確・芸術的な美しさを備えている。
19世紀まで世界は、我が日本の姿をどのように理解していたであろう、同時に日本人は自分の国をどう見て、理解していたのであろう。
73才で亡くなる忠敬は、測量終えてどう日本を見直したのであろうか?。
川を挟み向かいに伊能家旧家が(工事中でした)

北総小江戸水郷の佐原 三菱館(旧三菱銀行佐原支店)大正3年県文化財、現在交流館に

「八坂神社」
香取市佐原本宿にある神社。佐原の大祭(祇園祭)で知られる。
古く佐原諏訪山近傍の天王台に創建。
江戸時代前期の天和年間(天正以前の説あり)に現在地へ遷座し、佐原・本宿地区の総鎮守に。
明治初年社殿改造の際に現在の八日市場側(千葉県道55号佐原山田線・通称香取街道側)にも増設された。
それ以来、この神社には、正門が2か所存在し、それぞれ浜宿口、八日市場口という呼び方がされ、正門は、1年置きに交代すると云う。
境内には水郷佐原山車会館がある。
八坂神社

「水郷佐原山車会館」
利根川舟運により河岸として発展し,江戸の祭礼文化の影響のもと、享保年間には山車と囃子を中心とする祭礼が行われるようになった。
飾り物については、当初それぞれの町内で趣向を凝らして製作していたが、近世末期に大人形の飾り物が出現し(関戸区)、江戸の人形職人に飾り物の製作を依頼するようになったと云う。
佐原の山車と囃子の形態は、市内の小見川地区、東庄町、多古町など、茨城県の潮来市潮来、牛堀、鹿嶋市、行方市麻生などに見られ、周辺地域の祭礼に大きな影響を与え佐原を中心とする山車文化圏を形成している。
平成16年、「佐原の山車行事」として重要無形民俗文化財に指定。
山車会館

関東三大山車祭りに数えられる佐原の大祭。
祭礼を華麗に彩るのは、夏祭りで曳き廻される本宿地区10台の山車と、秋祭りで曳き廻される新宿地区14台の重厚な山車。
会館には交替で2台の山車が展示され、高さ8メートルにも及ぶ総欅造りの山車を下からも上からもじっくりと見ることができる。
館内

幕末から明治に造られた名工の手による見事な彫り物や江戸から昭和初期にかけて活躍した名人形師が手がけた大人形など、現在では同様に造ることが困難な希少価値の高い山車飾りも展示。
山車大人形 3階から見下ろせる

「佐原の大祭」/国指定重要無形民俗文化財・関東三大山車祭りの一つと称され、約300年の伝統を有する。
開催日・平成26年は、夏祭りが、7月11日(金)~13日(日)の3日間
秋祭りが、10月10日(金)~12日(日)の3日間と云う。
見事な彫刻
次回は、成田へ。
農業では、ネギ・トマト・カブ・サトイモは、全国一の生産高。
西部は、都市化が進み、農業は後退・東部は、施設園芸で東京市場に、米作・果樹栽培・畜産と比較的均衝の農業生産地帯に、その一方人口は、
過密地域と過疎化地域が歴然としてきた。
県も、幕張新都心・成田国際空港都市・かずさアカデミアパークの三大構想を柱に「業務核都市づくりプロジェクト」首都圏・全国と結ぶ道路整備に
着手している。「千葉市~木更津・君津~成田」三角で今回は、千葉市ー成田ー佐原・香取ー茨城県鹿島へ。
「JR佐原駅」下車。
1898年明治31年 - 成田鉄道(初代)の駅として開業・旅客・貨物取扱い駅。大正9年 成田鉄道が買収され、国有鉄道の駅。昭和6年 佐原 - 笹川間延伸開業。昭和59年 貨物取り扱い廃止。昭和62年 国鉄分割民営化により、JR東日本に継承。平成19年「ちばディスティネーションキャンペーン」に併せて駅舎をリニューアルに。
平成21年 Suica導入に合わせて自動改札機導入。東京近郊区間に組み込まれる。平成23年 2代目駅舎一部供用開始し、 2代目駅舎竣工、完成。
佐原駅正面

「佐原市」は、県北東部で中心部が利根川に面し、利根川水運で栄えた商都、北部は、利根川水域の底湿な水田地帯が広がる。
南部が「下総台地」の堆積地「砂原」・香取神社の土器「浅原」から、佐原となったと云う。
古代は、町に香取海が入り組んでいたが、江戸幕府が1654年利根川流域・流路を「銚子」に変えられて「低湿地帯」となった。
小野川 田舟 十一橋など観光の女船頭



中世は、「千葉氏」~一族の「国分氏」が小野川上流に城郭を構え、荘園開発が進んでいた。江戸時代に入り、「幕府領」「旗本領」で、利根川下流
の農地に十六島が出来江戸幕府の防衛上の新田として開発された。
東北地方の物資は、銚子~佐原と「牧」が開け~江戸に運ばれていた。小野川沿いに商家が軒を並べ、江戸との交流も盛んになり、松尾芭蕉・小林一茶
十返舎一九・渡辺崋山・山県大弐など多数の文人墨客が訪れている。
「お江戸見たけりゃ佐原へこざれ、佐原本町江戸まさり」と云われている。
「十二橋」十二橋駅北、加藤洲水路の架かる橋名、水路両側の人家を結ぶ一枚板[水戸光圀公考案」
水路田舟は、女船頭で、水郷の風情を、現在は橋は、11橋が残っていると云う。
正文堂書店や乾物屋や東薫酒造や馬場酒造や商店が並ぶ


「伊能忠敬」 1745-1818 日本地図を作った商家の隠居で測量家。18歳で伊能家婿養子、酒造業・米穀で傾いたが建て直し、50歳で隠居。
天文学「高橋至時」の門下となり、測量術習得、17年間かけて全国の測量を行い、「大日本沿海與地全図」を編纂する。
56才で蝦夷地測量の旅に出ている。一歩65cmの歩測・72才で全土測量を終えている。
19才年下の師「高橋至時」の傍らに葬るように遺言している。
伊能忠敬画

「佐原」は、江戸時代から利根川水運の中継港として発展、商人の町として栄えた。
伊能忠敬記念館は、その、街中央の小野川に架かる忠敬橋、伊能忠敬旧宅・樋橋を挟み・記念館がある。船着き場にも近い。
所蔵数・2345点で国宝に指定されている。入館料¥500。
記念館・団体で混雑

1794年49歳で隠居・翌年50歳で江戸深川に住み、天文方「高橋至時」に入門。1800年56才東北・北海道第一次測量・関東・東海・第4次測量北陸後
1804年59才正式幕府登録される。翌年畿内・中国・九州、、1816年71才で第10次測量江戸を済ませ、1818年73才で江戸ハ丁堀亀島宅で没す。
浅草「源空寺」遺言通り、(高橋至時菩提寺)に埋葬される。
伊能忠敬 50歳までの前半生など紹介


1800年、忠敬は、蝦夷地までの第一次測量出た、その動機は、測地学上命題であった「緯度一度の子午線長を実測で決めることにあった」と云う。
忠敬の得た緯度一度の長さは、現在の測量値と=1000分の1し笠が無いと云う。
測量に使われた道具なども


昼は、検(間)縄と歩測による距離測定と方位盤による方位測定を繰り返し、一日約10里を熟している。
夜は、象限儀で恒星の高度を観測して緯度を算出し、野帳を整理して地図の原図をつくると云う方法。 3700日を超えていると云う。
年代順に判りやすく展示されていた。


全国海岸線と街道を測量し約43000KM以上。忠敬は、幕府から約半分の手当てがあったと云うが、不足不足で自ら資金を出し補足している。
忠敬死後三年目で「大日本沿岸與地全図」弟子たちの編集により完成され、幕府に上程され、新明治政府も活用されている。
伊能図の完成までが


伊能図には、大図214枚縮尺1・36000、中図8枚同1・216000、小図3枚同1・432000の他、測量ごとに作った地図や名勝地を数多く描いている。
それは、正確・芸術的な美しさを備えている。
19世紀まで世界は、我が日本の姿をどのように理解していたであろう、同時に日本人は自分の国をどう見て、理解していたのであろう。
73才で亡くなる忠敬は、測量終えてどう日本を見直したのであろうか?。
川を挟み向かいに伊能家旧家が(工事中でした)

北総小江戸水郷の佐原 三菱館(旧三菱銀行佐原支店)大正3年県文化財、現在交流館に



「八坂神社」
香取市佐原本宿にある神社。佐原の大祭(祇園祭)で知られる。
古く佐原諏訪山近傍の天王台に創建。
江戸時代前期の天和年間(天正以前の説あり)に現在地へ遷座し、佐原・本宿地区の総鎮守に。
明治初年社殿改造の際に現在の八日市場側(千葉県道55号佐原山田線・通称香取街道側)にも増設された。
それ以来、この神社には、正門が2か所存在し、それぞれ浜宿口、八日市場口という呼び方がされ、正門は、1年置きに交代すると云う。
境内には水郷佐原山車会館がある。
八坂神社



「水郷佐原山車会館」
利根川舟運により河岸として発展し,江戸の祭礼文化の影響のもと、享保年間には山車と囃子を中心とする祭礼が行われるようになった。
飾り物については、当初それぞれの町内で趣向を凝らして製作していたが、近世末期に大人形の飾り物が出現し(関戸区)、江戸の人形職人に飾り物の製作を依頼するようになったと云う。
佐原の山車と囃子の形態は、市内の小見川地区、東庄町、多古町など、茨城県の潮来市潮来、牛堀、鹿嶋市、行方市麻生などに見られ、周辺地域の祭礼に大きな影響を与え佐原を中心とする山車文化圏を形成している。
平成16年、「佐原の山車行事」として重要無形民俗文化財に指定。
山車会館



関東三大山車祭りに数えられる佐原の大祭。
祭礼を華麗に彩るのは、夏祭りで曳き廻される本宿地区10台の山車と、秋祭りで曳き廻される新宿地区14台の重厚な山車。
会館には交替で2台の山車が展示され、高さ8メートルにも及ぶ総欅造りの山車を下からも上からもじっくりと見ることができる。
館内



幕末から明治に造られた名工の手による見事な彫り物や江戸から昭和初期にかけて活躍した名人形師が手がけた大人形など、現在では同様に造ることが困難な希少価値の高い山車飾りも展示。
山車大人形 3階から見下ろせる



「佐原の大祭」/国指定重要無形民俗文化財・関東三大山車祭りの一つと称され、約300年の伝統を有する。
開催日・平成26年は、夏祭りが、7月11日(金)~13日(日)の3日間
秋祭りが、10月10日(金)~12日(日)の3日間と云う。
見事な彫刻



次回は、成田へ。