syuの日記・気まま旅

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大磯宿 syu散歩

2017-06-09 | syu散歩
神奈川県中郡 大磯町(宿)
県中南部、ここも相模湾に面し、大磯丘陵南麓の海岸段丘上にある。町名も長く続く磯からきている。
西部の国府は、相模国府のあった所で、中世から文学作品などの名がみえ、「曽我物語」には「大磯宿の遊女虎が曽我兄弟の兄「十郎」の愛人として登場
、様々な伝説が残っている。
江戸になると東海道の宿駅として栄え、南西に「西行」ゆかりの「俳諧道場・鴫立庵」がある。
1885年の明治18年、軍医総監「松本良順」が我が国最初の「海水浴場」を開設している。(こゆるぎの磯)
一年中暖かく「伊藤博文・山県有朋・吉田茂」ら政治家の別荘、邸宅地として知られている。

旧東海道松並木が国道一号線大磯駅西側の学校辺りに約300m続く松並木が。

               聖ステパノ学園と教会入り口


「大磯丘陵」
中部大磯駅から小田原国府津にかけての丘陵で「ゆろざ丘陵」とも云う。
東に花水川を境に相模平野・西国府津ー松田断層の急崖で足柄平野・北渋沢断層を境に秦野盆地・南相模湾、東西12km・南北8kmの長方形
北西部に曽我山(328m)、鉄道東海道線・国道一号線・海寄りに西湘バイバスでこの地、落花生栽培発祥地である。

              学園は、JR大磯駅前にある。


「学校法人聖ステパノ学園ー小学校・中学校」
創設者は、澤田美喜氏
1901年、三菱財閥創始者岩崎弥太郎の長男・久弥の長女として東京に生まれる。
外交官・澤田廉三と結婚後、長期間海外で生活、イギリスにおけるドクター・バーナードス・ホームでのボランティア体験からキリスト教社会福祉事業に心ひかれ、自らも日本において同様の働きをしたいという願いをもつ。
第二次世界大戦の敗戦に際し、「戦争混血児」の窮状を目の当たりにし、「戦争混血児」の養育を決意。
私財を投じ、エリザベス・サンダース・ホーム及び聖ステパノ学園を創設する。
数多くの子どもの「母」として、ママちゃまと慕われる。1980年、78歳で旅行先のスペイン・マジョルカ島で客死。

               教会前の「カネ」


               教会の階段


「沢田美喜記念館」
エリザベス・サンダース・ホームを創立・多くの私財を投じることにより進駐軍将兵と日本人女性との間に生まれた子どもたちのなかで、様々な理由から養育を受けられなかった孤児を保護し、家庭にかわって保護・養育し、自立を助けようとする使命感を覚え、社会福祉法人エリザベス・サンダース・ホームを創立した。
聖ステパノ学園の礎があると云う。1期生の子どもたちー1953年の昭和28年。
エリザベス・サンダース・ホームに生活する幼児たちが成長し、学齢に達し就学することになりましたが、当時の社会情勢は、地域社会の所謂一般の学校に入学させることには、種々事情もあり、必ずしも順調な受け入れ態勢ではなっかと云う。
保護されている子どもたちと、特に希望する子どものために独立した小学校を設立し、同じ年、小学校に併設して幼稚園も創設した。
昭和34年3月・第1回小学校卒業式 が。
昭和30年、昭和天皇・皇后両陛下ご来校 ー昭和34年、聖ステパノ学園中学校併設している。
               


「西行」 1118-90 世を捨てた漂泊の歌人
佐藤義清と云う北面の武士、23歳で出家ー仏教と和歌のみちに精進する。
陸奥・高野山など廻りのちに河内国に住む、漂泊の間ー叙情的歌風を確立する。 「山家集」2000余首を残している。
「年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山」
鎌倉で源頼朝に会って武芸や和歌のことを語り、贈られた銀製の猫を、惜しげもなく門前の子供にやってしまったと云う。その時の心境を。

「鴫立庵」
大磯町にある俳諧道場。
京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び、日本三大俳諧道場の一つ。
敷地内に建てられた石碑にある銘文「著盡湘南清絶地」から、「湘南発祥の地」とされることもある。
名称は、「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」(新古今和歌集)による。
1664年、崇雪が草庵を結んだのがはじまりで、1695年、俳人大淀三千風が入り、第一世庵主となる。
1768年、白井鳥酔が再興し、庵主に。
                   鴫立庵ー国道一号線


「旧島崎藤村邸」
藤村が最後に過ごした場所。
国道一号線から少し路地に入ったところ、四季の移り変わりが楽しめ、温暖である大磯磯。
今でも周辺の路地は風情がある。



昭和16年,「左義長」を見に来磯した藤村は、温暖なこの地が非常に気に入り、春には、台町のこの家に住むようになり、71歳で永眠するまでの2年余この地で過ごした。昭和18年8月、大磯の地で、(藤村夫妻の眠る、地福寺)