syuの日記・気まま旅

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日暮里 江戸中期は文人たちの散策地、今も谷根千 舎人ライナー 

2019-11-03 | 季節だより
「日暮里」荒川区 新開拓地の意味で新堀と書かれている。
江戸中期から文人たちの散策地で江戸の名所にー日の暮れるのを忘れる所で「日暮里」に。(日暮の里)ともいう。
西日暮里の台地が「道灌山」と谷中へと続く。
JR山手線・京浜東北・新幹線は地下へ・京成電鉄・営団地下鉄千代田線・舎人ライナー

「大田道灌」 1432-86 武将 太田資清の子・上杉「扇谷」定正の執事を務める。江戸城拠点に上杉氏勢力拡大に尽力した。が定正に殺される。
道灌死の目前「当方滅亡」を叫んだと云う。結果は、その通りに。
「山吹の一枝伝説」
鷹狩に出て雨に逢ひ、ある小屋に入りて蓑を借らんといふに、若き女の何とも物をば言はずして、山吹の花一枝折りて出しければ、「花を求むるにあらず」とて怒りて帰りしに、これを聞きし人の、「それは七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しきといふ古歌のこゝろなるべし」といふ。持資驚きてそれより歌に心を寄せけり。
                        大田道灌像


           七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだに無き悲しさ。 山吹の一枝を


                 日暮里駅前 左に「舎人ライナーのホームが」


                         駅構内


                    乗り換えで混雑する改札付近


                         駅周辺のマップ


                         東JRの登り・下り


                        駅前の高層ビルマンション


                            谷中方面へ


「御殿坂」


  日暮里駅に一番近い「日蓮宗・本行寺」小林一茶の句碑がある。

               大田道灌の孫「資高」が、江戸城内に建立した寺。


「幸田露伴」1867-1947 第一回文化勲章受章した小説家。 
男性的な小説、谷中の「五重塔」は、焼失し今無き「谷中の五重塔」を毎日見て、・・深い教養と広い知識に基づいた著作を残している文学博士。

                      この奥に露伴の旧宅跡が


「上野戦争で」新政府軍追われた彰義隊兵士は、上野の山から谷中を通り下町から埼玉県方面に逃げている。
戦死者は、放置されたと云う。カラス・犬が、、、。

「経王寺」大黒天谷中七福神  銃弾の痕が残る山門






                     正面が今人気の「谷中銀座商店街通り」へ




通称「谷根千」として親しまれている。

夕焼けだんだんー谷中銀座ー夜店通りー三崎坂ー菊祭りの大圓寺ー岡倉天心記念公園「日本美術院創設、芸大設立・天心の移住跡」-大名時計・・
あるが、谷中霊園ー都立上野高校ー不忍池ー上野へ散歩する。