syuの日記・気まま旅

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日本海̠海戦

2020-08-21 | syu散歩


明治38年5月27日、東郷平八郎大将率いる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を対馬沖で迎撃し未曾有の勝利を収めたことによりロシアは継戦意欲を失い、アメリカ大統領の仲介で米国ポーツマスにおいて日露講和条約が締結された。
日露戦争の勝利により、我が国は独立を全うし国際的地位を高め、また、有色人種として蔑視され、抑圧、蹂躙されていたアジア・アラブ諸国に希望を与え、独立の気運を促進しました。
当時16歳であったインドの独立運動家で後に首相となったネルーは、日本の勝利に血が逆流するほど歓喜し、インド独立のため命を捧げる決意をしたと自伝で述べ、子供に話したと伝えられている。
「日本は勝ち、大国の列に加わる望みを遂げた。アジアの一国である日本の勝利は、アジア全ての国々に大きな影響を与えた。私は少年時代、どんなに感激したか・・・・」

ロシア皇帝は、不利な戦況を挽回するため、明治37年、ロジェストウエンスキー中将を指揮官とする第2太平洋艦隊を、次いで翌年2月、第3太平洋艦隊をバルト海のリバウ海軍基地から極東に派遣した。(第2、第3太平洋艦隊の総称がバルチック艦隊)
東郷平八郎連合艦隊司令長官は、
バルチック艦隊は必ず対馬海峡を通過してウラジオストクに向かうと判断し、朝鮮半島南端の鎮海湾に連合艦隊を集結させ、猛訓練を続けながら待ち構えました。
明治38年5月27日早朝、仮装巡洋艦「信濃丸」からの「敵艦隊見ゆ」との警報を受信した連合艦隊は直ちに出撃、対馬沖でバルチック艦隊を迎撃し、5月27、28の両日にわたって激しい戦闘を繰り広げ、ロシア艦隊を撃破、降伏・・・。
1)日清談判 破裂して 品川乗りだし吾妻艦 続いて金剛 難波艦 国旗堂々ひるがえし 2)西郷死すも 彼がため 大久保殺すも 彼のため 遺恨重なるチャンチャン坊主 日本男児の村田銃 3)剣の切っさき味わえと わが兵 各地に進撃 難なく支那兵 斬り倒し 万里の長城 のっとって 4)一里半行きや北京城よ 城下の盟いを結ぶ
実に満足 慶賀の至り 愉快 愉快 大勝利

「日本海海戦」 作詞者不詳
1)敵艦見えたり ちかずきたり 皇国の興廃 ただこの一挙 各員奮励努力せよと 旗艦のほぼしら信号揚る みそらは晴るけど風立ちて 対馬の沖に 波高し
2)主力艦隊 前を抑え 巡洋艦隊 後に迫り 袋のネズミと囲み撃てば 見る見る敵艦乱れ散るを 水雷艇隊駆逐隊 逃がしはせじと 追いて撃つ
3)東天赤らみ 夜襲はれて 旭日かがやく 日本海上 今はや遁れるすべもなして 撃たれて沈むも降るもあり 帝国万歳万万歳

「日本海海戦」 大和田建樹
海路一万五千里 万苦を忍び 東洋に 最後の勝敗 決せんと 寄せこし 敵こそ 健気なれ・時維れ38年の 敵艦見ゆとの 警報に 勇み立たる 我が艦隊
・・・・・・・1番から7番まである。








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