syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
気ままに記録しています。

鞍馬天狗 大正時代の映画 

2020-08-25 | syu散歩


「憲政会」
大正5年の1916年、-加藤高明を総裁として立憲同志会・中正会・公友倶楽部の三派合同により結成された政党。
第二次護憲運動の中核となった。
昭和2年の1927年、政友本党と合流し、立憲民政党と改称。

「鞍馬天狗」が映画に
大佛次郎・東京帝国大学法学部卒業後、外務省嘱託で翻訳の仕事をしていたが、演劇にのめり込んで大量の洋書を購入する費用のために、大衆雑誌『新趣味』に西洋の伝奇小説の翻訳を掲載して原稿料を稼いでいた。
関東大震災を機に外務省も退職したために生活費も稼がなくてはならなくなったが、「新趣味」も廃刊になり、新しく創刊された「ポケット」の編集長から「髷物」をと言われ、エドガー・アラン・ポーの「ウィリアム・ウィルソン」からアイデアを得た「隼の源次」を書いたところ採用され、ついで以前に『新趣味』に連載したことのあるジョージ・ウーリー・ゴフ「夜の恐怖」(1923年9-11月号)の中の「金扇」に着想を得て「鬼面の老女」を執筆、登場する黒頭巾の武士には謡曲から思いついた「鞍馬天狗」を名乗らせた(1924年5月号)。すると編集長から、鞍馬天狗を主人公にして作品を書いて欲しい、この雑誌の「心棒」にすると言われ、「快傑 鞍馬天狗」シリーズとしてこの年に8作の短編が書かれた。
この第2話「銀煙管」で鞍馬天狗が倉田典膳という名前を名乗っている。
1925年になると同誌で長編「御用盗異聞」を連載。さらに翌年には「小鳥を飼う武士」を連載した。
鞍馬天狗の人気は高く、1924年に実川延松が鞍馬天狗役(ただし脇役)で「女人地獄」が映画化。
1925年には”目玉の松っちゃん”こと当時のスーパースターである尾上松之助主演で5編が映画化された。1927年には「少年倶楽部」で”少年のための”という副題で、杉作少年の登場する「角兵衛獅子」を、伊藤彦造の挿絵で連載し人気となった。
これが嵐長三郎(嵐寛寿郎)主演で「鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子」として映画化され大ヒットし、嵐寛寿郎の当たり役となって数多くの映画化がされた。頭巾の後ろから髷の出るスタイルも、この作品で長三郎のアイデアで生まれた。
大佛次郎も1926年に『照る日くもる日』、1927年に「赤穂浪士」を新聞連載するなど、活動の幅を広げていく、「御用盗異聞」以降では、西郷隆盛をはじめとする維新勢力の目的を選ばぬ倒幕活動に鞍馬天狗は懐疑的な態度を持ち、これらについて村上光彦は、大佛が当時のマルクス主義運動にもある種の共感を覚えつつも運動の圏外にとどまり「革命家にとって目的が手段を正当化するか否か」がシリーズに一貫するテーマの一つだと述べており、「角兵衛獅子」からは「明るく、無益な殺生を嫌い、敵にも優しい人間像」、「フェアプレイの理想を追う剣士」が定着。
1930年代の「地獄の門、宗十郎頭巾」では、当時警察が共産党に送り込んだスパイ活動に示唆を得たと思われる、組織の裏切り者が題材になっており、またジョゼフ・コンラッドなどの作品の影響も窺える。
戦後になって大佛次郎は、かつて寄稿していた文芸雑誌「苦楽」を復刊し、呼び物として「新東京絵図」を連載、明治維新後の1869年の東京を舞台として、ここで鞍馬天狗は海野雄吉という名前の市井の人物として登場する。これは執筆当時に米軍占領下にあった東京の世相を反映しているとも言われる。

「天長節」 今日の吉き日は 大君の うまれ給いし 吉き日なり 今日の吉き日は 御光の さし出給いし 吉き日なり ひかり編き 君が代を 祝え諸人
      もろともに 恵み編き 君が代を 祝え諸人 もろともに

「敵は幾万」
      1)敵は幾万 ありとても すべて烏合の 勢なるぞ 烏合の勢に あらずとも 味方に正しき 道理あり 邪はそれ正に 勝ち難く 直は曲のぞ
        勝栗の 堅き心の 一徹は 石に矢の立つ ためしあり 石に立つ矢の ためしあり などて恐るる 事やある などてたゆとう 事やあり
      2)風に閃く 連隊旗 しるしは昇る 朝日子よ 旗は飛ぶくる 弾丸に 破るるほどこそ 誉れなれ 身は日の本の つわものよ 旗になほじそ
        進めよや 斃るるまでも 進めよゃ 裂かるるまでも 進めよや 旗になほじそ はじおなせよ などて恐るる 事やある ・・・・・・・。

「普通選挙法公布」   第1次加藤高明内閣は衆議院議員選挙法改正法律案を第50回帝国議会に提出。 貴衆両院での修正を経たのち可決成立した同改正法(普通選挙法)は、大正14年の1925年5月5日に公布さた。
これにより、選挙人資格から納税要件が撤廃され、満25歳以上の男子に選挙権が。