素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

志摩の実家に帰る

2014年03月26日 | 日記
『便りのないのは元気な証拠』というのは若かった時の言葉。やはり月一度ぐらいは様子を見ないと心配である。入院していた伊勢の叔父が一週間前に退院したのでご機嫌伺いも兼ねて志摩に帰った。生憎の雨だったが交通量は少なく走りやすかった。伊勢市内に入ると25日から28日まで交通規制があるとあった。警察官の数も多く何事かと思っていたが、実家に着き新聞を読んでわかった。天皇皇后両陛下が昨日から伊勢神宮参拝のため伊勢に滞在されているのである。今日の午前に外宮、午後に内宮に参拝された。ちょうどそのすき間の時間に私は伊勢市内を抜けたことになる。規制の解けていた時間帯でラッキーであった。両親も大きな変わりはなし。このことが一番ありがたいことである。

 雨のため、外の仕事もできずテレビを見ながらよもやま話で時間を過ごす。このゆったりした時間の流れへのスイッチの切り替えが大切。
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くろんど園地の八ツ橋へミズバショウの下見に

2014年03月25日 | 日記
 この28日(金)に妻が枚方山草会のメンバーを連れてくろんど園地の八ツ橋へミズバショウを見に行く計画を立てていた。京阪電車が30日(日)にミズバショウハイキングのイベントを企画していたので多分花は咲いているだろうと読んで日程を設定した。しかし、「イノシシが食べたりするので大丈夫かなあ?」とか「今年は雪がたくさん降ったからな」という声もあったりしてだんだん心配になってきた。

 ご年配の方が多く、私市駅から約2kmのハイキングコースを歩いて花がなかっては気の毒である。どうかな?どうかな?と思いながら歩くことほどストレスのたまるものはない。ならば、車を使って近くまで行って下見をしてこようということになった。「一緒に行ってくれませんか」と言われれば断る理由はない。

 車を遣えば20分余りで近くまで行くことができ、そこから歩けば10分弱で八ツ橋に着く。白い花がポツポツ見えた時はホッとした。去年よりは株の数が少なく、花も小ぶりのように思えたが空振りではないのでひとまず良し!とした。
   他にも早春の山野草であるショウジョウバカマやフキノトウも見つけたので、みんなに喜んでもらえると一安心。
   気分よく帰ることができてめでたしめでたしであった。

 花を巡る企画はタイミングが命なので気を遣う。

  

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終わりと始まりの交錯する季節

2014年03月24日 | 日記
 向かいの小学生が終業式を終えて元気に帰って来た。1,2学期と違って3学期の場合はは何となく気分が違う。「もう終わった」か「やっと終わった」の違いはあっても充実感や安堵感が心に広がる一方で「次は?」という期待感も同時に芽ばえる。この年度末の感覚は私の中ではすっかりなくなってしまったが、現役の方と会って話しをすると刺激され記憶の淵からあぶくのように浮かんでくるものがある。

 卒業式のあり方についての話の中で、帳尻合わせのようなパフォーマンスで卒業式の流れを勝手に断ち切った行ないへの憤りを聞いた。来賓、教師、保護者の中には「感動的な」シーンとして受けとめた方もいたようだが、「それは違うだろう」と言った言葉に共感した。オリンピックの閉会式と同じように卒業式をゴール(終わり)の日と考えてはいけない。ということが根底にある。卒業式は正式には卒業証書授与式というように卒業証書の授与が幹で、その他のことは枝葉である。

 感動は卒業証書が一人ひとりに渡される時に出席者全員が心の奥底で噛みしめていけばよい。そのためには整然とした流れから生み出される粛々とした雰囲気が必要である。私語、勝手な言動があれば気持ちが集中できない。保護者が拍手をするという行為も思い出にひたることを邪魔するものである。

 卒業式をゴール(終わり)の日と考える人は卒業証書授与の雰囲気以外のところで感動を必要以上に求める。私が経験したものでは、金八先生に影響を受けたのか、クラスの生徒の氏名を読み上げる時に、一人ひとりにコメントをはさんでいった担任がいた。式当日、突然やったので生徒はざわつき、進行は間延びし、それぞれの生徒の成長に思いを馳せるよりも心の中はイライラ感で一杯になってしまった。逆に、生徒が授与や退場の時に浅薄な感動を演出して冷めた気持ちになってしまった。卒業の歌に必要以上にこだわりを持ち合唱のための隊形にするために、授与の動きを不自然に、煩雑にしてしまい、「何が大事?何のために?」という思いを強く持ってしまった。

 卒業式はゴールではない。ということをどうやって伝えようかと考えた時があった。課題を多く抱えながら1年、2年と乗り切ってきて、「いよいよあと一年だ」という思いが教師側にも生徒側にも共通してあったので、学年だよりのタイトルを「Last***」とカウントダウンしていくことにした。その時に卒業式の日へのカウントダウンではなく、3月31日を"Last1"とするように数えた。卒業式は通過点にすぎないという思いをそこにこめた。そうすることで取り組む姿勢や発想がずい分変わったように思う。

 ゴールの設定の仕方の大切さは北島康介さんも言っていた。ゴールのタッチ板ではなくその1m先にゴールをイメージすると最後のひと伸びが違うというような内容だったと思う。ちょうど鶴竜が横綱になったが、そのコメントの中で「横綱になれば良いのではなく、もっと先を考えて精進しないと」というのがあった。スポーツ界でも伸びる人と伸びない人の差はこのあたりにもあるのかなと思った。進学でも同じ、希望校に合格することがゴールではない。これらのことはわかっていても実行するのは難しい。

 ブクブクといろいろなことが出てくるが、まとまらなくなってきたのでひとまず蓋をする。
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NHKスペシャル「里海・瀬戸内海」にはひきこまれた

2014年03月23日 | 日記
 里山という言葉はなじみがあったが、里海という言葉は今一つピンとこなかった。里山保全の大切さについては方々で言われている。私も何度か里山の間伐作業に参加したが、地道な活動をされている方には頭が下がる。里山文化の衰退が生態系に大きな影響を与え、猿、鹿、イノシシなどの動物と人間との共存が喫緊の課題となっている。微力ながら協力してゆきたいと考えている。

 瀬戸内海も同じような課題を抱えていたことを番組を見るまでは知らなかった。冷静に考えれば瀬戸内海沿岸には大きな工業地帯が多くある。高度経済成長期には赤潮が頻発した「瀕死の海」であったということもうなづける。その瀬戸内海の環境がここ数年、劇的に良くなってきたという。研究者や漁師の話や取り組みを通じてなぜよみがえったのか。ということを多角的に伝えてくれた。

 そのキーワードが「里海」である。発想の源にあるのは『人も海の一員と考え、自然のお世話をしながら命のサイクルを活性化させる』ということである。排出規制などの対処療法ではなく、海の自然治癒力を最大限に引き出すことによって瀬戸内海を多様な生態系を持つ豊かな海へと回復させた。その地道な取り組みを四季折々の瀬戸内海の海中の映像美とともに届けてくれた。

 沖合いでカキを養殖するカキ筏で繰り広げられる自然の大スペクタクル。カキとは縁のある所で生まれ育ち、今でも冬にはその美味を堪能しているが実際の養殖については深く知らなかった。こんなにも豊かさをもたらしていたのかと感動した。海の世界は想像していたよりも豊かで美しい。

「海のゆりかご」アマモの種を植え続けてきた漁師の心にもふれることができた。アマモの林の中で営まれる生物の姿に微笑みが出た。絶滅寸前からよみがえった「生きている化石」カブトガニや、イルカの仲間スナメリの映像も見ごたえがあった。

この日本独特のやり方は今、“SATOUMI”として世界に注目されていて、汚染や海洋資源の枯渇に悩む世界中の海の解決策として、導入が始まっていることに喜びを感じた。クジラやイルカ漁で叩かれている日本だが、海洋資源に対する考え方は決して自己本位ではないと思う。「里海」思想を含め世界のリーダーとしての役割りを果たしていけたらいいのにと素直に思った。
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続『3』にまつわる話

2014年03月22日 | 日記
 2010.12.25のブログで『「3」にまつわる話』を書いた。(←クリック)
ふと、そのことを思い出させてくれたのが、今日の20時にあったNHKEテレ『チョイス』である。新聞の番組欄には長々としたキャッチコピーがあった。《今すぐ実践 運動不足を手軽に解消 健康で長生き出来る!○人寄れば効果も抜群 散歩工夫術》 世に出ている健康法には一応目を通すという私にはまことに効果的な一文であった。

 番組で取り上げられていたのは健康寿命日本一を誇る静岡県で実践されている《ふじ33(さんさん)プログラム》 (←クリック)のエッセンスの部分であった。

 最初の「3」は「3ヶ月継続してみよう」ということ。張り切って運動に取り組み初めても3日坊主に終わることが多い。そこで無理をしないで3ヶ月は継続できる行動プログラムが提唱されていた。この3ヶ月という単位は私自身が退職後、意識的に自分の身体を通して試してきた経験から妥当なものだと思った。自分の中に変化を感じるためには最低3ヶ月という単位は確かに必要である。出演者のほっしゃんが1年12か月を四季に分けて、3ヶ月ひとくくりで考えることは日本人の体質にしみこんでいるのではということを話していたが「それもそうだな」と思った。

 チョイス①として「ながら運動」があった。紹介のあった「ながら筋トレ」も「歩数を稼ぐ」も私はすでに3年以上やっていることなので新鮮味はなかったが、効果のある方法だとうなづける。

 チョイス②が後ろの「3」に関わること。3人1組になり、それぞれの目標や運動の様子、成果などを交流したりまた共通の目標を設定したりしながら健康づくりに取り組んでいくということ。3人寄れば文殊の知恵の健康版である。

 チョイス➂が「インターバル速歩」。ゆっくり歩きと速歩(ややキツイと感じる速さ)を3分ずつ繰り返し、計30分歩くということ。ボクシングの1ラウンド3分という単位は、やってみると分かるが長短のほどの良さを感じる数字である。これはやったことがないので、今度試してみようと思った。

 番組を見ながら「やっぱり《3》は人間の生活に深く浸透している」とあらためて思い起こした。となると今の教育制度での6・3.3制も必然性があるのではと考えた。実際は私は一貫して「3年間一本勝負」を意識して実践を組立ててきた。学校の事情でいつも規則的に1年、2年、3年と担当できるわけではなかったが、たとえイレギュラーな場合にあってもそのことだけは意識していた。35年の教師生活の中で、純粋に「3年間一本勝負」ができたのは5回ほどしかない。今思うと幸いだったのは、30歳台まではイレギュラーに学年を飛ぶことが多かったが、40歳、50歳となるにつれ3年間通して持つ機会が増えたことであった。若い時は通して持てないことに寂しさややるせなさを感じていたが、飛び込みで入った学年でもまれたり、自分が離れた学年を客観視したりする中で「大切なことは何か?」ということを考える機会が与えられたように思う。学年をつくるという試みは40歳、50歳台になってからが最も充実したものになる。そういう意味でも私はついている。しかし、「3年間一本勝負」にこだわっていないと"つき”も呼び寄せられないのではとも思う。

 、「3年間一本勝負」が可能なチャンスは絶対に逃がしてはいけない。と思考はあらぬ方向に飛躍していった。
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