素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

デジブック 『湖南三山国宝三昧』

2014年03月21日 | 日記
滋賀県の南東部にある湖南市は平成16年に石部町と甲西市が合併して誕生した。この湖南市に奈良時代に建立された三ケ寺(常楽寺、長寿寺、善水寺)があり、本堂はすべて国宝に指定されている。そこで翌17年に「湖南三山」と称した。古くから知られている「湖東三山」に対抗して紅葉の名所として積極的にPR活動を始め広く知られるようになってきた。滋賀県の南東部も私ににとっては未踏の地である。季節はずれではあったが春分の日、「湖南三山」巡りをすることにした。

 発達した低気圧の余波で寒波が入り、小雪が時折り舞う不安定な天気であったが、かえって古刹や三重塔と雪がマッチして静かに悠久の時を感じることができた。

 道路も地図で見ていたよりも整備されていたのも幸いであった。たくさんのことが楽しめた一日となった。

 

デジブック 『湖南三山国宝三昧』
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雨にも負けず

2014年03月20日 | 日記
 予報通り朝から雨。あいにく今日は妻と息子がそれぞれ車を使う用事ができたので車庫は空っぽ。こういうことはめったにない。こんな時に限ってビバホームへどうしても行かなければいけない用ができた。歩くしかない。どうせ歩くなら楽しもうと雨の中の花を撮ることにした。ジムで写真好きの人がつくしの群生しているところを教えてくれていた。「春の始まりを撮ってきたらどうですか?」と親切に勧めてくれてもいたのでついでに通って行こうと思った。あいにくつくしの群生しているところは私有地でフェンスに囲まれていて晴れた日には何とかなるがこの天気では撮影が不可能であった。途中から雨足も強くなり写真どころではなくなった。結局、ボケと梅とユキヤナギの3枚だけであった。枝についた水滴をからめようと思ったが難しかった。
   往復で2時間弱歩いた。こんなに長く歩くのは久しぶりである。さすがに最後の70段余りの階段では、左足を踏ん張ると痛みが出てきた。これも一時的なもので、午後からのスタジオレッスン「ボクササイズ」は支障なくこなせた。歩きなれることも必要だと改めて思った。

 朝の予報に比べて天気の回復が遅くなっている。夕方、夜と天気予報を見るたびに少し恨み節が出る。低気圧が早く北上することを願っておこう。
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60分間走8.7kmまで伸びる

2014年03月19日 | 日記
 「60分間」ではなく「60分間走」と『走』の字を入れることに抵抗がなくなった。今日は走り切ったという感覚が持てた。2セットの筋肉トレーニングの後に、50分間のピラティスのスタジオレッスン、その後にもう1セット筋肉トレーニングを入れてから有酸素運動をするというのが、何もない時の水曜日の流れである。週の中では一番密度の濃い日となる。

 ピラティスを意識的に取り組み始めて半年ぐらいになるが、やっと肩甲骨あたりや骨盤まわりの関節の動きがわかるようになってきた。さびていた関節に潤滑油が注入された感じである。特に肩甲骨は変化が著しい。

 今日も11時30分から一連のトレーニングをこなしていった。有酸素運動に入るころには足に張りがきていてどうしようかなと思ったが、ダメなら途中でやめればいいと思い、ランニングマシーンにした。ダメ元なので最初から時速8kmのランニングで入った。足は重いが思いのほかよく動くので徐々にペースを上げて6分過ぎからは時速9kmペースを維持した。30分走ったところでもさほどダメージがなかったのでそのまま走り続けた。無理をすれば60分9kmも可能であったが、ここで心身にストレスをかけることはよくないと考えラスト6分はペースダウンをした。

 彼岸に入って、目まぐるしく天気も変化し、暖房器具を使う時間がめっきり減ってきた。暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだ。
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いつになったらやめるのか?大学合格者高校別ランキング!

2014年03月18日 | 日記
 「サンデー毎日」の大学合格者高校別ランキングの特集がなくなる時がくれば、日本の教育事情も大きく変わるだろうと思い続けてきた。この特集、私が高校生の頃にはあったと記憶しているから半世紀近く続いている。この間、小、中学校段階での教育改革はいろいろなされたが、結局この特集が世間に受け入れられている限り、根本的なところでは変化がない。

 この特集によってできるものは結局、大学と高校のブランド化のみではないだろうか。そのことで大学教育の空洞化現象が引き起こされているのではと、大学関係者の声から推察している。
 もう1つは大学受験に関して、純粋に高校の力だけなのか?という疑問も同時に抱き続けてきた。先日は駿台、今日は河合塾が大学合格者の一部ではあるが顔写真入りで新聞紙上に大きく掲載していた。
  高校受験でも大学受験でも塾、予備校に通っている人が大多数である。ダブルスクールのどちらが合格に寄与したかの判断は難しい。この点からも「大学合格者高校別ランキング」の数字は意味をなしていない。

 この時期になるといつもこのことを思う。ああ今年もやっぱり同じかとがっかりした。当分なくなる気配はない。教育の中央集権的統制によってむしろ加速していくかもしれない。それにつれて大学のみならず高校の空洞化もますます進んでいくのではと危惧する。
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ようやく60分間で8kmに到達する

2014年03月17日 | 日記
 昨年、8月末に左膝まわりに違和感を感じてからウォーキングマシーンを使っての有酸素運動を満足にできない状態が続いてきた。最初に思っていたよりも回復のスピードは遅かった。3月に入ってからようやく60分間連続してのウォーキングができるようになり、その距離も6kmから200~400mずつ増えていき、ようやく目標にしていた8kmに到達した。正確に言えば8.1kmである。

 とはいえ、まだ余裕を持っての走りではないので、体の声を聞きながらコンスタントに60分間8kmを走ることができるようにボチボチとやっていくほかはない。膝の違和感とつきあってきたこの半年余りの経験はなかなか貴重なものであった。

 今日の朝刊の『くらしナビ*いりょう・健康』に前衆議院議員 与謝野馨さんへのインタビューが載っていた。先日、テレビで安倍さんの経済政策、アベノミクスについて検証する番組に出演していた時、声を出すのに苦労されていると思ったが、2006年に下咽頭がんの手術を受けた後遺症で、2012年9月に声を失う手術を余儀なくされたためだと知った。「気管食堂シャント法」という手術で、現在は気管の穴を手で塞ぐことで話せるようになったとの」こと。

 記事によれば、与謝野さんは1977年に衆院選で初当選した翌年、39歳の時悪性リンパ腫の一種であるろ胞性リンパ腫を発症して以来、政治家人生とぴったり重なった37年間、直腸がん、前立腺がん、下咽頭がんと4つのがんとも闘い続けた。

 がん治療とその副作用に悩まされながら党の要職や閣僚を歴任し、政策通の呼び声の高かった与謝野さんの言葉には説得力があった。

 「がんは気持ちが沈んでしまうとなかなか手ごわい病気です。共生していくためには前向きに、そして無理をせずに自然に生きることです。がんになったから反省したり生活を改めたりするという方もいますが、僕はだめですね。酒もたばこもやめられません。でも人生観、価値観は人それぞれ。がんはそうやって付き合っていく病気だと思います。『患者に夢中にならないこと』も大切です。患者としての自分と、その自分を客観視できるもう一人の自分を持って冷静に正しい判断をすることです。」

 私の知人に、乳がんの手術をされた方がいた。術後も順調で職場にも復帰され、合唱のサークルなどでも元気に活動されている。その方がお母さんの米寿を記念して2年前に家族歌集を自主出版された。妹さんが姉を思う歌

 癌告知受けたる姉の繰り返す「心配かけてごめん」切なし
 命には代えがたしされど黒髪も乳房も奪ふ癌治療惨し
 手術終へし姉を残して老い母と夕暮れ寒きバス停に佇つ
 平穏に明かり灯れり風寒きバス停より見る姉の病室
 姉の手術終りて寒き夕暮れを老い母と駅前にぜんざいを食む

 乳房切除の手術受けし姉にして今年の桜いかに眺めむ


 「術後八年」と小題のついた本人の歌

 「みかん」の字も「がん」と思はず読み違ふ時経て術後八年の秋
 療養の日々を歩きし野の道は葛のみ覆ふ八年を経て
 ジュラルミンの巨大な腹を今見せて駅舎頭上を飛行機通過す


 短歌、俳句、詩と形は違っても自分というものをつきはなして見ることができるという点では共通のものがあるよいうに思う。折々に読ましてもらっている家族詩集、ご両親のものも含め私に力を与えてくれる。


『患者に夢中にならないこと』は示唆に富む言葉である。
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