昨日、紅白で美輪明宏が歌った
「ヨイトマケの唄」のことをブログ
にアップしたら、閲覧数1275、訪問者
数997という、これまでにない数字が。
びっくりして詳細を調べてみたら、
検索サイト経由らしいのです。Yahoo!
とかGoogleなんですが、Googleで
「ヨイトマケの唄 紅白」と入れると、
このブログが9番目くらいに出てきて
います。Yahoo!の検索でも上位に来て
いるようです。美輪明宏の「ヨイトマケ
の唄」は相当インパクトがあったよう
ですね。
昨日紹介したYouTubeの動画は、昨日
の時点で9万6千人の人が見ていました
が、今日見たら、約40万人以上になって
いました。紅白が終わって、すぐ
アップされた別の動画は、「この動画は、
NHK さんによる著作権侵害の申し立て
により削除されました」ということで、
見られなくなっていたのですが、こちら
の動画は一月三日になってもまだ見られ
ます。いつ削除されるのか心配ですが、
まだ消されていないということはNHK
さんの温情なのでしょうか。
こちらがその動画です。
何度見ても感動的ですね。
コメントの数も600件以上。削除された
場合、これらのコメントも消えてしまう
ので、消されないことを祈るばかりです。
と書いたのですが、1月4日、とうとう動画
が削除されてしまいました。ちょっと残念です。
でもどうしても見たいという人がいると思い
ますので、こっそりこちらのリンクをご紹介
しておきたいと思います。
美輪明宏「ヨイトマケの唄」
これもいつ削除されるかわかりませんが。
美輪明宏の「ヨイトマケの唄」は、名曲
なのですが、テレビでは放映されること
があまりありませんでした。YouTubeで
見ると、いろんな人がカバーしたのが
アップされていました。米良美一のも
感動的ですが、やはり紅白の美輪明宏の
が一番ですね。自分で作詞作曲をしたと
いうのもすごいです。
黒のシンプルな衣装で、余計な飾りや
応援などなく、歌一つで勝負した
美輪明宏の潔さは感動的でした。
それは、歌だけでは観客を感動させられ
ない歌手や、商業主義で作り上げられた
人気に依存した「商品」に対する、
痛烈な批判だったのだと思います。
2012年の年末に、本物の歌に出会えた
私たちは幸運でした。
まだ丸山明宏と名乗っていた青年が
この歌を初めて歌ったのは1964年。
東海道新幹線が開通し、東京オリン
ピックが開催された年。日本が高度
経済成長のまっただ中にあった時代。
昭和30年に生まれた私はその時、
小学校の3年生。父親は菓子屋を
やっていましたが、母親は炒り胡麻
などを製造する工場に働きに出て
いました。
母は私に工業高校に行って、
エンジニアにでもなってほしいよう
でした。しかし私は普通科の高校に
行き、東京の大学に進学したのでした。
「ヨイトマケの唄」を聞くと、母に
苦労をかけたことを思い出します。
何度も過労で入院していました。
母が亡くなって、昨年、七回忌が
終わりました。この歌を聞くと、
そんな思い出などもだぶってきます。
紅白に美輪明宏を呼ぶ決断をして
くれたNHKの皆さんに感謝したい
と思います。
こちらもよろしくお願いいたします
↓
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数997という、これまでにない数字が。
びっくりして詳細を調べてみたら、
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「ヨイトマケの唄 紅白」と入れると、
このブログが9番目くらいに出てきて
います。Yahoo!の検索でも上位に来て
いるようです。美輪明宏の「ヨイトマケ
の唄」は相当インパクトがあったよう
ですね。
昨日紹介したYouTubeの動画は、昨日
の時点で9万6千人の人が見ていました
が、今日見たら、約40万人以上になって
いました。紅白が終わって、すぐ
アップされた別の動画は、「この動画は、
NHK さんによる著作権侵害の申し立て
により削除されました」ということで、
見られなくなっていたのですが、こちら
の動画は一月三日になってもまだ見られ
ます。いつ削除されるのか心配ですが、
まだ消されていないということはNHK
さんの温情なのでしょうか。
こちらがその動画です。
何度見ても感動的ですね。
コメントの数も600件以上。削除された
場合、これらのコメントも消えてしまう
ので、消されないことを祈るばかりです。
と書いたのですが、1月4日、とうとう動画
が削除されてしまいました。ちょっと残念です。
でもどうしても見たいという人がいると思い
ますので、こっそりこちらのリンクをご紹介
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美輪明宏「ヨイトマケの唄」
これもいつ削除されるかわかりませんが。
美輪明宏の「ヨイトマケの唄」は、名曲
なのですが、テレビでは放映されること
があまりありませんでした。YouTubeで
見ると、いろんな人がカバーしたのが
アップされていました。米良美一のも
感動的ですが、やはり紅白の美輪明宏の
が一番ですね。自分で作詞作曲をしたと
いうのもすごいです。
黒のシンプルな衣装で、余計な飾りや
応援などなく、歌一つで勝負した
美輪明宏の潔さは感動的でした。
それは、歌だけでは観客を感動させられ
ない歌手や、商業主義で作り上げられた
人気に依存した「商品」に対する、
痛烈な批判だったのだと思います。
2012年の年末に、本物の歌に出会えた
私たちは幸運でした。
まだ丸山明宏と名乗っていた青年が
この歌を初めて歌ったのは1964年。
東海道新幹線が開通し、東京オリン
ピックが開催された年。日本が高度
経済成長のまっただ中にあった時代。
昭和30年に生まれた私はその時、
小学校の3年生。父親は菓子屋を
やっていましたが、母親は炒り胡麻
などを製造する工場に働きに出て
いました。
母は私に工業高校に行って、
エンジニアにでもなってほしいよう
でした。しかし私は普通科の高校に
行き、東京の大学に進学したのでした。
「ヨイトマケの唄」を聞くと、母に
苦労をかけたことを思い出します。
何度も過労で入院していました。
母が亡くなって、昨年、七回忌が
終わりました。この歌を聞くと、
そんな思い出などもだぶってきます。
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くれたNHKの皆さんに感謝したい
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